かふぇ めらんじぇ

und SchwarzwaelderKirschtorte mit Sahne

222

2013-02-26 15:07:23 | 日記

2月22日は、白バラで知られるゾフィー・ショルの命日であった。ナチに抵抗しビラをまいた若きミュンヘン大学生の彼女は、兄を含めた仲間と共にこの日処刑された。21歳の若さであった。数年前にリリースされた映画の中で、処刑前の最後の面会の時に、母親の「もう逢えないのか」という言葉に、彼女は「天国で逢いましょう」と答えた。二人の子供を失う親の苦しみを思っての精一杯の発言だったのだろう。映画ではなかったが、この時サンドイッチだったかの差し入れを母親が持参し、兄は、もう数時間で命が亡くなる人間には不要だ、と口にしなかったが、ゾフィーは、お腹がすいているから頂く、といって美味しそうに食べた、という。最後の記憶にとどめたかったのだろう。うつむき加減に、くわえたばこの痩せた姿が、象徴的な写真として残るが、果たしてそれが実像だったのか。アウシュビッツに処刑された政治犯の写真が複数展示されている。その中に笑っている顔が少なくない。出来得る精一杯の最後の抵抗である。平和な時代であれば落とさなくてもよい命、そしてその先人たちの礎の上に我々は存在する。別件になるが、2度ほどお世話になった住居のオーナーは、亡くなった妻のことを「天国で神のそばにいるのだから良いのだ」と話していた。キリストの深い教えがそこに感じられた。キリスト教といえば、異例のパパベネディクトの引退により、カソリック総本山では、コンクラーベがまた行われる。高齢で身体の不調を圧して尽くしてきたその姿に、信者ならずとも心からの敬意をおくりたい。

 

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電話案内

2013-02-25 16:35:56 | 日記

私は、パソコンでネットも使用し、その手軽さと素早さと便利さの面は認めるが、アナログの部分もおろそかにしてほしくない派である。対面で直接販売や契約したり、電話で問い合わせれば、やはり安心感がある。しかし昨今では、経費による人員を削減問題があり、電話をしてもなかなかつながらなかったりするので、とにかくいろいろな対応に時間がかかる。今日もそのために半日費やした。会社に勤務する人間では、とてもやっていられない。企業の方も解っていて、HP上に問合せ先の電話番号の記載を目立たなく、あるいは有料電話にするなどの工夫の気配が覗える。ただ繋がれば、とにかく懇切丁寧、つまりは、逆にネットで、バッシングされないように考えてのものではないか、と思われる。携帯電話からタブレットやスマホがあふれ、電車内、歩道、いたるところで大勢の人間が一心不乱に使っている様は異様にも思われるが、もうそれがなくては社会が成り立たない感じである。たしかに海外では、本当に便利なもので、時差に関係なく、安く気軽になんでも調達でき、日本との距離も感じなくてすむ。短期の旅行であれば、そのまま携帯の端末も持って行けるし、電話を受けるもかけるも国際認識もいらないので、言葉や番号を覚える面倒くささもない。タブレット端末には音声翻訳アプリもあるので、端末に大声で日本語を怒鳴れば、各国語に訳して発音してくれる。先日グーグルでベルリンのマップで居所を検索したら、しっかり現れて、嬉しいのだが、なにか複雑な気持ちになった。でもアナログ人間は消滅も絶滅もせず、少数にはなっても必ず存在する。それだけは忘れては欲しくない。

 

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猫の日

2013-02-22 17:30:55 | 日記

今日は猫の日だという。アレルギーがある事と、実家家族が好まなかった影響で、飼った事がなく、本音を言えばなるべく近づきたくない生物である。猫に限らず鳥やハムスターも苦手で、爬虫類などとんでもない。魚も遠慮したい。だから尋ねていったお宅にこのようなペットがいると、思わずマスクと手袋をしたくなる。アレルギーをもつ人間にとっては、とんでもなく怖ろしい事なのだ。食物に出る人も本当に大変で、特にエビ、カニなど甲殻類にあると、だしなどに使っている可能性があるので、実物が出されていなくても注意は怠れない。本人はもとより、同席者にも気を遣わせるので、外で誰かと、一緒に食事するのを遠慮するようになってしまう。それでも死ぬわけにいかないので、我慢するほかない。被災して援助物資しか食べられない状態になったりすると、大変な事になる。物資は、炭水化物が殆ど、それに出ると、食べることはできない。ところで最近の猫は子犬ほどに大きい。キャットフードなどの食料で栄養に恵まれているからだろう。サイトでも愛猫家が沢山投稿している。不思議と研究者仲間には猫を好む人が多い。我が家では絶対飼う日は来ないと断言できるが。

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複雑さ

2013-02-21 17:00:06 | 日記

三人の死刑囚に刑が執行された。どれをとっても極悪非道な事件で、極刑は免れないと思われるが、死刑に関しては賛否両論で、正否完全に分かれる。しかし聞けば、刑はたとえ終身刑であっても、数十年後には出てくるケースが殆どという。更生、というが、繰り返す人間はいるし、罪を犯した人間がたとえば周辺にいれば、気にならないわけはない。それが原因でまた犯罪を犯したりするケースもある。司法、というのは大変に難しい選択である。無免許で居眠り運転、子供の列に突っ込んで死傷者を出した少年は、5年から7年以下の刑、遺族としては耐えきれない思いだろう。しかし今回の死刑に関しては、ある理由があって複雑な気持ちになった。ある人の父をたまたま知っていた。もちろん私生活は知らず、言葉を数回交わしただけだが、とても良い印象の方だった。心情はもちろんわからない、しかしやはりなにかと考えてしまい、とても重く暗い気持ちになった。犯罪は起こした側も被害にあった側も、周辺や、家族の者に計りしれない苦しみを与える。自分本位の身勝手さの極みを十分に感じてほしいが、果たして執行された人間はそうあっただろうか。

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藪そば

2013-02-20 14:39:37 | 日記

老舗の蕎麦屋が全焼した。いつも混雑しているので、夕方早い時間に一度だけ行った事がある。番台というのだろうか、名称がよくわからないが、女将さんのような人が座っていて、語尾を引き延ばした口調で迎えてくれる風情の或る店だった。食後、近くのやはり老舗の甘味屋に寄る、というのがお決まりのコースだった。この界隈は東京の中心部だが、古い店が多く文人にも大変に愛された。また、大学も多いので、学生時代馴染んだ人も少なくない。店主も、客も数代続くような店が軒並み連なっている。浅草や上野ともまた趣きが違う。戦火も免れた貴重な店が、一晩で無くなってしまい、惜しむ人たちが大勢駆けつけた。食は大きな文化、蕎麦は、日本食を代表する食べ物の一つでもある。帰りの便の機内食に固まったような蕎麦がよく一口出てくる。藪そばと違い、美味しいとは決して言えないが、なぜかホッとする。上質なカツオと醤油の香りを「蕎麦」という語を聞くと同時に立ち上る。だからこそ日本で食す蕎麦は、不味いものはとても許し難く感じる。

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超小型電気自動車

2013-02-19 10:33:52 | 日記

超小型の二人乗り電気自動車が発売される予定で、抽選で決定された人による試乗が行われた。縦に並ぶ座席で充電4時間で100キロ走行する。高速道路には乗れないが、街中を乗り歩くには十分だという。車庫を潰してしまった我が家でも、これなら何かと便利かと一瞬考えたが、それでもこの周辺の道路の状況を鑑みると、まだまだ危険だ。それに自転車の悪走行が横行する昨今、モラルの薄いユーザーがこぞって購入し、またとんでもない事態を引き起こす可能性も捨てきれない。今後、座席が横並びの物も開発され、さまざまなニーズに対応できるようにするらしいが、期待もこの件があって、まだ消極的だ。購入することはないと思うが、自転車被害が増えた一因にバス本数の少なさと、値段の高さの影響の大きさは否めない。往復利用で420円、スタバで珈琲を飲めたり、週刊誌も購入できる。せめてその半額程度にして、本数を十分か十五分に一本にすれば、緩和されるかと思う。駐車場もいらないし、路上駐車もなくなり、悪質自転車も減り、駅前商店街も消費が増え、活性化するとは、行きすぎの考えだろうか?

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ヴァレンタイン

2013-02-18 16:46:37 | 日記

他人のバレンタインチョコを盗んで捕まった男性がいた。なんでも500円程度の義理チョコを集団住宅の敷地内の自転車かごの中から、というからなお驚いた。どうしても欲しかったという。それなら自分で買えばよいのに、と思うが、そういうものでもないらしい。かたや某タレント事務所では、処分しきれず廃棄しているという。こちらはおそらく高級チョコレートだろう。もったいない話である。これこそどこかの団体に寄付するとか、義捐金に変えるとかなにか有用な方法があるはずである。私も微々たるものだが、この義捐活動に貢献した。ドイツブランドにミルカがあるが、日本のものとまた違い、カロリーが高く、このチョコのために肥満になるのかもしれないとさえ思うほどだが、これがやめられない。ビール、チーズ、チョコは生活上の三種の神器(とは言うまいが)で、いつもストックしておき、週末、買い物できない時に無くなると、不安でたまらなくなり、わざわざ駅の売店まで出かけて行くほどである。LHの国内線飛行機内サービスは、このミルカのステックが、ドリンクと共に提供される。沢山の種類があり、なかでもヘーゼルナッツとドライフルーツ入りのがおすすめだが、前述の通りカロリーが高い。我慢してローファットのものも食べるが、やはり美味しさが違うので、とにかくちびりちびりと少しずつ食すが、目を離したすきに夫に奪われるので油断禁物である。といっても義理チョコの値段の数分の一、ましてや自分のために買ったり、女子同士で送りあう高級チョコレート店のチョコの値段とは雲泥の差である。個人的には、チョコとはやはり気軽に食べられるものであってほしい。来年のヴァレンタインには誰かから貰えるといいですね、おもわず祈ってしまった。

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30分

2013-02-15 11:36:01 | 日記

文系大学生の一日の平均勉強時間は、30分余り、一週間になるとほぼゼロになるというデータが発表された。大学時代はかなり遠い私でも、一日数時間は机に向かい、硬くなった頭と弱まった記憶力と必死で戦っているのに、である。理系になると少し増えるらしいが、それでもたかが知れている。なにかとても悲しい気持ちになった。学問とはこういうものなのであろうか。昨日、ある書店で今年のカレンダーのバーゲンをしていて、ふと見たら、大きな壁掛けカレンダーで、グリム童話の挿絵、裏面はドイツ語の物語がびっしりと書いてある。中は見れないので迷ったが、2900円ほどのものを、400円で購入できるというお得さに目がくらみ、早速購入した。ところが、これが大変よくできていて、当初怪訝そうにしていた夫の方が、夢中になり、朗読して楽しんでいる。私の誕生日がすぐだったので、とても良いプレゼントになったが、今年一年は、これの翻訳に悩まされる事だろう。提言したい。学生たちも時間はもとより、長い期間勉強から離れないでほしい。無駄は勉強に限っては存在しない。好きな分野で良いから。

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食物連鎖

2013-02-13 14:27:37 | 日記

生態系の崩れは、ますますもって深刻化している。乱獲により、または逆に捕獲できない事で、捕食、被食のピラミットが壊れてしまい、結果絶滅危惧種として特別に保護が必要になる。これとはまた別に勝手に持ち込んだ外来種が増えて、土地や作物を荒らされたりすることもある。殆どは人間の手によるもので、行ってから、アッと思っても時すでに遅い。生物の領域はいわば神の決定した領域、そこに足を踏み入れた者への強い警告といえる。これは動物界においての事だが、昨日は某国の核実験のニュースが流れ、恐怖におののいた。もともと何をするか解らない国家だが、行う行為の中でも最も危険で怖ろしい事である。チェルノブイリのようにはなってはならない事である。この国の事を「ドラえもん」のジャイアンのよう、と置き換える人がいて、何とわかりやすい表現と思ったが、もはや、そんな悠長な事を言ってはいられない。人類が核で滅亡してしまえば生態系の食物連鎖どころでない。断固として抗議して戦い、絶対阻止しなくてはいけない。それには地球上の人間の強い団結と希望が不可欠と強く思うものである。

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近火

2013-02-11 09:10:55 | 日記

この付近には著名人や、有名人の住居が少なくない。どこも門を堅く閉ざし、厳重な警備がしかれており、表札も本名なので、気がつかない場合もあるが、不思議となにか気配や雰囲気が漂っているもので、タクシーに乗った時に運転手などに聞いてみると、やはり、というケースも多い。先日ある俳優の自宅が全焼した。見るも無残な状態で、家財財産ほぼ全滅、何も残っていないらしい。原因不明ということだが、数ヶ月前から不審者の気配があり、当人は木刀など用意し、物音が聞こえると出ていって、見回っていたという。くよくよと沈んでいると思いきや、テレビ出演を見れば、実際はは相当辛いと思うが、さばさばとしていて、受け答え明るく、本来のキャラクターと性分で、人を笑わせるユーモアを忘れてはいない。見ているこちらが逆に笑い、励まされてしまう感じである。このような人は誰からも愛され、本当に得な人格である。もっとおかしかったのは、飼い犬のレトリバーの名前。サダムフセイン号というらしいが、名前のインパクトも相当なものながら、あまりにも長名、なんと呼んでいたのだろう。短くすれば、日本女性の古い名前のようで、変な感じがする。最近あまりドラマでお目にかかっていなかったが、幸か不幸かこの件で、テレビに再び多く出演してきそうである。言葉は選ばなくてはならないが、楽しみに思っている。

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聖職者

2013-02-08 10:05:52 | 日記

派遣登録の僧籍未所持の見習い僧に通夜の勤行を任せていた寺院があった。人手不足が原因というが、この見習い僧はインターネットから別僧の話した有り難い文言を、わが身の経験に置き変え弔い客と亡き者への講税とし、わからない事ははしょってごまかしたという。属する本山の寺にはお伺いを立てたが、知らぬ、存ぜぬで、全く役に立たない。しかし依頼した遺族は、200万もの布施を渡したという。怪しい団体宗教ならいざ知らず、長い歴史と信仰篤い住民の菩提を弔ってきた寺で、このような事をされるのは、本当に信じ難く、退廃している状態を想像させる。個人的意見であるが、教職者と聖職者だけには、このような事は本当にしてもらいたくない。行為は同じであっても他の職業人がするよりもなお、汚い行為に思われ、喪失感のような虚脱感が強く襲ってくる。教職、といえばこんな投書もあった。手をあげれば体罰で負ける事を知る児童から、「ばばあ」「死ね」との暴言を浴びせられても、ひたすら我慢を余儀なくされている指導現場の実情である。どちらも異常に歪んだ歪んだ複雑な背景を物語る。これでは本当にまともな人間はとても我慢できなくなるだろうし、それはこれからの社会の行く末を暗示する。子育て支援だなどと大口をたたく政治家や保護者に、もっと基本的なところから指導と見極めをお願いしたい。早急にしないと、子の成長は早い、本当に取り返しのつかない事になるように思う。

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大気汚染

2013-02-07 10:00:38 | 日記

中国で問題になっている大気汚染が、今日にも関東地方に到達する。普通のマスクは全く役に立たず、肺に疾患をもった人や、高齢者、子供は特に危ない。喘息を引き起こす可能性もある。部屋にいる間は、空気清浄機を常に回し、どうしても外出しなければならない時は防塵マスクが必要である。軽く考えている人が多いが、これは大変な事態である。肺の機能、呼吸器は生命にかかわる。未明にゼイゼイと気道が狭まっていき、やがて呼吸が出来なくなるのではないか、という恐怖は罹患者でなければ解らないが大変に恐ろしい。反応しない人には大凡無関係で、同じ空気を吸っていても、かたや鼻水が少々増える程度、こちらは気をつけていても体が察知し、状態を悪化させてしまう。初めてこのような呼吸器の悪症状が認められた時、原因がわからなかったが、空気中か土壌かあるいは家屋の一隅に何かアレルギーを引き起こす物があった事は事実だ。その後また別要因で再発を何度も繰り返した。ところが、その居所を離れた途端に症状はよくなり、発作は出なくなった。別な地に住んでいた友人も当初新築した家に住んでいたが、やはり解らない症状で具合がよくなかった。大赤字を出しながらも家を手放し、別な地に移った途端、症状は全く出なくなった。この人も旦那さんには全く症状が出ず、彼女にだけ出ていたのだ。しかしもっと怖いのはその要素は決して無くなってはいない。いつどんな形でどんなふうに出てくるのか、常に恐怖を感じていなくてはならない。他国の環境汚染で犠牲になるのなどとんでもない話である。断固抗議し、改善と補償を求める事を強く思う。

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団十郎

2013-02-06 13:27:37 | 日記

勘三郎に続き団十郎までも逝ってしまった。どちらも個性的な演技で、真面目で実直で温かな人格ながら己には厳しい人だった。何度か舞台を見て感じたが、器用な天才肌で天性の花をもつというタイプではなく、それゆえに受け継いだ名の大きさとの戦いは如何に大変であったかと想像するに難くない。ただ言える事はこの二人はどちらも、本人の「分」というものを解りすぎるほど知っていた。そしてそれに対しひたすら低頭であった。それが舞台で伝わり感動を呼ぶのだ。梨園世界は担い手の看板役者を2人も相次いで失い、その期に新歌舞伎座がオープンする。残された若手を、残った数人の花形と重鎮で支え、新しい方向に持っていかねばならない。荒事のダイナミックな芸を披露する市川家には、名跡を継ぐ予定の者はいるが、人格的にも、演技もまだ未熟でなんとも頼りない。系図をみれば、ぽっかりとその年代が空いている。数年、数十年後に、そこに名に、残された者たちが繋がるよう、期待していきたい。歌舞伎は日本の伝統芸能の大きな遺産である。絶やすことなく衰えさせることなく守り続けたいものであるが、観る方にも問題がある。古語や筋を理解できない若者が増えているからだ。イヤフォンガイドも良いが、やはり声を生で聞き、理解したい。修学旅行でディズニーランドを周るより、ぜひこのような機会を設けてほしいと思っている。悲しいが、素晴らしい舞台をみせてくれた二人に心から感謝したい。合掌。

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傷ましい事件

2013-02-05 10:27:53 | 日記

3人乗り自転車で転倒して道路に投げ出された幼児が、トラックにひかれて死亡する事件があった。このあたりを見ても、道路は極度に狭いにもかかわらず、交通量は多く大変危険である。自転車専用道路などないし、歩道とは名ばかりで境界線を踏まなければ、大型化している車が多いので、車はとても走行できない。頑丈ならいいだろう、と3人乗り自転車は、幼児を持つ家庭ではよく利用されているが、大きいので車にひっかけられたり、歩行者にぶつかったり、また何といっても二輪なので、転ぶ可能性がある。後ろは見えないので子の状態も解らない。このような怖ろしい乗り物に、乗るにはそれなりの理由があるのだろうが、死をもってまで値するものなのだろうか。公共のバスを利用する、幼稚園は送迎バスの運行を、金銭の負担はあろうとも依頼する、または少し早く出て徒歩で行く、近所の同じような家庭と車をシェアする、など親の責任として当然必要な措置だと思うのだ。事件は起こってしまってから後悔したり、責任の所在を追求しても、亡くなった命は絶対に戻らない。アレルギーをもつ児童が給食をお代わりした中の食材に反応し死亡した事件もあり、教師が責任を追及されている。新聞の投書欄にもこんな言葉があった。子を守るのはやはり親、人生の一部分にしか拘わらない他人ではない。何がいつ起こるか解らないが、そのなかで最大限に注意して行動しなくてはならない。ましてやこのような特別な事情をもつ子供である。特別に弁当を持たせる、あるいは栄養士などの熟知した人間と別室で同じような児童と特別食を食べさせる、など方法はある。このような事件が起きれば、おそらく教師は自己を責め、精神的なダメージを受けるだろう。もしかしたらその者の人生をも台無しにするかもしれない。師は、親ではないし、親には絶対になれない。役目と責任を置き変えてはいけないと思う。

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ネイルケア

2013-02-04 10:33:24 | 日記

数年来、老若男女拘わらず、ネイルケアがすっかり定着している。残念ながら私はマニキュアを含め、行った事がない。見れば、なるほどファッショナブル、とは思うが、はげたりするのも嫌だし、コンタクトレンズをしているので、誤って目に傷つけるのも怖い。家事をするのにも心配だし、衛生上の不安もある。しかしそれよりなにより、薬剤の影響で、爪が弱くて、すぐに割れるので、伸ばすことができない。だが、もともとマニキュアが好きでないので、出来なくても、特になんとも感じていない。美容や化粧に拘りも愛着もないので、労力とコストと品質最小限で自分にあったものを行っている。エステも痩身も整形も興味もなく、多額のお金をかける気は毛頭ない。しかし、先日もフォアグラで書いたが、資産家の愛犬は食物のみならず、なんとネイルケアで、ぺティキュアをしていて思わず絶句した。犬に意思はないので、こうなると殆ど自己満足である。知人の犬は雨の降る日は足が濡れるので、散歩を嫌がるので、靴を履かせるといっていたのを思い出したが、その比ではない。彼女からは、新書を買うのも躊躇し、古本屋をめぐり歩く私などどどう見えるのだろう。価値観は本当に人によって違うが、歩み寄れる事もそう無い。私が犬を飼っても洋服も靴もペティキュアもフォアグラも大凡、必要には感じそうもない。

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