KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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このマラソン本がすごい!vol.10「栄光なき天才たち」

2012年06月18日 | このマラソン本がすごい!
「栄光なき天才たち」第5巻 森田信吾著 集英社・ヤングジャンプコミックス 1989年


昭和の終わりから平成にかけて、週刊ヤングジャンプ誌に連載されていた伝記漫画「栄光なき天才たち」。連載当初は一話完結の読みきり連載だったが、その後数回の連載のシリーズも登場した。オリジナルの単行本の第5巻は、東京五輪のマラソンの2人のヒーロー、金メダリストであるエチオピアの「はだしの英雄」アベベ・ビキラと、銅メダリスト円谷幸吉との2人の物語である。

戦前、「陸上王国」と呼ばれた日本が陸上競技で入賞ゼロに終わったローマ五輪のマラソンに彗星のごとく出現した(古い表現だな)アベベ・ビキラ。はだしで先頭を独走する無名のランナーの優勝に世界は驚かせられた。この本で僕は、エチオピアという国が第二次世界大戦前にイタリアに侵略されたという歴史を持つ国であることを初めて知った。皇帝の親衛隊の兵士であり、スウェーデン人のコーチから指導を受けていた彼は、一躍母国の英雄となった。同じ時期、四年後の五輪開催を控えた、日本には、1人の若いランナーが駅伝での活躍で脚光を浴びていた。自衛隊の郡山の駐屯地に所属する円谷幸吉である。2人のランナーの「運命的なめぐり合い」を軸とした物語である。

前回紹介した、沢木耕太郎の「敗れざる者たち」も参考文献になっていて、円谷のストーリーは、概ね、それに沿ったものとなっている。しかし、沢木氏が描いた人物像に比べると、もっと「陽気な青年」という風に描かれている。そして、この物語で重要な役割を果たしているのが、「陸上の神様」と称される、日本人初の五輪金メダリストで東京五輪陸上競技代表の総監督である織田幹雄だ。アベベのスピードに対抗するためには、トラックのスピードを持つランナーをマラソン代表にすべきという考えから円谷に目をつける。

5000mをメインとしていた円谷に10000mへの転向を奨め、寺澤徹や君原健二といったマラソンの強化選手たちとの合宿に参加させることで彼の目をマラソンに向けさせる。沢木氏の著書にも描かれているが、目上の人の言う事に逆らったことが無かったという円谷がマラソンの代表選考レース出場については、コーチの反対を押し切ってまで自分の意志を押し通したのだという。

初めて君原や寺澤らとともにロードを走り、全くついて行けなかった円谷がシャワー室で2人に語る。

「死ぬほどつらいけど・・・ロードを走るのは気持ちがいいですね。次々と景色が変わっていってトラックと違い爽快です!自分はもともと駅伝育ちですから何かこう、本当に走っている!って気持ちになりますよ。」

「マラソンは・・・ロードはいいですね!」

この漫画の中で、僕が最も好きなシーンだ。のちに僕自身もマラソンを走るようになり、円谷のこのセリフを実感した。そして、その直後円谷はニュージーランドで20000mの記録会で世界最高記録をマークする。そのニュースを聞いた織田は、

「いずれ君は出会うことになる・・・君の本当の敵に!!」

織田の部屋にはアベベのポスターが貼られていた。ちなみに、円谷は東京五輪の2ヶ月前に10000mで日本人初の28分台を記録したランナーだった。

昭和30年代に入って始まった日本の高度成長。その到達点が昭和39年(1964年)の東京五輪だったのだ。今、「三丁目の夕日」といった映画でその当時が「古き良き時代」と回顧されるブームが起こっているが、この漫画の中ではメキシコを目指す円谷が「婚約解消」という不幸に出会った昭和40年代前半は、高度成長の繁栄と引きかえに「ため込まれていた
膿が一斉に吹き出た」時期だったと描かれている。ベトナム戦争の泥沼化による反戦運動の激化、公害が社会問題化、全学連の学園闘争や街頭デモの広がり・・・。話はずれるが、「三丁目の夕日」の映画の第四弾は作られるのだろうか?

そして、円谷は復活を期したレースで惨敗し、翌年の正月実家での新年会に参加した後、自ら命を絶つ。自室で剃刀で頚動脈を切り、血を流しながら安らかな表情で眠る円谷が見開きページ一杯に描かれ、遺書の全文がそこに添えられる。新年会で口にした食べ物がそこに描かれている。そして、円谷の死を知った時点で、アベベもまた、足を痛めていた。

アベベが死んだ1973年は、オイルショックで日本の高度成長が終わった年であり、その翌年にはエチオピアで革命が起こり帝政が崩壊した。

この漫画はちょうど、ソウル五輪の直前にヤングジャンプ誌に連載されたものである。ラストは、円谷のコーチだった畠山がソウル五輪のマラソンのスタートをテレビで見ていると、そこにアベベと円谷の姿が瀬古と中山とダブり、思わす顔を押さえて、円谷の写真をテレビの画面に向ける。

「アベベそして円谷 その時代が彼方に流れ去った今も その走りを目撃した人々の記憶の中から彼らの姿が消え去る事は無いのである」

この物語をしめくくる言葉である。


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