生涯を完結させるまでに歌いたい歌、最近始めたヴァイオリンとフルートはどこまで演奏できるようになるか、と時々ワンコ

死は人生の終末ではない。 生涯の完成である。(ルターの言葉)
声楽とヴァイオリン、クラシック音楽、時々ワンコの話。

心が疲れている時のクラシック音楽 その2

2017-06-08 22:18:25 | 疾病・薬等のはなし

 一昨日カミングアウトしたように私は2007年の暮れに体調を崩しうつ病と診断され、その後躁転があったため気分障害(双極性障害、さらに古くは躁うつ病)と診断されています。現在、うつ状態の波に飲み込まれ、何とか抗うつ薬の薬効で何とか日常生活を送っています。うつ状態のときはTVの賑やかなバラエティー番組は受け付けられません。静かに一定のリズムで放送してくれる面白みのない報道番組の方がありがたいです。

 なので音楽でもお祭り騒ぎの様な、例えばマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」の第一部の様な音楽は遠慮しておきたいと思います。とにかく華やかで派手なお祭り騒ぎの様なテンションからは距離を置きたいということです。

 そういう意味では甲高いソプラノやテノールの楽曲よりは、メゾソプラノやアルト、バリトンやバスの楽曲の方が相性が良い様に思います。ところが、心が疲れている時であっても、さらには甲高いソプラノやテノールの楽曲であっても、受け入れられる場合があります。それは作曲家の作品である楽曲そのものがどうであるか、と言うこと以上に演奏家が責任を持つべき演奏そのものが、聞き手に責任を持つべき演奏の質として、心が疲れている時には受け入れがたい演奏がある、ということを申し上げたいと思います。

 では、聞き手の心が疲れている時でも聞き手の心に滲みる演奏とは何か、それは優しい演奏ということです。クライマックスでロングトーンでクレッシェンドしてフォルティッシモで終わる、という態様は珍しくないと思います。しかしクライマックスを経て最後の一音のロングトーンまでクレッシェンドしてマキシマムを迎えて終わるということは珍しくないと思いますが、クレッシェンドしてマキシマムでフォルティッシモで終わる最後のコンマ何秒かについては、優しいデミュニエンドがかかるはずです。あるいはマキシマムを迎えた後でデミュニエンドして自然に収束して終わるという曲も多数あります。その際のマキシマムを力任せに放り出すような演奏も、プロの演奏であっても時として耳にすることはあります。一方でダイナミックレンジ等の全体としての演奏の水準としては多少の問題があっても、マキシマムの後の処理に十分に気を配っている演奏は、間違いなくそれはそれとして聞き手に伝わると思います。

 聞き手にとって優しい演奏は演奏する側にとっては決して易しい演奏とは言えないことが多いと思います。優しい音楽を作るためには、作曲家の作品を再現する演奏家の側に再現者としての責任が問われると思いますが、優しい音楽を演奏=再現することは、演奏家にとっては決して易しいことではないと思う次第です。