KANCHAN'S AID STATION 4~感情的マラソン論

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このマラソン本がすごい!vol.8「走る意味」

2010年10月31日 | このマラソン本がすごい!
「走る意味」 金哲彦著 講談社現代新書


久しぶりに更新のこのシリーズ、タイトルは毎年年末に刊行されるミステリー小説のガイドブックをもじったものであるが、今回紹介する本は、本当に「すごい」本である。これまでに読んだマラソン関連の本、特に元ランナーが書いた著作では最も衝撃的な内容だった。

著者の金哲彦氏の名前は、マラソンや駅伝の解説者として、すっかりおなじみとなった。柔らかい話し方での解説ぶりを

「素人にもよく分かる増田さん、玄人も安心した聞ける金さん。」

と喩える人もいるくらいだ。箱根駅伝ょ長年見てきたという人なら、早稲田大学在学時に、“木下哲彦”の通名で山登り区間の5区に4年連続して出走し、2度区間賞獲得し、早稲田大の優勝に貢献した「山登り男」として記憶している人も少なくないだろう。

卒業後、在日朝鮮人であることを公表し、リクルート社に入社。業務の傍らトレーニングを続けて、別大毎日マラソンで入賞。実はリクルート社が小出義雄氏を監督として招聘し、ランニングクラブを設立したのは、金氏の活躍がきっかけなのである。その後、韓国籍に変え、バルセロナ五輪の韓国代表を目指すも、選考レースで自己ベストを更新するも、6位に終わりランナーを引退。リクルートRCのコーチを務め、小出監督退任後は監督に就任。廃部後、NPO法人のクラブ、ニッポンランナーズを立ち上げ、ランナーの指導から前述のマラソン中継の解説と多忙な日々を過ごしている。

というのが、金氏のプロフィールであるが、彼が昨年末に自身のブログで、

「自分の人生を見つめ直した内容の著書を執筆中です。」

と書いているのを読んだ時から、この本の発売を楽しみにしていた。

昨年、11月のつくばマラソンで金氏は2時間56分10秒でゴールした。45歳でのサブスリーは見事だが、それを伝える「ランナーズ」誌の記事に衝撃を受けた。

金氏は、その3年前に大腸がんの手術を受けていたというのだ!!!3年間、その事は公にしていなかった。

本書のカバーには、そのレースでのゴールの写真を使用している。

第一章は、がんが見つかり、すでに「ステージ3」の危険な状態だったという事を知った時のことや、手術や治療のことが書かれている。同世代の人間としては、とても他人事とは思えない。手術をしたのが、マラソンのオフ・シーズンだったのが、氏が病気であることが伝わらなかった理由だろう。仕事に穴をあけることがほとんどなかったという。実際、手術後の最初の仕事が「北海道マラソンの解説」だったという。しかし、この時、実は「中継者に乗って少し揺れただけでもお腹の傷が痛かった」状態だったという。

奇跡的に転移がなく、ランニングを再開。翌年のゴールドコーストに出場した。それは、彼にとって、「ガン患者の誰もが経験する“死の恐怖”という心の葛藤を乗り越えるひとつの解決法」だったのだ。

もちろん、フルマラソンを完走できたからといって、ガンが再発しなくなるという保証は全くない。それに人はいつかは必ず死ぬ。しかし、金氏はフルマラソンのスタートラインに立った。

『もし完走できたら、私は再び“マラソンランナー”として胸を張れるのです。
私にとってマラソンランナーであることは「自分は生きている」ということを最も実感でき、自分の存在意義を証明できる大切な“いきざま”なのです。』

この時、5時間42分かけて彼はゴールした。

「私の場合の健康の定義は、マラソンを走り切れるということなのです。」

まさに、本書のテーマ「走る意味」はこの部分に集約されている。「走る意味」を問うことは、実は「生きる意味」を問うことなのだ、マラソンランナーにとっては。

第二章以降では、そんな彼の「マラソン人生」が綴られている。

競技者時代のエピソードとして、特に記したいのが、瀬古利彦氏らを育てた早稲田大競走部の中村清監督との確執である。韓国生まれの中村氏は金氏に、朝鮮籍から韓国籍への変更を強く勧めた。しかし、当時の金氏はそれを断った。そのために卒業後、エスビー食品への入社の道と五輪のマラソン韓国代表を断たれた。その後、中村監督は急死するが、死の直前まで金氏のことを「頑固者」と悪口を言い続けていたと知り、金氏は心を痛める。

そして、胸を締め付けられるのが'90年夏のエスビー食品陸上部員の交通事故死。亡くなったランナーのうち、金井豊氏と谷口伴之氏は早稲田大競走部時代の先輩だった。

「天寿をまっとうした老人ではなく現役のマラソン選手たちです。火葬場で焼かれた後に出てきた骨は、まったく崩れることなく骨格そのままでした。先輩の立派な大腿骨を泣きじゃくりながら砕き、骨壷にいれました。自分自身の大腿骨を金づちでぐしゃぐしゃ砕いている気持ちでした。」

この本で初めて知った事実がある。

30年以上前に、NHKのドキュメンタリー番組で、12歳の少年の飛び降り自殺が取り上げられた。少年の死後、ノートに残された詩が「ぼくは12歳」というタイトルで刊行された。少年の父親は高史明という在日朝鮮人の作家である。

その少年、岡真史は金氏のいとこにあたるのだという。(高氏は金氏の父親の弟)

そして、もう一つ、小出監督の後を継いでリクルートRCの監督に就任した直後、総監督に就任していた小出監督が退社し、それに伴い主力選手の多くが後を追って退社し、積水化学に移籍した際の事。

当時は、これが「円満退社」に見えた。積水化学に移籍したメンバーがその後すぐに活動を再開したためである。現在の実業団では、円満退社した者でないと、移籍登録は認められない。そのためには「円満退社証明書」が必要なのである。

実は金氏は会社からは、
「円満退社させるな。」
との指示を受けていたというが、会社側の意向に背いて、希望者全員の移籍を認めたのだという。当然、会社からは怒られたが、この判断が無ければ、鈴木博美さんの世界選手権マラソン金メダルも、高橋尚子さんのシドニー五輪マラソン金メダルと世界最高記録も、無かっただろう。

その他、波瀾万丈のマラソン人生を振り返ると、これがガンに打ち克つ精神力を育んだのだろうかと思えてくる。

その後、リクルート廃部後、ニッポンランナーズを立ち上げ、現在はランニングの普及活動に熱心に取り組んでいる。全国各地を講演やランニング教室、市民マラソンのゲストで飛び回り、テレビ中継では放送席や中継車の前で的確なコメントを聞かせている。書店に行けば、彼が執筆したり、監修に携わったマラソンの教則本が平積みになっている。実はマラソン・シーズンともなると、毎週のようにテレビに登場する(正月3が日は休み無しである)彼を見て、

「金さん、大丈夫か?身体こわすで。」

と心配していた時期もあったのだ。正直言うと、彼がガンだと聞いて、

「ああ、やっぱり。」

という気持ちもあった。今後もさまざまな場で活躍していただきたいと同時に、自身の健康にも気遣って、長生きしていただきたいとも思う。

そして、僕自身も自分の「走る意味」を考えていこうと思う。



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