小沢一郎氏 裁判/大善文男裁判長は将来が約束されたエリート判事 登石郁郎裁判長以上に体制寄り

2011-10-06 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

小沢初公判 検察を痛烈批判「国家権力の乱用」「裁判打ち切れ」 傍聴希望者2146人が長い列
日刊ゲンダイ2011年10月6日
 小沢一郎・民主党元代表(69)と司法権力との最後の闘いが始まった。政治資金規正法違反罪に問われた小沢の初公判が6日、東京地裁(大善文男裁判長)で行われ、小沢は罪状認否で起訴内容を全面否認し、無罪を主張。その後、約10分間にわたって意見陳述を行い、検察の捜査のあり方を「国家権力の乱用」と痛烈に批判した。
 小沢は午前9時半前、東京地裁に歩いて入った。SP数人に先導され、9人の弁護士に囲まれながら、ゆっくりとした足取りで法廷に向かった。
 初公判は10時に始まった。検察官役の指定弁護士が起訴内容を読み上げた後、小沢は罪状認否で「指定弁護士が述べたような事実はありません」と述べ、起訴内容を全面否認した。
 ハイライトは罪状認否に続く意見陳述。小沢は「検察官の違法な捜査で得られた供述を唯一の証拠としており、直ちに打ち切るべきだ」と主張。「証拠もないのに特定の政治家を狙ったことは、国家権力の乱用で、法治国家では許されない」と検察の捜査を強く批判、全面対決の姿勢を見せつけた。
 続いて弁護側も意見陳述を行い、「虚偽記載はなく、元秘書との相談や、指示もなかった」と無罪を主張した。
 公判では、石川知裕衆院議員(38)=1審有罪、控訴=ら元秘書3人との共謀が最大の争点となる。虚偽記載が成立するかどうかや、起訴が適法かどうかも争われる。
 指定弁護士側は冒頭陳述で、小沢と元秘書との関係について、「重大な問題はすべて小沢被告の指示に従い、独断で事を運ぶことはなかった」と指摘した。
 弁護側は午後に冒頭陳述を行い、元秘書との共謀について、石川らの供述には任意性がないとした上で、「収支報告書の記載はすべて秘書に任せており、把握していなかった」と訴えるとみられる。
 東京地裁前には、朝早くから49の傍聴席を求めて2146人が抽選に並んだ。
<裁くのは体制ベッタリのエリート判事>
 公判を指揮する大善文男裁判長(51)とは、いかなる人物なのか。
 元秘書3人に妄想判決を下した登石郁朗裁判長(57)のように検察寄りで権力ベッタリなのか。
 判事の人間性によっては「民主主義国家では考えられない」判決が出る異常事態を見せつけられた直後だけに気がかりだが、大善裁判長は将来が約束されたエリート判事。登石裁判長以上に体制寄りなのだ。
「裁判官といっても、しょせんは官僚。常に判事同士で出世を争っています。大善裁判長の経歴をみれば出世コースを歩んでいるのは明らか。同期73人の判事の中でも『高裁事務局長』『司法研修所教官』を経験し、東京高裁刑事部の総括(裁判長)を狙える条件をクリアした数少ない判事です」(司法関係者)
<小沢意見陳述 要旨「私を抹殺することが目的」>
 小沢一郎民主党元代表が初公判で述べた意見の要旨は次の通り。
 検察の不当、違法な捜査で取られた調書を根拠に誤った判断がなされた。この裁判は打ち切るべきだ。百歩譲って裁判を続けるとしても、罪に問われるようなことは全くない。国民から何の負託も受けていない捜査機関が国家権力を乱用した。汚点として後世に残る。議会制民主主義を阻害する恐れがある。
 収支報告書の間違いは修正することで処理され、済まされてきているのに、私の団体のみ1年有余にわたり、実質的な犯罪の証拠はないのに強制捜査を受けた。もちろん収賄などの実質的な犯罪は全くない。なぜ私のケースだけ突然、強制捜査されねばならないのか。これでは公正で厳正な権力の執行とは言えない。実質的な犯罪がないと判明した時点で捜査を終結すべきだったのに、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸している。小沢一郎を標的にしたもので、私を抹殺することが目的と推認できる。明白な国家権力の乱用で、到底許されない暴力行為であり、表舞台からの抹殺で残酷なものだ。
 選挙は国民が主権を行使する唯一の機会で、とりわけ2年前の総選挙は戦後初の本格的な政権交代が予想された。そのような時の恣意(しい)的な権力の行使は許されない。国家権力の介入を恐れる政治はもはや民主主義ではなく、戦前の過ちを繰り返すほかない。裁判長、裁判官の見識ある判断をお願いする。
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〈来栖の独白〉
 人には「生まれ合わせ」「運」というものがあるのかもしれない、と溜め息をついてしまう。小沢さんは、不運だ。この裁判は、恐らく敗けるだろう。とても勝ち目はない、この裁判長では。
 いま一つ。本件は、検察審査会が決定した強制起訴の第1号だ。検審の決定は、「市民(国民)による決定」を標榜している(事実はそうではないが)。ならば、エリート裁判官がおのが出世を棒に振ってまで小沢氏に肩入れする(「無罪」を与える)とは、考えられない。検審の強制起訴を受けて被告人を有罪とし、検審制度を意義足らしめる。そのポイントにより、大善文男判事は目出度くステージを一段上がるのである。こんなチャンスを棒に振る官僚はいない。
 小沢さんは、よくよく不運だ。恐ろしい国だ、この国は。
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「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 〈来栖の独白 2010/08/07〉
 憲法76条3項は「すべて裁判官は,その良心に従ひ独立してその職権を行ひ,この憲法及び法律にのみ拘束される。」と裁判官の職権行使の独立を認めている。が、ここ(当該事件裁判)で私が見たものは、司法制度改革へ舵を切った最高裁に逆らうものは出世の道から外される、という「官僚司法」のありようであった。司法制度改革とは、核心司法、拙速裁判である。最高裁は「当事者が立証しようとしていない点まで立証を促す義務はない」とし、本件の精密な審理を望んで地裁へ差し戻した楢崎康英高裁裁判長を家裁へ転任させている。
 ・光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・ 
〈来栖のつぶやき〉2009/10/14
  家裁とは・・・。しかも、広島家裁ではなく、(広島管区)山口とは。何があったのだろう。60歳ということだが、定年は65歳だ。光市事件差し戻し控訴審・広島女児殺害事件控訴審判決では、メディア・世論に評価されたと私は受け止めていたが。
 追記 2009/10/16Fri.
 本日、広島女児殺害事件上告審判断があった。高裁へ差し戻しということである。
 楢崎さんには、相手が悪かった。裁判員参加という不合理な制度を推進する大本山に立てついたような格好になった。楢崎さんは精密司法(1審へ差戻し)に「死刑」を展望していたのかもしれないが、最高裁の拙速志向(核心司法)とは相容れなかった、ということか。核心司法によって本件のように、今後いのちを得ること(死刑回避)になるのならいいけれど。 
 昨年だったか、東海テレビ「裁判長のお弁当」に登場した元裁判官下澤悦夫さん。若い頃、「青年法律家協会」に所属し、退会・退官勧告に従わなかったので、地方の家裁・簡裁を転々とさせられ、生涯一裁判官で終わった。「そりゃぁ、上に行きたいって気持はありましたよ。だけど・・・」と語っていた。ご自分の信念を曲げてまで・・、ということだろう。清廉な人格でいらっしゃると感服した。
 楢崎さんの場合、高裁刑事部で裁判長まで務めた人である。所長ポストであれ、家裁への異動はどうなのか・・・。存分に腕が振るえるとは思えない。簡裁であっても、同様である。
 「裁判官の独立」につき憲法は“良心に従い独立してその職権を行い、日本国憲法及び法律にのみ拘束される”と、謳っている。が、新藤宗幸著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中に、次のような文脈があった。
司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。
 

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小沢氏 初公判 10月6日/大善文男裁判長=極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた2011-08-12 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 来年4月判決 小沢「無罪」最大の難関は超カタブツ裁判長 日刊ゲンダイ2011年9月10日
 人生初の判断を下せるのか
 検察審査会に強制起訴された民主党の小沢一郎元代表に対する判決が、来年4月下旬に言い渡されることになった。
 司法関係者の間でも「無罪は確実」といわれ、政界をメチャクチャにした不毛な争いにはサッサとケリをつけて欲しいが、心配のタネがある。小沢裁判を担当する東京地裁の大善文男裁判長2 件(51)の存在だ。
 大善裁判長は1986年任官。東京地裁を皮切りに名古屋地裁、高松地裁、広島高裁の判事を経て、昨年4月に東京地裁刑事11部の総括判事となったベテランだが、司法界では「堅物判事」として有名だ。刑事事件が専門のある弁護士は「無罪判決を一度も出したことがないのでは」と言うほど、極めて保守的で予定調和的な判決ばかり出してきた。
 被告人が「無罪」を主張しようが、お構いなし。淡々と実刑判決を言い渡す。全面無罪を主張する小沢にとっては、ちょっと厄介な裁判長なのだ。
 大善裁判長のクールさが如実に表れたのは、昨年6月の裁判員裁判。都内で起きた2件の強盗事件を巡り、強盗致傷罪に問われた被告の事件への関与が争われたケースである。
「被告は、実行犯で知人の男に『強盗を指示した』として逮捕されたが、捜査段階から一貫して容疑を否認。唯一の証拠は『指示された』という実行犯の供述だけでしたが、その実行犯が公判の過程で『実は自分ひとりでやった』と供述を翻したのです。実行犯の捜査段階での供述と公判での証言のどちらが信用できるのか。判断の難しいケースですが、大善裁判長はアッサリと『捜査段階の供述の方が具体的かつ詳細に状況を述べている』と検察側の主張を支持。被告を『否認を続け、反省の態度が全く見られない』と断罪し、懲役9年の実刑判決を言い渡したのです」(司法記者)
 小沢の元秘書3人の裁判では、検察調書の大半が「任意性」を否定され、証拠として採用されなかったが、大善裁判長の手にかかると、どう転ぶか分からない。
 来月スタートの裁判で、カタブツ判事は小沢に“人生初”の無罪判決を言い渡すのか。常識的な司法判断を期待したい。
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小沢氏初公判 第3の検察と化した記者クラブ
田中龍作ジャーナル2011年10月6日 20:53
 初公判を受けての小沢氏記者会見。会場は立錐の余地もないほど記者やカメラマンで埋め尽くされた。
 土地購入をめぐる政治資金規正法違反(虚偽記載)で検察審査会の議決によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表。6日夕方、初公判を終え国会内で記者会見を開いた。
 小沢氏は法廷で行った意見陳述をもう一度読み上げた。続いて記者クラブ幹事社からの質問だ。筆者は会見が始まる前、記者クラブから出されるであろう質問を予想し、それをツイートした。「秘書が有罪になったが…」「議員辞職はしないのか?」などだった。
 幹事社(今月はテレビ朝日、共同通信)はものの見事に筆者の予想に沿った質問をしてくれた。テレビ朝日の記者が「秘書が有罪になったことの道義的責任は?」「議員辞職しないのか?」と質問したのだった。
 小沢氏は次のように答えた―
 「私も私の秘書も有罪とされるようなことはしていない。有罪の証拠はない。裁判官が自分の推測にもとづいて判決を下した。(議員辞職など)そのようなことは考えていない」。
 共同通信記者の質問は―
「野党は証人喚問を要求しているが、国会で責任を果たす予定は?」
「4億円の原資は何だったのか?」
 小沢氏の回答は―
 「3権分立を何と考えているのかね。君はどう考えているのかね」。
小沢氏から逆質問されると、共同通信の記者は絶句してしまった。
 「4億円は自分のお金です。検察に聞いて下さい。検察が1年以上、私の知らないことまで捜査しているのだから」。
 検察リークを垂れ流していることへの強烈な皮肉だった。
 検察審査会が第2の検察と言うなら、記者クラブは第3の検察である。
 筆者も毎度おなじみのワンパターンな質問をした。情けない話だが、この問題に行き着くのである。
 「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは『検察人事』『記者会見のオープン化』『クロスオーナーシップ』に踏み込もうとしているからではないか?」
 小沢氏はこう答えた。「検察人事に介入したことはない。記者会見は開かれたものでなければならない。(クロスオーナーシップについては)集中排除の法律を守らなければならない」。

 「あいつ(田中)はいつも同じ質問ばかりだな」とバカにされるのは承知のうえだった。記者クラブ制度と検察の体質を改善しない限り、日本という国が破滅に向かうと思うからである。
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小沢一郎氏 初公判 全発言/『誰が小沢一郎を殺すのか?』2011-10-06 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 小沢元代表 初公判の全発言〈10月6日 14時0分NHKニュース〉
  今、指定弁護士が話されたような事実はありません。裁判長のお許しをいただき、ただいまの指定弁護士の主張に対し、私の主張を申し上げます。
 指定弁護士の主張は、検察の不当・違法な捜査で得られた供述調書を唯一の根拠にした検察審査会の誤った判断に基づくに過ぎず、この裁判は直ちに打ち切るべきです。
 百歩譲って裁判を続けるにしても私が罪に問われる理由はまったくありません。なぜなら、本件では間違った記載をした事実はなく、政治資金規正法の言う虚偽記載には当たりませんし、ましてや私が虚偽記載について共謀したことは断じてないからです。
 また本件の捜査段階における検察の対応は、主権者である国民から何の負託も受けていない一捜査機関が、特定の意図により国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじったという意味において、日本憲政史上の一大汚点として後世に残るものであります。以下にその理由を申し上げます。
 そもそも政治資金規正法は、収支報告書に間違いがあったり、不適切な記載があった場合、みずから発見したものであれ、マスコミ、他党など第三者から指摘されたものであれ、その政治団体の会計責任者が総務省あるいは都道府県選管に自主申告して収支報告書を訂正することが大原則であります。
 贈収賄、脱税、横領など実質的犯罪を伴わないものについて、検察や警察が報告の間違いや不適切な記載を理由に捜査すると、議会制民主主義を担保する自由な政治活動を阻害する可能性があり、ひいては国民の主権を侵害するおそれがある。
 だからこそ政治資金規正法が制定されて以来、何百件、何千件と数え切れないほどの報告間違いや不適切な記載があっても実質的犯罪を伴わないものは検察の言う単純な虚偽記載も含めて例外なく、すべて収支報告書を訂正することで処理されてきました。陸山会の事件が立件されたあとも、今もそのような処理で済まされています。
 それにも関わらず唯一私と私の資金管理団体、政治団体、政党支部だけがおととし3月以来1年余りにわたり、実質的犯罪を犯したという証拠は何もないのに東京地検特捜部によって強制捜査を受けたのであります。もちろん、私は収賄、脱税、背任、横領などの実質的犯罪はまったく行っていません。
 なぜ私のケースだけが単純な虚偽記載の疑いで何の説明もなく、突然現行法の精神と原則を無視して強制捜査を受けなければならないのか。これではとうてい公正で厳正な法の執行とは言えません。したがってこの事例においては、少なくとも実質的犯罪はないと判明した時点で捜査を終結すべきだったと思います。
 それなのに、おととし春の西松事件による強制捜査、昨年初めの陸山会事件による強制捜査など、延々と捜査を続けたのは、明らかに常軌を逸しています。
 この捜査はまさに検察という国家権力機関が政治家・小沢一郎個人を標的に行ったものとしか考えようがありません。私を政治的・社会的に抹殺するのが目的だったと推認できますが、明確な犯罪事実、その根拠が何もないにもかかわらず、特定の政治家を対象に強制捜査を行ったことは、明白な国家権力の乱用であり、民主主義国家、法治国家では到底許されない暴力行為であります。
 オランダ人ジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、近著「誰が小沢一郎を殺すのか?」で「小沢一郎に対する強力かつ長期的なキャラクター・アサシネーション、『人物破壊』は、政治的に類を見ない」と言っています。「人物破壊」とは、その人物の評価を徹底的に破壊することで、表舞台から永久に抹殺する社会的暗殺であり、生命を奪う殺人以上に残虐な暴力だと思います。
 それ以上に、本件で特に許せないのは、国民から何も負託されていない検察・法務官僚が土足で議会制民主主義を踏みにじり、それを破壊し、公然と国民の主権を冒とく、侵害したことであります。
 おととしの総選挙の直前に、証拠もないのに検察当局は捜査・逮捕権という国家権力を乱用して、私を狙って強制捜査を開始したのであります。
 衆議院総選挙は、国民がみずから主権を行使して、直接、政権を選択することのできる唯一の機会にほかなりません。とりわけ、2年前の総選挙は、各種世論調査でも戦後半世紀ぶりの本格的な政権交代が十分に予想された特別なものでありました。そのようなときに、総選挙の行方を左右しかねない権力の行使が許されるとするならば、日本はもはや民主主義国家とは言えません。
 議会制民主主義とは、主権者である国民に選ばれた代表者たる政治家が自由な意思により、その良心と良識に基づいて、国民の負託に応え、国民に奉仕する政治であります。国家権力介入を恐れて、常に官憲の鼻息をうかがわなければならない政治は、もはや民主主義ではありません。
 日本は戦前、行政官僚、軍部官僚検察・警察官僚が結託し、財界、マスコミを巻き込んで、国家権力を乱用し、政党政治を破壊しました。その結果は、無謀な戦争への突入と悲惨な敗戦という悲劇でした。昭和史の教訓を忘れて今のような権力の乱用を許すならば、日本は必ず同様の過ちを繰り返すに違いありません。
 東日本大震災からの復興はいまだに本格化できず、東京電力福島第一原子力発電所の事故は安全な収束への目途すら立たず、加えて欧米の金融・財政危機による世界恐慌の恐れが目前に迫ってきている時に、これ以上政治の混迷が深まれば、国民の不安と不満が遠からず爆発して偏狭なナショナリズムやテロリズムが台頭し、社会の混乱は一層深まり、日本の将来は暗たんたるものになってしまいます。そうした悲劇を回避するためには、まず国家権力の乱用を止め、政党政治への国民の信頼を取り戻し、真の民主主義、議会制民主主義を確立する以外に方法はありません。まだ間に合う、私はそう思います。
 裁判長はじめ裁判官の皆様の見識あるご判断をお願い申し上げ私の陳述を終えます。ありがとうございました。


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