KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

マラソンを愛する皆様、こんにちは。
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あなたもマラソンランナーになれる・・・わけではない vol.16~マラソンを取り戻す

2018年11月23日 | あなたもマラソンランナーになれる
「神様は確かに存在する。そして神様は奇跡を起こしてくれる。しかし、神様は死ぬほど努力した者にしか力を貸してくれない。」

マラソンの元日本記録保持者、藤田敦史さんの名言である。「マラソンの神様」から僕は見離されているのではないかとこの数年、感じていた。しかし、神様は優しい方だった。

「1年に500kmも走ってないような奴をマラソン出場の抽選に当選させてどないすらい。(なぜか伊予弁)」

と配慮して下さっていたのだと思う。僕が「マラソンの練習が出来る身体」になるまでは当選を見合わせてくれていたのだと思う。マラソンの神様どうもありがとう。

10月の連休明けから「マラソン出場」を意識した練習を開始。2時間のLSD(ロング・スロー・ディスタンス。長い距離をゆっくりペースで走る練習。ヤバいクスリの事ではない。)
を2本、サブフォーぺースの10km走を1本こなして、11月12日佐田岬ハーフマラソンに出場。愛媛県内で開催されるハーフマラソンは今治シティ以外は山間部で開催されるアップダウンのきついコースの大会ばかりだが、佐田岬から宇和海と伊予灘を眺めることの出来るこの大会、初出場だったが平坦部分のほとんどない、タフなコースだった。前半10kmは53分台で通過したものの、ラスト5km過ぎて、1km6分台に落ち込む。しかし、ラスト2kmから1kmを5分36秒まで上げて、1時間59分4秒でゴール。2012年4月のまつの桃源郷以来5年7ヶ月ぶりにハーフマラソンで「Breaking 2」達成である。翌週走った10kmレース、風早マラソンでは50分切りを目指したが流石にそれは叶わず、それでも52分36秒でゴール。

もしかしたら、愛媛マラソンではサブフォーいけるのではないか?

翌月は年末繁忙期。エントリーしていた坊ちゃんランのハーフは休みが取れずに欠場。重信川河川敷の平坦コースではどれだけのタイムが出せるか、楽しみにしていただけに残念だった。仕事がくたくたになりつつも、月走行距離はギリギリ100km確保した。

11月から年明けて1月の3ヶ月の走行距離は387km。なんとか全盛期の半分弱くらいには戻してきた。しかし、もしや20年前ほどの練習量はこなせない。せめてその半分でも距離を踏めたらと思っていた。年明け早々、疲労が出たのか1週間走れなかったのと、ランニング仲間が主催する40kmのコース試走会に出られなかったのが痛い、と思った。3ヶ月でハーフマラソンを1本走った以外は22.5kmが最長距離である。この点が不安材料でだった。

2月4日。7年ぶりに愛媛マラソンのスタートラインに立つことが出来た。こんなに冷え込むのは砥部のニンスタ発着時代にも無かったと思えるほどの冷え込みだったが、風が無いのが救いだった。

10時に号砲。ところがなかなか動き出さない。申し込みの時点でゴール予想タイムを「4時間30分」としたために一番のボリュームゾーンに入れられてしまった。7年前にはスタート地点を通過したのが2分38秒後だったが、今回は4分22秒後。これは想定外だった。しかし、ここで遅れを取り戻そうと飛ばし過ぎてはいけない。7年前にはここで5km25分を切るペースで入り、中間点まで25分台、30kmまで26分台のペースで走ったが35kmの難所、平田の坂を登り切ったところで足が動かなくなり、そこからの5kmのラップは35分にまで落ち込んだ。

5kmの通過は32分19秒。ネットタイムでは27分57秒。10kmの通過は59分5秒。ラップは26分台に上がった。遅れを取り戻すためにと焦らなくてもいいと思いつつ、4時間切りが出来るかどうか不安になる。ゲストランナーの土佐礼子さんと渋井陽子さんは「4時間ペースで走る」と開会式で語っていたが、どのくらい先にいるのだろうか?

北条バイパスは応援も多い。前年まで、自分が応援に立っていたポイントを通過。いつも一緒に応援している知り合いがそこにおらず、少しがっかり。20kmを1時間52分58秒で通過。27分を切るラップは維持している。中間点は1時間58分37秒で通過。ネットタイムでは1時間54分35秒。後半を2時間で上がればサブフォーだ。折り返しで土佐さんと渋井さんとすれ違ったが追いつくのは厳しい。折り返して、前方に鹿島が見えるなだらかな下り坂。前日測った体重は68.6kg。月300km以上走っていた頃にも越えられなかった「70kgの壁」を越える事が出来た。確かに身体は軽いが、筋肉も落ちたかもしれない。

走り込み不足は後半に表われた。20km以降のラップは28分台に落ちた。30kmの通過は2時間50分16秒。平田の坂を登る前のトンネルで4時間のペーサー集団にかわされる。土佐さんたちは3時間50分くらいのペースで走っていたのだな。7年前の東京マラソンでも、日本橋辺りでペーサー集団に追いつかれた。最悪、東京のタイム、4時間19分以内ではゴールしたいと気持ちを切り替える。

平田の坂を登り切っても足は動いていた。35kmから40kmまでの5kmのラップ、7年前の愛媛は35分2秒、東京は39分35秒、今回は33分11秒。東京の40km通過タイムは4時間2分8秒、そこからゴールまで17分近くかかってしまった。今回40kmは3時間54分47秒で通過。4時間10分切れるかもしれない。本町通りを一直線。この日のために環状線をストップさせた伊予鉄の踏切を通過する。

ゴール目前、チームメイトから激が飛んだ。4時間10分切れるぞ。

7年ぶりのゴール。戻って来れた。4時間9分18秒。ネットタイムは4時間4分56秒。練習量を考えれば上出来である。故障しない程度に練習量を増やせば再びサブフォーも可能ではないかと思った。


あれから9ヶ月、僕はマラソンを「取り戻す」ことが出来た。週3回、40kmを目標に練習を続けて、10月を終えた時点での年間走行距離は1135kmである。レースにも積極的にエントリーして、5kmは23分42秒、10kmは51分27秒、ハーフは1時間54分32秒まで回復した。もしかしたら、これは「最後の輝き」でもはやこれ以上は記録は取り戻せないかもしれないが、1年前には考えられなかったことである。

1度は無くなりかけていた「走り続ける理由」を膨らませることが出来た。結局、それはやっぱり「好きだった」からに尽きるだろうし、「マラソンランナーでなくなるのが嫌だった」からだろう。


1 コメント

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Unknown (夏季)
2020-07-28 23:55:05
また、レース話聞かせて

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