2013年2月21日 死刑執行された加納(武藤)恵喜死刑囚 ④「俺の死刑のボタンは遺族に押させてやってくれ」

2014-02-02 | 死刑/重刑/生命犯

【二月二十一日 ある死刑囚の記録】俺の「ボタン」遺族に
 中日新聞 2014年2月1日
 弁護士の湯山孝弘は、会話を盛り上げる手がかりにでもなれば、というつもりだった。記憶は定かでないが、二〇〇四年の秋から冬にかけて。持論の死刑廃止論を話題に振った湯山に対し、加納恵喜(けいき)の反応は意外なものだった。「死刑はあった方がいい」
 名古屋高裁での死刑判決を覆すべく、上告審の準備をしていた最中である。審理では死刑とは人権の根幹を成す命を奪うものであり、憲法違反だとも主張するつもりだった。このころ、しばしば「もう死刑でいい」と言い、湯山や養子縁組した母、真智子(仮名)に叱られていた恵喜だが、制度自体に賛成とは…。
 以来、面会や手紙で二人の死刑談議は続くが、湯山がいくら廃止論をぶっても恵喜はうなずかない。まず、死刑に代わり得る刑罰がないという。仮釈放のない終身刑はどうかと水を向けても「希望のない生活を続けていくのは耐えられない」。成人後の人生の大半を塀の中ですごしてきた恵喜ならではの意見ではある。
 そして、こうも口にした。「加害者は一日も早く忘れたいが、遺族は一生忘れられない。俺の死刑のボタンは遺族に押させてやってくれ」。つまり、遺族の無念を晴らすためには死刑も必要というわけだ。
 「ボタン」は極端にしろ、世が厳罰化に流れる中、遺族感情への配慮を求める声は根強い。〇〇年には一連の司法改革で、遺族が裁判を優先して傍聴し、法廷で意見を述べることも可能になった。恵喜と同じ死刑賛成派が初めて八割を超えた〇四年の内閣府の世論調査では賛成派の半数が「廃止したら家族の気持ちが収まらない」ことを理由に挙げている。
 理不尽に身内を殺された遺族の怒りがどれほどのものか。恵喜は〇二年五月、名古屋地裁での初公判で、自らが殺(あや)めたスナックママの事実婚の夫に殴られたことがある。それに彼らのこともよく知っていた。
 一九九四年に愛知、岐阜、大阪で計四人を殺害する連続リンチ事件を起こした当時十八、十九歳の元少年三人。〇四年、二十代後半となり、名古屋高裁で審理中だった元少年たちは、恵喜と同じ名古屋拘置所に入っていた。恵喜によると、うち一人とは手紙のやりとりがあったという。その彼らもまた、遺族の峻烈な怒りを浴び続けていた。 =続く (敬称略)

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です *リンクは来栖
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【二月二十一日 ある死刑囚の記録】命とつり合う罰は命
 中日新聞 2014年2月2日
 事件はひどいものだった。加納恵喜(けいき)が気に掛けていた同じ名古屋拘置所ですごす三人の元少年。一九九四年に愛知、岐阜、大阪でカネ目当てや、ちょっとしたいさかいから四人もの命を容赦なく奪った。
 犠牲者の一人、十九歳だった江崎正史(まさふみ)はボウリング場で偶然、目が合ったぐらいのことで、一緒にいた友人とともに金属パイプでめった打ちにされ、岐阜の長良川河川敷に捨てられた。
 二〇〇五年三月、名古屋高裁での三人の控訴審。遺族のための意見陳述の場で、正史の父、恭平(69)が口を開く。裁判官に思いが伝わるよう、ゆっくりと、はっきりと。「わたしは貴様らが出てくることを望んでいない」
 七カ月後の判決は三人とも死刑だった。〇一年七月、一審の名古屋地裁で、うち二人が無期懲役とされていた無念をこんどは感じずに済んだ。三人は上告したが一一年、死刑が確定する。
 恭平のもとには逮捕後、三人から両手に余る謝罪の手紙が送られていた。「きれいごと」としか思えぬそれに目を通してきたのは、法廷での「うそ」を暴く手掛かりでもあればと期待したからこそ。死刑と定まった後に来た一通は封筒に赤字で「拒否」と書き、突き返した。妻のテルミ(68)が言う。「もう必要ない。あとは刑が執行されるのが一番の償いなんです」
 恭平は思う。正史が生きていたら家族を持ち、家中を孫が走り回っていたかもしれない。「目には目を、という感情を持って当たり前」。奪われた命とつり合う罰は命を奪う死刑以外に無い。遺族にとってそれは「希望」だという。
 制度を是とし「もう死刑でいい」という恵喜。養子縁組した母、真智子(仮名)は「生きて償ってほしい」と願ってきたが、一方で悩んでもいた。弁護士の湯山孝弘への手紙に書いている。「死刑廃止の願いは遺族のことを考えたうえで始まる」。やがて病に倒れたこともあり、実現こそしなかったが、真智子は恵喜が殺(あや)めたスナックママの遺族に直接会って謝りたいと相談もしていた。
 〇六年七月、そんな真智子は名古屋拘置所の面会待合室でたまたま一人の男性と出会う。原田正治。ある事件で弟を殺された遺族だった。 =続く (敬称略)

 ◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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