かふぇ めらんじぇ

und SchwarzwaelderKirschtorte mit Sahne

英国ワイン

2012-06-29 17:08:47 | グルメ

最寄駅近くの老舗酒屋にイベントスペースがあり、色々なメーカーが、時期を区切って酒や食品を紹介し販売してくれる。希少な国のワインをゆったりと試飲できるので、安くはないが、時々利用している。温暖化の影響で葡萄の生産や種類がかなり変化し、今までの水準で当てはまらない状況も多くなった。先日スペインの赤を初めて買ったが、かなり深くて、土の香りがするようなどっしりした味、2005と7だったが、2005は逸品だった。昨日久しぶりに病院が早く終わり時間が空いたので、少しのぞいてみたら、なんと英国物、驚いた。種類は少なく形はシャンパーニュのような瓶で、白とスパークリングが主流。なんでも温暖化の影響でピノノワールなどが採れるようになったとか。先日の女王主催の晩餐会に提供されたものや、某有名航空会社のファーストクラスで出されるものなどが並んでいたが、大変に高い。高くてもおいしければ考慮するが、試飲品もないので、失敗するのが怖ろしくて買えない。何しろ飲んだことがないので味の見当がまるでつかない。それに英国・・の食文化を考えるとどうも勇気が出ない。帰宅し夫の報告すると珍しく同調し納得していた。しかし温暖化はこれを思ってもやはり重要な問題だ。ところでこのスペース、7月はオーストリアやブルガリア、カリフォルニアなど美味しそうなものが目白押しのスケジュールとなっていて、酒飲み夫婦の私達の胃と財布には少々痛い結果になりかねないので、なるたけ傍に近ずかないようにしようと思うのだが、店長が私の姿を認めると出てくるので、無視することもできずなかなか難しい。しかも、ひと瓶買っても夫が8割方飲むので、割に合わなく少々悔しい。ワインだけは値段に比例し、美味しいものを飲むと本当に贅沢で優雅な気分に浸ることができる。ああ、やはり買ってしまいそうだ。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

計画性

2012-06-26 09:03:53 | 日記

早朝、医師から電話があり、診察予約がキャンセルとなった。定期的な仕事がないとはいえ、予定を大幅に変更しなくてはならない時がある。同じ病院に今日検査を受けるために前泊している夫と待ち合わせる予定があったので連絡したが、携帯が通じず仕方がないのでホテルのフロントに伝言。遡れば生協の配達が2件あったので5時に起床し、注文を整理しボックスを出す。本来今日は別の診療を受ける予定があったのだが、急遽入ったこの予約のために昨日受診。今日帰宅してから配達品を整理したり食事を用意すると時間がないので、、昨日夕刻から掃除機と格闘。そのほかに外出したらついでに本をピックアップする、郵便局による、進物を選ぶなど付属の用事を雪だるま式にくっつけているので、一つ狂うと大変になる。もともと計画をびっちりくむ性格で起床や食事、勉強、入浴に至るまで時間通りにこなす性分である。夫によれば、時間をみれば私が、何をしているかがすぐにわかるので、却って便利らしいが、当人は予定通りにいかないと多大なストレスを感じるし、逆境にも非常に弱い。しかしなんともならない事なので、また別日に予約を入れスケジュールを調整していたら、夫から検査受診後再度連絡する旨の連絡が入る。そううすると、何時までにこれをして・・、とまた計画を組み始める。やれやれ、とわが性格をまた考えるが、いまさら変わるべくもない。全くこれもどうしようもない。まあいい加減よりはよいだろう。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10万円

2012-06-25 15:25:30 | 日記

先日殺人を犯し逮捕された男性は、パチンコで十万円使っていたことがあったという。関西の名門といわれている私立大学を出て、いわゆる「いい子」で育ってきたらしいが、結果がこれである。十万円と言えば、その昔、私の初任給手取り額とそう変りない。この額をもらうのに一週6日朝から夜まで働き、有給は2日だけ、デスクではお茶も飲めなかった。金の価値というのは一体何なのか、不思議に思うことがある。知り合いの息子で、大学院を受験するといって受験票を出すが、受けにはいかず、就職もせず、昼夜逆転の生活をしていて数年、もはや30歳にさしかかっている年齢のはずだ。やはり東京の有名私立大の出身者で、母親が溺愛している。これは遡って、親が家庭で育ち、どんな教育を受けてきたかが問題のように思う。子供が大人しく手がかからなかったりすると、親はこれで良いものだと勝手に解釈し、何事も起こらなくて満足、と思いがちだが、当の子供は世間知らずで、大人の顔色をうかがい適当に自分で判断して行動する。学生時代はそれでもよいが、社会に出れば、どう行動してよいかまるで分らず、自分の言動で周りの人間が不快な思いをし、嫌がられたり避けられたりするが、本人はなぜなのか意味がわからず、親に言ってもおまえは悪くないと、当人をかばうだけで、親身になって助言をしてくれる人もなく、またいてもそれを素直に受け入れる性格の持ち主でないと、解決しない。ある程度の年齢以上になれば、もはや手遅れで、ひどい場合、このような事件を引き起こす。最近は、瀬戸際崖っぷちにいる子を持つ知人も少なくない。やはり社会がどこかでかなり狂っているように思われる。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨と台風

2012-06-22 09:07:05 | 日記

梅雨に入った途端に病状、体調が悪化し、連日病院通いが続いている。その上に台風が来て暴風雨、幸いにも私は直接的な被害は免れたが、いつどんな災難が襲いかかるか解らないので怖ろしい。体が不自由なため、巻き込まれると殆ど命がけになるので、なるたけ外出は控え、天気予報などの情報を逃さずチェックするが、病院の予約だけは外せないので、その時は完全防備で鏡を見るのも嫌になるが、そんなことを言ってはいられない。ただでさえ週の半分は投薬で不調なのに週日もこのようだと、本当に気が滅入るが、来週も同じようなスケジュールなので、ただただ台風がまた来ないこととを願うのみである。原因不明の微熱も続き、勉強も捗らず、代謝も悪化、胃腸の調子も悪い。人間ドックの検査では、今のところは様子見程度の所見のみだが、詳細な結果が出るまでは、油断ならない。こんな時は睡眠も浅く、夢をよく見る。昨日は亡き父が出てきたが、不思議なことに夢であることと、現実の状態をはっきりと夢の中の私は認識している。そこで系統だって考えを整理していて、順に追っていくと、いろいろな原因の真相が見えてくる。人物も物事も、悪事は、みな根本になるものが必ず存在するのがよくわかる。夜明け前、雨の音を遠くに聞きながら、そんなことをずっと考えていた。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワイドショー

2012-06-15 13:16:19 | 日記

芸能の話題の多いワイドショーは、ほとんど見ないが、病院の待合室で何気なく見ることがある。もともとこのような話題は、新聞の広告などで入手することが多く、興味をもって調べるところまでには至らないが、事件の裏側を覗う一面として見るには、信頼性の有る無しの問題はあるが、どうしても目が行ってしまうことがある。某歌手が、3度目の結婚をして、一昨日からその話題ばかりで、流れる曲も彼女オンリー、今までの生き方のおさらい、次には相手の男性の古い友人や、何年も前の留学先の海外大学への聞き込みなど、まあ大変なものである。これだけ奔放に自分の生き方を貫き通しているのに、バッシングもそれほど多くなく、この年代においても配偶者に恵まれるのは、この人にはなにか、かなりの魅力があるのだと思う。その人の生き方や、可愛らしさのような魅力は、年齢とは関係ないものだと思うので、この人は芸能界にいなくても多分、同じような生き方をしていたのだろう。ただし勘違いしないでほしいのは、私が彼女を、好きだとか魅力を感じるというわけでは全くない。また他に、政治家の某氏の妻の暴露記事や、先日逝去された皇族の生活状態裏側など話題花盛りで、最近のワイドショーは話題に事欠かないようだが、今度は逃亡犯逮捕が伝えられ、テレビはその現場の映像を空から陸から写していた。野次馬が多く、みな現場を携帯のカメラで撮っている。ショーや人ならわかるが捕まった現場を撮って何が面白いのか私にはよく理解できない。しかしこれで長い時間を費やしていた事件の逃亡者が、ついにいなくなった。私も含め、霞が関界隈にいた者にとっては、忘れたくても忘れられない事件だった。これからの動向からまた目が離せない。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リサイクル

2012-06-13 09:46:02 | 日記

3Rという言葉がある。リサイクル、リディース、リユースである。ドイツに比べ、ずいぶん遅れをとりながらも、近年の日本でも見なおされ、今や国民生活に普通に浸透してきた。当初は、リサイクルのボックスなどゴミ置き場にしつらえても、ようようとは事が運ばず、集まりも悪かった。出すことに気恥ずかしさがなんとなくあり、また面倒さも伴った。古紙もそうで、曜日が決まっていて、その間ためておかなくてはいけないし、荷づくりが面倒だ。真剣に困ったのは、電化製品で勝手に捨てられなくなると、放置や不法投棄が免れない。もともと3Rはお金も時間も手間もかかるものである。しかし環境問題という人類に課せられた大きな壁の前は、意識し積み重ねていかなくてはならない事で、一人ができることはささやかながら、多くの個人、企業、国家が組織的に行えば、大きな力になる。丁度今日は月に一度の新聞の古紙回収である。困るのは天気に恵まれない事が多く、また業者の来る時間が遅い時が殆どなので、道路にびしょびしょになっておきざらしになる事である。以前は交換のペーパーも門の上におきざらしに置いて行ったので、苦情を言ったところ、たちまち改まった。生協でも交換されるものはないが、ビニール袋やチラシを回収してくれる。トラックで廻る業者は最悪で、知らなくて呼びとめたら、持っていけないとか、逆に金を払えとかいうので、夫が腹を立て「話が違う馬鹿」といったら、「どうせおれは馬鹿だ」と開き直られた。昨日輸入食材店でジンジャーエールを買ったら、後で持ってきてもらえたら、瓶代をリファンドしますと言われた。ドイツでは普通ながら、日本ではまれなので、かなり嬉しくなった。取り寄せているビール店でもリユースで、宅配業者とコラボしてオリジナルな瓶とボックスを作り、着払いで送付を受け付けていて、リファンドはないがなんとなく得したような、また役立つことをした気分になる。古紙交換のペーパーや瓶のリファンド金も、ごくささやかなものだが、人間の気持ちというものは面白いもので還るものは10円でも嬉しく、交換され無料でもらえるものもやはり嬉しい。3Rを浸透、活性化させていくには、このような金銭的問題はやはり大きい。不用品も、粗大ごみや廃棄に回す前に利用したい人に回したり、別な用途の使い方を工夫することを考えることが大切である。しかし我が家は、夫はエコやにはうるさいが、リユースやリサイクルには無頓着で、どんなものも見境なく捨てるので、諍う事しばしばで、ストレスが逆に来る。うまいかないものである。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後に交わした言葉

2012-06-11 10:12:19 | 日記

故人で、最後にあった時のことは覚えていても、最後に交わした言葉に記憶がある人は少なく、思い返すと父しかいない。亡くなる数日前に会った時には、すでに酸素マスクを着けていて、話ができる状態ではなかったので、入院した直後、電話で話をしたのが最後となるが、その時、父は、思いがけず全く自身の生き方や姿勢とはかけ離れた言葉を言った。「自分のことだけ考えていなさい」と。今考えると、体の丈夫でない私にだからこそかけた精一杯の言葉で、その重みや思いを考えると本当に辛く、そしてまた有り難くも感じる。意識は最後まで明確であったので、死に至るまでの数日間、話はできないながらも、私という存在は認めていたはずなのに、他人に見せた大仰な感謝のしぐさや表情、行動は全く見せなかった。いろいろな親子関係が存在すると思うが、私たちは互いに常に距離を置いてきた。もちろん血縁はあるのでそれなりの思いはあるし、、なんでも話はしてきたが、師弟のような不思議な関係であり、言葉づかいも行動も常に丁寧を基とし、世間一般TVでよく見る、思いをぶつけ合って生活するような熱い親子関係とはまるでかけ離れていた。昨年祖母が亡くなり、初めて夫婦二人になって一年、いきなり母も一人になった。親子とはまた別な感情が夫婦にはあるので、私にも読めない部分があるが、話しているとやはりきちんとお互いに距離を置いている。ただ、女親というのはまた存在が違う。健気に頑張る母を見ていると別の辛さがあふれてくる。運命は変えられないし、どうしようもないが、投げたり、自棄になったりしてはならないと、思う。だから、また起きた無差別殺人犯を見ると耐えられない気持ちになってくる。ささやかで小さな幸せを得るために人は努力し、耐えて苦しむ。なんでも楽に得られるものなど存在しない。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースアラーム

2012-06-08 09:09:18 | 日記

ニュース速報の着信に登録しているが、大きなニュースは集中した日に起こるように思う。先日O教団の指名手配者だった女性がつかまって驚いた。整形してもなく、ごく普通に働き、地味に生活していたというその女性は、写真よりやつれていて、あまり顔が結びつかない。もう少し若い時の写真が出ていたが、こちらは生き生きとしていて健康そうな可愛らしい感じである。進学校を出て真面目な努力家だったらしいが、そんな性格だったがゆえに、このような宗教の犠牲者となってしまったのだろう。このような教団内部においては、男女間の恋愛や色情の絡み合いが切り離せない事が多い。教祖などの上層部でもあるが、活動員の中でもかなりあった事が覗える。ぼろぼろの一軒家で、その後知り合った男性と、世間の目を絶えず気にしながら、おどおどと暮らす生活はさぞかし、しんどいものだったのだろう。つかまって逆に安堵したような表情にも見える。若く楽しいかけがえのない日々を、意思に反して逃亡や拘束で過ごすのだから、本当にもったいないことである。彼女がつかまったことで、最後の逃亡者の男性も状況が明らかになり、追跡が進められているが、もう時間の問題かと思われる。また先日は買春し殺害したとされる事件の外国人容疑者の再審が決定した。これもセンセーショナルな事件で、常人には理解しがたい部分があり、心情的には避けたいものだ。放映や報道をみると耳や目を背けたくなる。次に最近驚いたのは、内閣人事の防衛大臣。あきれ返りコメントする気になれない。競馬には興味がないので、このような話題が配信されても即削除なのだが、もっと耐えられないのは、人気女性グループが誰がセンターポジションをキープするか投票で決定する選挙で、日本中がわきかえっていて、昨日はニュースがそれ一色だった。火付け役も以前より好きではないが、やめてほしいと考えるのは私だけだろうか。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平家物語

2012-06-07 09:09:58 | 日記

高校の入試問題に出題が多い為、中学の国語教材で「平家物語」を読む事が多い。大抵、冒頭文を覚えさせられるが、「内容はわからなくてもとにかく暗記」の良い例の見本のようなものである。「無常感」を10代前半の青少年に教えることは無理がある。平家物語の場合は、隆盛を誇った平家が滅亡していく様を「あはれ」や「無常」の感情を通し、栄枯必衰の流れへと物語を導くが、この無常感については、「死」というものに具体的な心情を得ることがない限り、それを知ることはほぼ不可能に近いと思う。特に昨今、核家族化が進み、祖父母などの年配者と生活を共にする子供が少なく、「死」を目の当たりに感じる機会があまりない。ペットの死がせいぜいだろう。生も連鎖ながら、死も当然そうで、夭折する人もいるが大抵は、祖父母の年代から父母の年代と段々移っていき、やがては自分も考えなくてはならないようになってくる。闘病生活が長いなどの場合もあるが、それでも大抵の場合、「死」は前触れもなくいきなり訪れる。その時に感じるのが「無常感」である。死の前には何もない。何も持って行けないし、何も残していけない。孤独で暗い「無」が存在するだけである。人間は一人で生まれ、最後もまた一人になるが、唯一繋がっていけるのは、遺伝子を持つ子孫であるのをこんな折に、強く感じる。状況や意志により子を持たない人も少なくなく、私自身も後悔するというような感情はないが、このような経験をすることにより、子を持とう、と考える方もいるのではないか、とも最近は解るようにもなった。皇族の方も亡くなられたが、自分の身内も含め、今年は訃報も、胸が塞ぐ事件が特に多いように思う。死に至らなくても軽くない病気で手術をするという同年代、いやもっと若い人もいる。平家物語の素晴らしい名文を思い出しながら、昨日はそんな中で「無常」というものを深く考えていた。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お坊様

2012-06-01 09:14:44 | 日記

僧侶が若い女性の間でブームになっている。宗派によっては、剃髪することもなく、酒飲も認められ食物の摂取制限もなく、妻帯自由、と出家しても在俗者と相違なく生活できる。新聞に住職となる寺を持たず、被災地を回っている僧侶が、女性に誘惑され自由恋愛をしている話が載っていたが、そう珍しい話でもないらしい。従前からメディアに紹介されていたが、現役の僧侶がカクテルを作って客に出し、話もできる「坊主バー」なるものがある。繁盛している事に目をつけ、寺の庭の一角にオープンカフェを設置、僧侶が給仕してテーブルにつき話をする。これも成功したので、古いビルの一室を時間借りし、酒や食べ物を持ち込み、若い僧侶を囲みパーティが開かれる。酒が入れば気も緩み、床に座るのでスカートの中の下着など見えることもあり、見ている方がはらはらするのだが、女性たちは気にもかけていない。僧侶と言っても経験を積み、徳を得たベテランの老僧でもなく、ましてや相手は若い女性、気持ちがあらぬ方向に行っても仕方ないような雰囲気である。悩み話を聴いてもらうのが大きな目的で、会社の人間関係、個人の恋愛問題、結婚ができないことなどが多く、解決に至るようなアドヴァイスもないのだが、彼女たちは話したこと、聞いてもらえたことに満足し、場を後にする。インタビューされていたが、悩みを打ち明けられる人物が周りにいないという。多くが、親だの限られた親族か友人だが、気を使うのでたいていは我慢し、自分の中にしまいこみ、「占い」に命運を委ねるのだという。親は別として、このような関係の友人は親友ではなく、解決にもならないことは当人も分かっているのだと思う。でも方向性を決める糸口が欲しい。それがなぜか「占い」で女性たち、時間や金銭に糸目をつけず、津々浦々駆け回る。それが次には僧侶との会話になっていったようである。酒が入れば、悩み相談の他にも世間話に花が咲く。最初は、「修業は大変じゃないですか?」などと聞いていたが、そのうちに「頭にトリートメント剤は使うのか?」となってきた。また別な女性は傾倒してしまい、イヤホンでずっとお経を聞いているのだという。また「美和尚」を紹介する本がベストセラーとなり、紹介された和尚や寺社を訪ねて女性たちが日夜現れる。お寺にとっても彼女たちにとってもメリットも多く、とても良い事なのだろうが、それとは別にやはり本旨は厳しく学んで欲しいものだと願っている。厳しい戒律や膨大な勉強量についていけない私は、最初から離脱している。「坊主バー」は一度「見てみたい」気はするが。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする