梅雨前線の北上で、風・雨、大荒れの天気である。
こんな時は、家にじっとしている他はない。
月初、上野・東博に、特別展「茶の湯」を見に行ったことを思い出した。
小堀遠州設計の茶室、燕庵(国宝)が再現されていた。
今や女性の習い事になってしまっている感のする茶道だが、
もとはといえば、足利将軍家、武士のたしなみだった。
カメラ爺の若かりし頃、父が、若い女性相手に、自己流で茶道の点前をしていたことを思い出す。
炉を切った六畳間で、和服姿の父と女性が茶をたしなむ姿に、心がときめいた。
そんなことがなければ、茶の湯に興味を持つことはなかっただろう。
茶碗や茶室を見ると、やすらぎのようなものを感じるのだ。
現役のころ、全国各地を訪れ、名園、名庭を見た。
その中に、小堀遠州設計の庭がいくつもあった。
縁側から眺める庭の美しさに感動したことを覚えている。
東博の展示で、彼の茶室が見られたのは、また、すばらしかった。
こんな時は、家にじっとしている他はない。
月初、上野・東博に、特別展「茶の湯」を見に行ったことを思い出した。
小堀遠州設計の茶室、燕庵(国宝)が再現されていた。
今や女性の習い事になってしまっている感のする茶道だが、
もとはといえば、足利将軍家、武士のたしなみだった。
カメラ爺の若かりし頃、父が、若い女性相手に、自己流で茶道の点前をしていたことを思い出す。
炉を切った六畳間で、和服姿の父と女性が茶をたしなむ姿に、心がときめいた。
そんなことがなければ、茶の湯に興味を持つことはなかっただろう。
茶碗や茶室を見ると、やすらぎのようなものを感じるのだ。
現役のころ、全国各地を訪れ、名園、名庭を見た。
その中に、小堀遠州設計の庭がいくつもあった。
縁側から眺める庭の美しさに感動したことを覚えている。
東博の展示で、彼の茶室が見られたのは、また、すばらしかった。
もう帰らないとは、現物納税しちゃった?
6944は学生時代、明治期にお裏(裏千家)から分かれた大日本茶道会に属し、お茶をたてていた。
高年女性からは珍しがられ、ちょっぴり「もて」もした。
いま、つまらぬ作法の細部にこだわる家元制度を嫌う。
お茶は自在に飲んでこそお茶である。
お茶といえば茶碗。茶碗といえば天目だ。
6944宅にも加賀の殿様前田侯爵家に伝わった建盞(けんさん)=天目の別称=があった。
今はもう帰らないあ~の夏の夜の夢である。
日本文化を愛でる国家の片隅で起きた小さな税のお話である。