それでも横になれ、雑用も減り、美味しくはないが、食事に関する不安もなく、安心感も大きい。しかし暇なわけでも楽してるわけでもない。結構辛いものだか、一つだけ嬉しいのは、普段はなかなか会えない人が見舞いに来てくれて昔話に花が咲くこと。これは嬉しい。
睡眠時などはエアコンを除湿にしているのだが、昨夜はあまりの暑さに目が覚めて眠れず、自動運転に切り替えた。今日はまた一段と暑く、いつもは空気清浄機能しか入れていない空気清浄機を、扇風機機能入りに切り替えた。昨日バスの運転手さんと話したときも全くエアコンが効かない、と嘆いていたが、この暑さは尋常で無い。ドイツも猛暑と聞き、怖くなった。何故かと云えば、アルトバウといって100年を超える住宅の設備にはエアコンはまず無い。ただし救われるのは、湿度が無く、夕刻以降は気温ががったりさがり、暑さも連日続くことは希だからだ。しかし日本は。感染症が拡大し、人はストレスを顔にはっきり出して歩いている。連鎖反応か犯罪も多い。辣韮を義母に送ろうと宅配の集荷待ちをしているが、いつもなら気にもしないが、いらいらが出てくる。気候の悪さのストレスは大きい。食欲も無いのでヴィダーインゼリーでも食べて、入院の書類を書かねば。
なんと3つの台風が来ているという。おかげで猛暑。昨日病院に行ったら、異常に混雑している。いつもは立って辛そうにしていると、声をかけてくれる人がいるのだが、人間気候や状況で余裕が無くなるとたちまち思いやりや優しさが欠如する。こんな時になるとしみじみと実感する。地震などで非難したり、戦乱など切迫した状態になるとこんな事になるのだろうと、想像がつくからだ。さて病院。炎症の数値がまた上がり、原因が特定できず通院では判断できないので、ベットが空き次第入院の予定の手続をとった。面倒にも思うが多少ほっとした。夫も安心だろうし、原因が究明できるのは有り難いことだ。しかしいつになるかわからないので、食料品などはみな注文にキャンセルをかけた。細かいことは夫に頼むととんでもないことになるので、気を配るのが大変だが仕方が無い。楽しみにしていたメロンもおじゃん。運が悪い。
とにかく暑い。微熱もあるので体もだるい。水分だけはこまめにとるが、これは熱中症になっても致し方ない気候だ。メロンなど部屋の外に置いてあるのだが、大丈夫かと不安になる。日本のビールは美味しくないので、健康のために量を減らしたが、代わりにノンアルコールビールや、炭酸水など沢山飲むので、缶やペットボトルの空いた物の量が半端でない。加えて私よりもっと飲む夫がいるので、ゴミの日に夫が起きてこないと落ち着かなくなる。夫の不在の時は、前日に自宅に来るリハビリの人に下までゴミを運んでもらったり、使う分のミネラルウォターを上に上げるのをお願いしようと打診したら、快く引き受けてくれた。食生活がきちんとしていれば良いが、適当になりそうで、それが不安だ。しかし暑い。
口の中にカンジタが発生し、副鼻腔炎になったら、触覚と味覚が麻痺して、未だに良くならない。今日も熱があって、流動物と飲み物、ゼリーや果物を主にとっており、こちらは味がしなくてもそう困らないが、他の食べ物は食感が不気味に残る味の無い物を口に入れているだけで、美味しくもなにも無いが、こうなると、無理してでも食べないとたちまち体力が無くなってしまう。美味しいと感じる味覚があるのは大切なことでこれが無いと人生の楽しみが随分減ってしまいそうだ。今の子供はこんな味覚音痴が多いのだという。唐辛子を山程かける女優がいたが、やはり辛みが感じられないのだという。マヨラーもそうで、明らかに味覚の麻痺だ。今の時期、大量のメロンを食べる。私は青肉の方がどちらかというと好きで、小さい物だと半分は食べてしまい、夫に呆れられるが、例によって味覚がしないのは残念だ。昨日家政婦さんとマクワウリの話になった。田舎の物で、まず東京では見かけない。青い味のメロンと瓜がミックスしたような物、といった感じだが、交配した作られた味はしない。この微妙さをまた味わいたいが、もどるのだろうか。
ここに行くときはいつも雨、という場所はないだろうか。私はいくつかあるが、最近は耳鼻科に行く日で、晴れたためしがない。もっと腹立たしいのは、帰宅して晴れてくることだ。あまりこのあたりでは無い事なのだが、今日歩いていたら、若い女性に見とがめられ、ずっと嫌な思いをしている。時々出会うのだが、体の不自由な人やものを見ると、あたかも優位に立ったように思うらしい。こういう人は心が病んだ人でコンプレックスが強く、思う立場にいない人なのだろう。本人はすぐ忘れてしまうかもしれないが、された方はこのような行為は決して忘れない。時が経てば、とか云う問題では無く、弱い人間程人を見るし本性をすぐに読み取る。よいことも悪いことも、されたことは消して忘れない。そしてされた事実は記憶に残されて、許すことはまず無い。謝る、という行為はたしかに貴重だが、私たちはそれ以前にそのような行為は絶対にしない。言葉は一度飲み込み、行為は先を考え、選びに選んで行動する。それが普通なのだ。それが出来ない人間はがさつで品が無い人間、言葉で言われていないだけなのだ。厳しいことだが。
鍼灸師に人からびっくりする話を聞いた。最近の若者は、酒を飲まない人も少なくないし、仕事上の付き合いをプライベートな時間に入れたくないので、飲み会など断る傾向にあるとは聞いていたが、彼が参加した懇親会では話を人とする、というのでは無くていきなりスマホを出して、皆でなんという名前かは忘れたが、ゲームを始め彼も誘われたという。それは今では極々普通の事なのだそうだ。先日医者でベビーカーに乗る子供にアップルの6を与えている母親がいて驚いたが、いったい世の中はどうなってしまうのだろうと感じる。新幹線で焼身自殺した事件があったが、隣の車両に乗っていた人がいて、事件直後いきなりドアが閉まり異常に暑くなり、何かが起こったことはわかったが、座っていたところ、老人の女性が来て、おにぎりを分けてあげるから、様子を見てきてくれ、と云われたそうだ。断ったようだが、いかにも変な話である。子供を焼死させた男性は、なんでも妻がこどもにかかりっきいになってしまい、かまってもらえなかったことが原因だという。幼児化しているというか、とにかく妻ではなく、妻は母だったようだ。それならなぜ、子供を8人も、と思うが、無計画の結果、とは夫の弁である。
私の父は9人兄弟だった。一人戦死しているの実質8人なのだが、大変なかのよい兄弟で、現在はいとこ会なるものが発足し、助け合って生きている。九州で8人兄弟のうち、4名が父の放火によって焼死した。原因は妻が単身赴任先に見送らなかった、ということだという。海上自衛官らしいが、精神を病んでいたようだ。自衛官は転勤も多く、海上は船内で同僚達と数ヶ月生活するなどストレスをためる要素が大きい。単身赴任で毎週広島まで車で帰っていたことを思うと、家族がいないことは心身を痛める大きな原因だったようだ。生活の全ては両肩にかかり、教育や進路など考えることは大きく、ひどく悩んでいたのだろう。しかし同情はするが、正当化することは出来ない。殺人には違いないし、殺したのは自分の子、取り返しがつかない。生命をこんな形で終わらせられてしまうことは、誠に辛いが、今後こんな事件は出てくるのだろう。残された子は4人、妻との関係も微妙だろうし、失職することにもなる。何とかならなかった物か、と思うが遅い。
ディスカウントショップのトイレから女児が連れ去られた事件があった。欧州では清掃員がトイレの入り口に頑として座っていて、チップというが利用料金をしっかり徴収するので、このような犯罪は起こりにくい。またたとえ清掃員がいなくても、トイレのドアの足下は開いていて、個室にはならない。東洋人だと臀部のあたりまで見えてしまうので、当初は落ち着かないが、犯罪に巻き込まれるよりはましである。どこに行くにも親が出迎えにつきそうか、スクールバス、過保護なのでは無い、それだけ犯罪に用心しているのだ。塾の帰りで遅い時間に単独の子供をよく日本では見かけるが、このような事は絶対にあり得ない。日本は治安がよいなどとアホ面で云ってる場合では無い。これが保護者としての当然の責務なのだ。そのかわり、ハイスクールを出ると親の家は出て独立する。これもまた当然のことで、親もそれからは一切干渉しない。結婚すれば週末や特別な日に親を訪ねて食事をするが、同居するということはない。独居老人はとても多く、毎日のようになじみの店に出かけている。もう一ついえば、パチンコなどの娯楽施設は全くないので、開店前に並んでいるような人はなく、朝早くから日中はまじめに仕事をしている。長い休暇だけが楽しみで、自然豊かな場所にキャンピングカーで行って過ごす。勤務は正社員もいるが、パートを掛け持ちしてる人も同じくらいいる。女児の話から飛び火したが、やはり感覚が違うのだ。外国の場合、連れ去りより暴力沙汰が多く、金のない子供より大人が犠牲になりやすい。これもまた違う。
昨日は12時間リレーの歌番組があった。後半は縁の薄い若者の物で見なかったが、前半は懐メロを年代を追っていて、ずっとTVをつけっぱなしで見ていた。特集があって、美声の人間を集めて即興コーラスをする、というのがまず面白かった。和尚や、バスガイド、メイド喫茶の店員、野球場のアナウンスなど職種も多岐に及び、機械で判定した点数をもとに集められたのだが、この機械なかなか優秀で発声練習を一人づつさせたところ、本当に声が綺麗で、数十分の練習ながら、音のはずれも無く、ほぼ完璧だった。一時期コーラスをしていたとき、心狭き私は、どうして歌も下手な人が入部するのだろうと、本音では迷惑がっていた。傲慢な人間だったと思うが、人には天分があって、ある程度までは努力ながら、それ以上は無理な事になる。声はその要素が大きく、綺麗な声の人はそれだけで有利なのだ。ただ昨日、懐メロを聴いて思ったのは、日頃より発声練習を怠らない人は、年をとっても声にハリがある。今日になって早速気に入った歌手のベスト盤を2枚購入した。その後、寅さんを観た。邦画は殆ど観ないし、寅さんシリーズも全く観ていなかったが、最近特集でやっているので試しに観たら、はまってしまった。ノスタルジーともほのぼのともまた違ったニュアンスの良さがある。役者の個性も生きていて、みな等身大で無理なく演じている。この映画、やはり違う、と感じた。