かふぇ めらんじぇ

und SchwarzwaelderKirschtorte mit Sahne

2012-07-30 06:39:29 | 日記

オリンピックを見ていると、先週の親が映し出されることがよくある。一般の観戦者とは、やはり目が全く違う。子供にかける思いの深さがひしひしと伝わってくる。父を亡くした私には、羨ましくもあり、胸に迫る思いもあり、辛さもあり、今回は、いつもとは少し異なるオリンピックとなった。日本を含めアジア勢が頑張っていて、欧米人優勢の今までとは勝手が違っており、予想より面白い。ただ、昨日の柔道のジャッジなど見ていると腹立たしいものもあり、水泳や陸上など、結果がはっきり出るものはよいが、人の目で判定するなどというものは複雑な感情が出る。開会式もなかなか楽しめた。イギリスにはあまり良い感情を抱いていなかったのだが、誤りだったのかもしれない。難しいことだが、気持ちをリセットして、長期にじっくり旅行してみたくなった。十分な時間と丈夫な体が欲しい、若さというのはやはり何物にも代えがたいと、当然ながらしみじみ思うのだ。

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夏バテ

2012-07-27 11:47:06 | 日記

東京は高温注意報が発せられ、連日暑さが続いている。幸いなことに通院が7月はもうないので、熱射病にはならないと思うが、投薬や注射の副作用で熱が出るので、かなりばてている。体がだるくてやる気が起きず、事がはかどらない。コップを何個も割り、サラダをひっくり返すなど行動も危ういので、じっとしているしかない感じである。昨日少し早いが鰻をいただいた。今年は高騰で大変なのだが、例年生協から購入している大隅産のものが値段も手ごろなうえに、解らない店のものよりはずっと美味しく、とてもレトルトものとは思えない。いつもは心太やもずくをすすっている私も、少しだがお相伴した。だが、今日はまた暑くて、いつも通りヨーグルトとメロンに舞い戻った。明日からは憂鬱な投薬で、もっと辛くなるが、逃げるわけにもいかない。オリンピックが開催されるロンドンは快適な気温のようだが、他のヨーロッパ諸国は高温のようである。といっても日本と違い湿度はなく、朝晩は涼しい。明るい時間の夕食をまったり、ゆったり外で楽しむ。夏のヨーロッパの至福の時である。オペラも劇場もOFFながら、この時期の魅力もまた捨てがたい。かば焼きは食べられないが。

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外貨

2012-07-26 11:19:54 | 日記

記録的なユーロ安が続いていて、換金する身には大変にありがたい。霞が関は内幸町や虎ノ門が近く、金融機関には全く不便がなく、もっと有り難いことには毎日銀行が一角に出店していて、朝依頼すれば夕方受け取ることができた。そういう場所にいると、それが当たり前と思ってしまうが、離れてみると大変不便である事がわかった。まず取り扱う銀行が限られていて、片隅に両替機が置いてあり、一定の額を均一化したパッケージで販売している。小額の紙幣なので、厚くなり不便が生じる。また扱う枚数が限られ、無くなれば購入することができない。販売する方も慣れていなくて、機械が壊れたりすると本当にお手上げ状態なうえに、銀行も縮小を計っていて、行員も削減されているので、より良いサービスを期待するのは難しい。そのため関連会社に業務委託している銀行もあり、そこだとスムーズなのだが、もっと数が少なく、交通費をかけ出向かなくてはならない。しかしそれでもトラブルがあった時のストレスや、時間的ロスを考えると、無理してもこちらに出かけた方が良いようだ。東京でさえこうなのだから、地方ではもっと大変だと思う。これだけ旅行客が増えてもこんな状態である。証券会社が販売しているが、素人にはまだまだ敷居が高い。帰りに素敵な店を発見して昼食を促されたが、外食するにはお腹の調整が必要な私には入っても殆ど食べることができないので諦め、まあここを発見しただけでも良いか、と帰途についた。願わくば今度入った時大変美味しい店であればと思っているが。

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団扇

2012-07-25 11:37:23 | 日記

梅雨があけて猛暑が訪れた。病院通いの私は、昨日歩いている時、見知らぬ女性とすれ違った。途端、柔らかな風が、すっと通りぬけた。彼女が持っている団扇で風を送ってくれたのだ。お礼を言って温かい気持ちになった。この駅は居住地からは一番近いが、都心まで若干時間がかかるので、あまり利用したことがない。古くからの居住者が多いが、女子大生も多く、気取ったところもなく、治安もよく住みやすいところである。ドイツにいると常に差別にネガティブになっているので、このような行為をされると、何か自分が悪いことをしたのではないか、相手に何か言われるのではないかと思い、眉をしかめ見上げることが多くなる。おどおどしたり、声が小さかったりすると、なおのこと攻撃されるので、しっかりと相手を見据え、負けないぞ、と肝を据え立ち向かうくらいの心根がないと、とても暮らしてはいけない。だから日本でこのような事があると、とても優しい気持ちになれるのだ。ただでさえ、暑くて疲れる昼日中、清涼飲料水をもらったような気持ちで、都心に向かった。いつも自分の体のことだけで精一杯で余裕がないが、団扇であおぐぐらいは、人を選んで実施してみようか、とも思うが多分私にはできそうもない。

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2012-07-23 06:56:45 | 日記

朝ドラのヒロインが恋人と離別した。留学し、米国で研究者としての道を進もうとする恋人が、臨床医として開業するヒロインとは、結婚という長い生活の中では、必ずや意見の相違を見る時があり、その際にヒロインのことが好きで嫌われたくないという感情に負けて意志を曲げてしまう、それは研究者としては本意でない、という理由からだった。このような別れ方は本当に辛い。恋人時代の別れといえば、別に好きな人ができたとか、気になっていた嫌な部分が我慢ならなくなってきたとか、そんなことが多い。ところが、このような別れは、相手にも自分にも落ち度なく、好意を持ったまま別れる。当然、相手には配偶者も子供もできる可能性があるので、噂などで事実を知るたびに複雑な気持ちになるだろう。起床してきた夫にこの話をしたところ、あっさりと「それは、結局彼女が選ばれなかっただけだ」という。友人で高校時代交際していた人が九州の大学の医学部に入ったとき、「研究者になるつもりだが、自分の人生に君を巻き込むことはできない」と言われ別れた人があった。その事を思い出し、男性はこのような考えをするものか、と思った矢先だったので、なにか拍子抜けした。しかしもし、相手に十分な魅力と能力があり、自分の立場や力など深く判断し、それを超えるともし判断できたなら、私なら、潔く自分の道を断つだろう。それは研究というものがどれほどに価値があるものか解るし、それを助けるのもまた同じく価値がある。相手をなくすことの方が後悔につながると思うからだ。人間、何かを選ぶには大切なものを捨てる覚悟がいる。両方欲張ることはできず、選んだからには相手に責任を転嫁してはならない。しかし、それも相手が受け入れてくれた場合のこと、拒否されればこれも潔く諦める。もちろん辛い。それでも自分を見据え誠実に生きていれば、きっとなにか大きな喜びの見返りがある。そう信じなければ、とても人生を歩いて行けない。

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サンダル

2012-07-18 12:15:38 | 日記

昨日梅雨が明けた。携帯のニュース速報では、39度を超えた地域もあり、暑い一日だった。病院の予約があったのだが、混んでおり、検査にも支払いにも、とても待たされた。私は、この病院に通うまで、原因や治療法がわからず、いろいろな病院を次々と廻された。通院するようになった今も、検査結果データを研究のために提出したりと協力している。通い始めた当初はこれほど患者はおらず、かなりの重篤か、極めてまれな疾病で受け入れ先がこの病院しかない、という人しかいなかった。ところが今は、車いすの数も足りず、入院するにもベットがあかず、研究を第一目的としている病院の役目さえなかなか果たすことが困難になっている。もっと困るのは、モラルの低下した患者が増えたことだ。廊下を走る子供、何人もで横に並んで歩く、あるいは通路の真中をよけることなく歩く、大声で会話する、必要ないのに車いすを使い、置き去りにする、などなど言い出せばきりがない。最近では、肌を露出した洋服にピンヒールなサンダル履き、あるいは、下駄のようなサンダルを高らかな音を立てて歩く。レントゲンを撮影するのに金具付きの下着や、ストッキング履きの重装備の女性もいる。特定救急病院をなんと心得ているのだろう。暑さと痛みと検査結果の説明にほとほと疲れ、銀行や、旅行会社によろうとも思ったが、もうその気にならなかった。この体になってからは、ついでの用事、というものが全くできない。でもそんなことは何とかなるさ、と気持ちを切り替えて帰途についた。

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早朝

2012-07-17 03:53:50 | 日記

テレビで「母が朝2時に起き、弁当を作ってくれた」といった人を見て、夫に2時が朝?と思わずきいたら、早朝だ、という。私の感覚からすると、2時は夜、3時は夜中、4時は未明、5時は早朝、6時で朝である。入院していると意識が違ってきて、夜が苦痛になる。とにかく早くあけてほしいのだ。早朝シャワーを浴び朝食までの時間、有意義に過ごすのが唯一の安らぎになってくる。自宅で投薬がない日も、時間を経る事に体力が低下するので、朝食を準備し、掃除をし、夕食用にスープを仕込み、宅配サービスの箱を準備したりと忙しく過ごす。朝は苦手なのだが、どうしようもない。朝刊を読み、インターネットを覗き、頭が働けば、勉強をする。これも問題があり、うまく理解できないと、一日がかりでやっている。できなくてもあきらめずに続ければ、どれほど難解なフレーズや、文法もいつかできるようになると勝手に信じている。何年も前から、ワールドニュースを毎朝かけっぱなしだが、時事問題や政治、金融などが主流であるので、語彙が難解で全部を理解するのは、英語でも今だにできず、ドイツ語に関してはまるで論外なれども、やめることができない。語学は地道で上達が確認することが難しい。教材も二十年以上使用ししている物もいまだにある。他方、二時に起きて弁当を作ったことはまだない。

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価値感

2012-07-13 13:18:27 | 日記

スカイツリーの展望券をゲットするために、新幹線の始発で来たり、前日から並んだりした人たちがインタビューされていた。その漲った体力と気力には感心するが、私からするとそこまでする価値がどうも見当たらない。また、便乗してお土産品や、料理店が軒並み商品を売り出し、こちらも大変な騒ぎである。これだけ見ていると、日本はなんと平和な国だろうと思うが、実際は震災以後天災や、政治の混迷、世相の悪化など諸問題を抱えているのだ。私も今年の前半はいろいろな事が起こり、大変だったが、漸く重い腰を上げ勉強や、諸準備を、通院と投薬の合間を縫って、のろのろと始めた。しかし今まで、多くの飛行場を利用したが、成田ほど中心地より遠く、アクセスが不便なところはない。前泊しようと思っても、新宿からのリムジンは18時、列車は19時台で無くなってしまう。通勤電車も本数が少なく、混雑しているので大きなスーツケースを車内に、引き入れるわけにはいかない。これだけではなく出発前、準備する事は多くて、どっと疲れが出てくる。全て予約は必須だが、するにも直前というわけにはいかず、期間は短くとも回覧物や掃除当番が廻ってきたら困るし、防犯の問題があるので新聞を止めたり、管理会社に連絡したりと細々とした雑事がある。しかしこれもいったん出国すれば、みな切り離される。これが海外脱出の醍醐味である。日本にいればどんなに遠隔地でも、こうはいかない。成田が遠くて困るのくらい仕方がないか、と溜息をつきながらスーツケースのローラーの点検に取り掛かっている。

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名前

2012-07-12 08:36:52 | 日記

混迷の政界で新党結成があったが、スローガンをそのまま使った長たらしい名称を聞いて、思わずため息が出た。なにも時代錯誤の硬い漢字でものを使用しろ、とは言わないが、政党名にするには余りにも長く、「らしく」ない。また外国メディアの冷笑にさらされそうである。名前、というのは、人間も含め大変重要なもので、そこには命名者の期待、願いが渾身に含まれる。ところが変な話で、先日親から虐待を受け亡くなった子の名は「明日」らしい。皮肉なものである。肖るのも考えもので、病院などで大作家や芸能人と同姓同名の人が呼び出されると、どうしても視線が行ってしまう。字はメジャーだが、オプショナルな読み、というのも考えもので、夫もそうなのだが、送り仮名がなければ読まれることは稀で、本人は苦労し、また嫌がっていた。さりとて、一般的すぎるのも芸がない、というかどうでもよいような感じを受けることがあるし、命名とは本当に難しい。亡くなったパンダの赤ちゃんは命名されることなく逝ってしまったが、もし成長していたら何という名になったのだろうか、などともふと考えた。新党の名はため息ものだったが、応じてわが名の由来や諸処もろもろ考える機会ができて、なにか新鮮な気持ちになった。

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砂漠化

2012-07-11 09:51:15 | 日記

砂漠化とは、植生に覆われた土地が、不毛地になっていく現象で、対して、緑の植生を取り戻す事を緑化という。もちろん自然科学の現象なのだが、人間の心情にも当てはまるのではないか、と思うようになった。昨今、なつかないから、というような理由で父母や同居者から虐待を受け、亡くなる子どもや、逆に短絡的な理由で親を殺害するような少年もいる。自分勝手で自己中心的、というのが大きな理由であるが、もっと大きいのは、成長するまでの過程に触れ合う人物が極めて少なく、いたとしても影響を与えられるほどの人格の持ち主でない、ということではないか。また、とにかく大切にされ、主張だけは強く、我慢も辛抱することなく育つ為、善悪の判断はもとより、自己への判断も甘く、基準がずれてしまうのではないか、とも思う。大学の高等教育を受ける学生の中にも、個人的な理由で発表が間に合わないから期限を延ばしてくれ、などと平気でいう者も少なくないが、悪びれてもいない。理由など関係ない、やれなければ、できなければそこで終わり。学問とは本来そういうもので学問に限らず、これは社会生活の基本である。しかしそれだけでは気持も荒む。そう、砂漠化。だから色々な細かな経験を積む中で、ささやかな喜びを見出していく緑化。人もまたその繰り返しなのではないか、などとも考えるのである。

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2012-07-10 08:27:41 | 日記

夫は徒歩で通勤するが、途上に高木の並木道がある。高校の通学路にもなっており、その他にも留学生の宿泊施設や、旧公団のマンションや、某大企業の社宅があるので、子供を含め人通りもこの付近にしては多い場所である。そこを日除けに、ベルリンから買って持ってきたエンジ色の帽子を被り、かなり早足で歩いていたら、いきなり頭に何かが当たったような衝撃があったので、何だろうと頭上を見ると、樹木の上に烏の夫婦が巣があり、どちらかはわからないが、襲撃してきたらしい。烏の大きさや、嘴の形状を考えると、よくけがをしなかったと怖ろしくなった。反面、通り魔でも猿でも、卑怯な輩は、弱者を選んで行為に及ぶが、この烏たちは、その区別なく人間と見れば襲うので、なかなか気骨があるものだと変に感動した。しかしいずれにしても、危険であるので、今後はヘルメットでもかぶってほしいが、いうことは聞くまい。ケア用品で、帽子の中にヘルメットが内蔵してあるものを発見したが、デザインいまひとつなうえに、この炎天下、なかなか厳しい。日傘も効果的には思ったが、男性用のパラソルは少なく、さりとて、レースやヒョウ柄では問題が生じる。難しいものである。幸いにも歩かない私は被害にあっていないが、人間、いつどんな事が起こるか分からないので、油断はできない。案山子や的をとりつけるなどもできないので、ネットの口コミでも参考にいろいろ考慮している最中である。

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外食

2012-07-09 06:56:34 | 日記

金曜日に検査があって出かけたが、時間が遅くなったため、夫と待ち合わせ夕食をとって帰ることにした。駅前にファミレスより少し高級な感じのチェーン店のイタリア料理店があるのだが、場所柄いつも混んでいて落ち着かないので、あまり行ったことがなかった。しかし面倒なのと夕食をとるのには早い時間だったので、入ることにした。結構ボリュームある内容でテーブルも広々と使え、リーズナブルな内容なうえに、料理の量がレギュラーとスモールで選べるので、なかなか考えられているな、と思ったが、ふと周りを見て納得した。半数近くの客が、家族連れでそれも母親が一人で、子供を連れた、今まではあまり見ない例だった。子供は慣れた感じでうるさく騒ぐでもなく、きちんと座って食べ、長居せず行儀よく立ちあがり大人しく帰っていく。もちろん、女性だけの客や、カップルもいて、ワインなどあけているが、その中でも、違和感なく溶け込んでいて、互いに不愉快な感じは見受けられない。なんとも不思議な感じだった。しかし、母親だけとこんなしゃれたレストランで金曜日に夕食をとるなんて、なんとも羨ましいことである。そういえば近所の夫婦は週末は3食とも食事をとりに、どこかへ出かけていく。平日も買い物をして帰ったりもしないし、宅配を利用している感じでもないが、生活形態は時代とともにかなり変化しているらしく、夜10時ころまで、同じように子供を連れた女性が家に集っている。8時には寝ていた私たちのころとは大違い、これもまた羨ましい。

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オール電化

2012-07-06 11:59:44 | 日記

家を買う時に物件を見て回ったがオール電化、24時間空調で換気し、設定温度も常時一定が売り物の住宅が少なくなかった。リフォームで床暖房を入れた時も、電気を勧めてくる業者もいた。しかし、原発事故の補償の煽りを受け、電気料金の値上げに加え、オール電化住宅に限って使用できた安い料金設定も排除になるらしく、それを見込んで購入した顧客は大打撃を受けるようだ。なにかだまされたような気持ちになるのは、当然の事のように思う。かといって、オール電化をやめるにもまた高額な料金と手間がかかる。この会社は、大きな病院や、社宅、保養施設をかなり持っており、給料も高額である事は周知の事実だが、まだ全て処分や廃止の状況には至っていない。全ての従業員や退職者に責任を負わせるのも吝かではないが、このような状況に至った以上、止むをえない処置、避けることは難しい。公務員の退職金や年金の優遇も廃止される見込みのようだ。生涯賃金の設定の割合の中での違いなのではあるが、これも納得させるには、民間、公務員双方共に難しい。本当に何とも生きにくい世の中になったものだ。

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Seniorenteller

2012-07-05 09:00:16 | 旅行

ドイツでは、お子様特別メニューがなく、歓迎の表記もないレストランに、子供連れで入ることは難しい。店舗もそうだが、乗り物にもかなり気を使う。犬は大人しく足元にいても大丈夫なのに、何とも奇怪な話に思われるが、やはり必要なのではないか、と思う。日本で行儀の悪く騒ぎ走り回る子供がせっかく予約したレストランにいると、キャンセルして帰りたくなる。寛容は必ずしも美徳ではない。ファミレスやファストフードなら期待もしないし、仕方ないと我慢もするが、本音はやはり御免こうむりたい。お子様メニューをドイツで見たことはないが、彼の地での量を考えると、頼めるのならお願いしたいが、ドイツ人の気質や作るコンセプトを考えると多分無理だろう。最近知ったのだが、その他に標題の「年配者むけメニュー」を用意するレストランもあるらしい。料理内容は同じで量だけが半分で提供される。値段はさすがに半分とはいかないようだが、食べきれなく捨てられる事を考えると、この方がずっと良いと思う。もちろん余っても、持って帰りたいと言えば、高級なレストランでない限りは、包んでくれるとは思うが。こちらも日本ではあまりなじみがないが、ドイツでは普通の話で、六本木のドイツ人経営のレストランで、ドイツ女性二人組がいた時があり、時間がなくなったのか、量が多かったのかわからないが、余った料理をパッキングしてもらっていたが、なんとも微笑ましく思えた。ただ、日本人感覚ではなにか気恥かしくて言いにくいし、前後に観劇やコンサートなとの予定があると、さすがにできないが。シニア向けメニューも多分私達に注文するのは無理だと思うが、興味があるので、今度渡独の折にはじっくりメニュー表を研究したいが、眺めていると注文を取りに来ないし、肉か魚かぐらいはわかるが、「魔女風の・・」だのわけのわからない副題がついていたりして、一つ一つの料理内容を即座に判断するのは結構難しい。得てしてドイツ人はかなりせっかちで、下手すると怒らせてしまう。手書きも多くて読むのも一苦労であるが、観光客向けの英語のメニューが用意してある高くてまずいレストランや、インビスだけに行っているのも悔しいので、嫌がられても頑張りたい。

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サンドイッチ

2012-07-04 09:40:59 | グルメ

薬の副作用などで、胃腸の調子が悪く、また、通院で規則的な食事が取れないので、自宅にいる日は、ひたすら食物を抜いたり、内容を考慮したりと、自己調整しなくてはならない。食物はもちろん胃で取るのだが、脳に訴える視界からによることも大きな要素なので、いくら調子が悪くても食べてしまい、後々辛い思いをすることがある。よく外食は辛いので弁当持参、という方もいるが、弁当までの量もいらず、また炭水化物がだめな私には、それも体に合わない。チョコレートや缶コーヒーでごまかすが、糖分の節制も指示されているので、これにも問題がある。なんとも困った体である。サンドイッチは軽食で食べやすく、昔はとても好きな食べ物だった。今でもドイツにいれば、ライ麦パンにクヴァルクを塗り、水をしっかり切った野菜にチーズやシンケンを挟んで作るが、自分では殆ど食べれない。結構サンドイッチには思い出があって、高校時代下宿先で、一年中ソーセージ2本とピーマンと卵2きれのメニューに変化ない弁当を3年間持たされていた私には、おこずかいで買う購買部の薄い卵サンドが大変なご馳走だった。また、勤務先で野球大会の時、先輩の省員が差し入れてくれる老舗とんかつ店のカツサンドが、大変美味しくて、余れば、しっかり頂いて帰った。入院した時に知人の女性が病院食を気の毒がり、毎日のように作ってくれたサンドイッチも懐かしい。サンドイッチやおむすびは、他の食事とまた違い、手を直接ふれて手間をかけて作るので、制作者の気持ちがしっかり埋め込まれている特別な食べ物に思う。勤務先にあまり体のお丈夫でない方がいらして、特別な会食の日以外の昼食は、ほとんど食堂のサンドイッチを召し上がっていた。ある時私も昼食にサンドイッチを注文し、待っていたら、その方の分も一緒に持っていってほしいと頼まれた。持ち帰り開けてみると大変リッチな内容である。作る人はもちろん一定でないのだが、その時は、古参の女性従業員で聞けば、彼の注文とわかると、内容や量が微妙に違った物をこっそり用意するのだ、という。この従業員は夕方、時々ケータリングのサンドイッチなどが余ると部屋の入口に来て外から私を呼び、こっそり渡してくれることもあり、とてもかわいがってもらった。良い方というのは年月が経過しても、ふと思い出すものだ。まる眼鏡に年中半そでで明るくふるまっていた彼女の笑顔が懐かしく思い返された。

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