木曽川長良川リンチ殺人事件

2015-12-25 | 死刑/重刑/生命犯

連続リンチ殺人 控訴審判決要旨 2005年10月14日 名古屋高裁 川原誠裁判長言い渡し

 1 木曽川事件の事実認定について
  ①被害者の死因は、硬膜下血腫による脳圧迫である可能性が最も高いが、内臓損傷破裂による失血および全身打撲による外傷性ショックの可能性も完全には排除できない。
  ②被害者は、被告人らから七時間弱にも及ぶ長時間にわたって、ビール瓶やカーボン製パイプなどで頭部などを殴打される強度の暴行を加えられ、意識が低下し、腹部や首筋の肌に接して置かれたビニール袋に入れられたシンナーが燃え上がっても、緩慢で微弱な反応を示すのみで、これを払いのけることすらもできないような瀕死の状態に陥っていた。被告人らは、被害者の処置に窮し、その犯行を隠ぺいするため、瀕死の状態にあった被害者を木曽川の流水中に投棄しようと企て、木曽川左岸堤防天端から河川敷にけ落とした上、その手足を持って引きずるなどして移動させたが、河川敷の雑木林の中で、かん木などに妨げられて進めなくなったため、その場に放置し、被害者はその後間もなく死亡した。
  ③瀕死の状態にあった被害者を川に投棄しようとした被告人らに殺意があったことは明らかである。そして、被告人らが被害者を殺害しようとして、被害者を堤防上からけ落とした上、河川敷を引きずるなどした一連の行為は、被害者の身体に衝撃や振動などを与え、被害者の体内で既に発症していた硬膜下血腫などの病変をさらに悪化させ、その死期を早め、あるいは、そうした死因を形成するに至る病変を新たに発症させて被害者を死に至らせるものであると認められる。
  ④瀕死の状態にあった被害者を堤防からけ落とすなどした被告人らの行為は、殺人の実行行為にあたり、被告人らの行為と被害者の死亡との間には因果関係も認められる。
  ⑤殺人罪が成立し、被告人らは殺人罪の共同正犯としての刑事責任を負うべきであるから、殺人罪の成立を否定し、傷害致死の責任を負うにとどまるとした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。検察官の事実誤認の論旨には理由があり、原判決は破棄を免れない。

  2 量刑理由について
 本件一連の犯行は、被告人三人あるいはその仲間らによる凶悪な殺人・強盗殺人などの事案で、罪質は極めて悪質である。わずか十一日間に十九歳から二十六歳の四人もの青年らの尊い生命が無残にも奪い去られた結果は誠に重大である。その動機は、特にリンチ殺人事件は、偶然会った被害者らから金品を奪い取り、あるいは被害者を意に従わせるため集団で激しい暴行を加え(大阪事件、長良川事件)、はたまた、ささいな事柄を発端に、被害者に甚だ強度な暴行を執拗に加えるなどした上で(木曽川事件)、いずれも口を封じて犯跡隠ぺいを図ったもので、自らの理不尽な犯行の刑事責任を免れるため、何ら落ち度もない被害者らの生命を犠牲に自己保身を図ったその動機は、極めて自己中心的で卑劣というほかなく、斟酌できる点はみじんも見いだせない。
  また、犯行の態様、特に、リンチ殺人事件における被害者四人の殺害方法も、あまりに執拗かつ残虐で、その冷酷・非道さは言うべき言葉を見いだせないほどである。
  また、被告人らの凶行によって最愛の息子を無残にも奪われた遺族らや自らも被告人三人に長時間にわたって死の恐怖に直面させられ、大きな精神的・肉体的苦痛を与えられた被害者の被害感情は、いずれも峻烈で、異口同音に被告人三人の極刑を求めている。
  被告人三人の関与の程度や果たした役割をみると、被告人Aは、重大な結果を導く発端をつくるなど、終始主導的立場で、他の共犯者らを被害者四人殺害の方向に向かわせ、自ら積極的に激しい攻撃を執拗に加えるなどして犯行を強力に推進し、最も中心的で際立って重要な役割を果たしている。
  被告人Bは、被告人三人のうちでは、所属暴力団において一番上位であることの影響力を行使して、被告人Aとともに主導的立場で犯行を推進するとともに、被害者らに激しい攻撃を加えるなど、実行行為にも積極的に加わり、木曽川・長良川事件においても、事件全体を通じて、極めて重要な役割を果たしており、その点では、被告人Bと被告人Aとの間には、さほどの差異はない。
  被告人Cは、殺害の動機を形成するに至った暴行などに積極的に加わっている上、被告人Bあるいは被告人Aから被害者の殺害を暗に促されるや、ためらうことなく賛成し、進んで殺害に着手したり、凶器を準備し、殺害の早期実行を求め、率先して被害者への攻撃に出るなど、犯行を強力に推進し、重要な役割を果たしている。
  所属暴力団における序列が三人の中では一番下であった点を考慮しても、その地位や役割が、特に追随的・従属的であったとはいえず、この点では、被告人Aおよび被告人Bと刑種の選択を異にするべきほどの差異はないというべきである。
  さらに、本件一連の犯行、特にリンチ殺人事件が社会に与えた影響も、甚大かつ深刻である。
  諸般の情状を総合考慮すると ■一連の犯行は、綿密な計画のもとに周到な準備を尽くして実行されたものではなく、むしろ場当たり的というべきである。■被告人Aは、一部事件で自首している。内省に深まりがあるとまではいえないものの、生命の貴さと罪の重大さを認識し、遺族に謝罪の手紙を送ったり送金したりするなど慰謝の措置を取っている。■被告人Bは、長良川事件の被害者一人を最後には解放している。罪の重大さを自覚し、請願作業を願い出てこれに従事しつつ被害者の冥福を祈り、遺族らに謝罪の手紙を送ったり送金したりするなど慰謝の措置を取っている。他の被告人らがいずれも少年院入院歴があるのに対して、保護観察処分の前歴があるにすぎない。■被告人Cは、他の被告人らに比べ暴力団組織内における序列が低かった。事件後接した信仰を通じて、罪の重大性や責任の重さを自覚するに至り、被害者らの冥福を祈り、遺族らに謝罪の手紙を送るなど慰謝の措置を講じている。
  また、被告人三人は犯行時、少年であったことや、その生い立ちなど、被告人らのために酌むべき情状はある。だが、これらをいかに考慮しても、被告人三人の刑事責任はいずれも、この上なく重大というべきである。
  死刑が人の生命そのものを奪い去る冷厳な究極の刑罰であることにあらためて思いをいたしつつ、慎重に検討、熟慮を重ねても、被告人三人に対し、死刑を選択するのも、真にやむを得ないところといわざるを得ない。
  ( 2006,10,17 up)
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償いの言葉 響かない。無念 胸に11年。3被告見つめる遺族
 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件
  中日新聞 2005/10/12
 今年3月、恭平さん(被害者の父親江崎恭平氏)は公判で意見陳述をした。「貴様らは、生きて償いたいと言っている。ぜひ聞かせてほしい。具体的にどのような償いをしようとしているのか。私はまだ聞いていない」。
  一審判決後にキリスト教の洗礼を受けたC被告の言葉。
  「遺族には死刑になってでもお詫びしなければならない。しかし、今、私の更生と信仰の内にあって生きてゆこうとする心を信じ、励まし支えてくれる人々を思うと、それを口にすることはできない」。
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 〈来栖のつぶやき〉
  中日新聞に、10月14日高裁判決のある表題事件の遺族(両親)の言葉が載っていた(上記)。
  C被告の言葉も。
  当該事件は3少年によるもので、一審では1人が死刑、2人が無期懲役という判決だった。
  C被告の「しかし」以前の言葉と「しかし」以降の言葉、この二つの言葉の狭間で、江崎氏がどれほど心掻き乱されたことだろう。死刑問題の世界に身を置いていたころ、私も幾度もこの種のキリスト教的言辞を耳にした。
  重刑被告と交際する多くのクリスチャンたち。彼女らの独善を利用し彼女らに君臨する被告・・・。
  「私の更生と信仰の内にあって生きてゆこうとする心を信じ、励まし支えてくれる人々を思うと、それを口にすることはできない」。美しい言葉だが空虚で心に響いてこない。リンチ死という凄惨な光景と江崎氏の苦悩のまえに、私は立ちすくむばかりだ。 
   (2005,10,12 up)
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『重なり合わぬ“償い”の意味』 謝罪と上告 遺族の苦しみ深く  木曽川・長良川連続リンチ殺人事件
 中日新聞 2005.12.31
  「新聞に掲載された、被告の『遺族への謝罪文』を見せていただけないでしょうか」・・・。
 愛知、岐阜、大阪の三府県で1994年、四人の若者が殺害された木曽川・長良川連続殺人事件の控訴判決から四日後、一通のメールが届いた。
  送り主は、事件で当時19歳の長男を失った父親の江崎恭平さん(61)=一宮市。10月14日の名古屋高裁判決は、当時18ー19歳の少年だった三被告の量刑を死刑(一人)と無期懲役(二人)に分けた一審判決を破棄、三被告全員に死刑を言い渡した。
  メールには「(死刑判決を受けた被告の一人が)上告を決めたとの記事を読みました。謝罪文を見るのは、被告らの『言っていることとやっていることの違い』を確認したいがためです」とあった。
  判決翌日の朝刊に掲載された被告の謝罪文は、手紙のやりとりや拘置所での面会を重ねる中、被告の一人から事前に中日新聞に寄せられた。
  「今回の『判決』を、私の罪責として、重く受け止めてゆきます」「この生命がなくなろうとも、償いと悔い改めを続けてゆけるようにと心より思います」---。三枚の原稿用紙には、被害者や遺族への深い謝罪の言葉がつづられていた。(中略)
  江崎さんからメールが届いた一ヵ月後、被告の承諾を得て、謝罪文のコピーを江崎さんに見せた。翌日のメールには「何度も読み返しながら(被告の)真実を、私なりにつかもうとしています」と書かれていた。
  先日、江崎さんに改めて謝罪文への感想を尋ねた。「上告したという事実がすべてを打ち消している。結局、すべてがきれいごとでしょう」と語った。
  今も、被告らの謝罪に応じる気持ちはないと話す。「あの判決が真実なのです。死刑という重い判決の中に、すべての謝罪・贖罪が含まれているのだと受け止めています。これ以上のものは、何も必要ありません」---。厳しい言葉に、返事ができなかった。江崎さんの表情を見つめながら、頭の中には法廷で読み上げられた犯行事実の凄惨さがよみがえっていた。
  被告の一人は上告後「自分としての償い、被害者や遺族への償いが何なのか、考える時間がほしい」と話したという。加害者と遺族が考える「償い」は、重なり合うことのないまま最高裁へと持ち越された。(司法担当・後藤 厚三)
........
 〈来栖のつぶやき〉
  2005年12月31日、中日新聞県内版「事件ファイル5」に標題(上掲)の記事があり、一読、私はその日が歳の瀬であることを暫し忘れていた。遺族の哀しみと苦悩が如実に迫る。
  遺族江崎氏が苦悩の末に辿り着かれた判断が間違っているとは、私には思えない。被告支援のクリスチャンは、しっかりと見てほしい。
   (2006,1,3 up)
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謝罪の手紙は「反省知る物差し」、遺族の苦しみ消えないが…
 連載「死刑」第2部かえらぬ命(6)(2008年12月17日読売新聞)
  拘置所から届く手紙は40通を超えた。江崎恭平さん(64)は手紙を捨てない。一度読んだら日を置いて、また読む。何回も読み直す。
  字がうまくなったのは、丁寧に書こうとしているからだろうか。上手な文章ではない。でも、繰り返し読むうちに、「一生懸命書いてはいるのだろう」と思うようになった。
  長男の正史さん(当時19歳)は1994年10月7日夜から8日未明にかけ、愛知県稲沢市で少年グループに因縁をつけられ、友人と共に車で連れ回された末に金属パイプでめった打ちにされ、2人とも亡くなった。少年らはすでに2人、同じように暴行を加え、命を奪っていた。
  両親の元に戻ってきた正史さんの遺体は全身血まみれだった。妻のテルミさん(63)は息子の顔を見つめながら知った。「本当に悲しい時は、涙が出ない」
  事件後何年も、正史さんが殴られていた時間帯になると、目が覚めてしまう。「今ごろ苦しい目に遭っていたんだね」。その度にテルミさんは泣き崩れた。
           ◇
 〈以前より私の気持ちを書いた便りを差し上げたく願ってきましたが、気持ちの整理がつかず、(中略)心ならずも本日まで手紙を差し上げることができませんでした〉
  1審途中の96年以降、グループの中心だった3人の被告から、前後して手紙が送られてきた。だが、恭平さんには、書かれた言葉がきれいごとに見えた。法廷で3人は責任のなすりあいをしているように映ったからだ。「手紙は死刑を逃れるためのものにすぎない」とも思った。
  2005年10月。名古屋高裁は、1人を死刑、2人を無期懲役とした1審・名古屋地裁判決を破棄し、3人全員に死刑を言い渡した。3人とも上告した。
  その後、1人からの手紙は途絶えた。しかし、1、2審とも死刑だった被告(33)と、2審で死刑になったうちの1人(33)からの手紙は続いた。
  無期懲役から死刑となった被告の手紙の方が多く、4か月に一回ほど送られてくる。受け取りを拒否しているが、拘置所で作業を願い出てためたという現金も、年に一度、届けられる。
  〈読経や写経をさせて頂く事と請願作業して頂ける賞与金を御遺族に送らせて貰うのがせめてもの気持ちですから(中略)今後も送らせて頂きたいと強く想ってます〉
           ◇
 名古屋拘置所の面会室。先月25日、1、2審とも死刑判決を受けた被告は、記者に語った。「人の命を奪った人間が言うのは許されないと思うが、できることなら生きて償いたい」
  今月12日、2審から死刑となり、今も手紙を出し続ける被告は、「生きて何かできることをやっていければ。でも、自分の立場を考えると、死刑もやむを得ないと思う」と話した。そして、言った。
 「今、僕が生きているのはありがたいことだから、ご遺族に恥ずかしくないように、手紙をずっと書きたい」
           ◇
 恭平さんが3人に死刑を望む気持ちは変わらない。「反省の気持ちが伝わっても、刑は残忍な犯行に対する結論。謝罪とは別なんです」。ただ、今は手紙から彼らがどう変わろうとしているのかを読み取ろうとしている。手紙はどこまで反省しているのかを知る物差しだと思う。
  テルミさんは、手紙を前に目を伏せる。「この子たちも、苦しんでいるんでしょう。でもそれ以上に私たちは重いものを背負った。本当にたまらなくなる時があります。正史の声をもう一度聞きたい……」
  (2008/12/19Fri. up)
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連続リンチ殺人 あす最高裁弁論 16年余・・・向き合う日々
 中日新聞2011/02/09朝刊
  愛知、岐阜、大阪の3府県で1994年、11日間で19~26歳の4人の若者の命が奪われた連続リンチ殺人事件で、強盗殺人などの罪に問われ、2審で死刑とされた犯行当時18~19歳の元少年3被告の上告審は10日、最高裁第1小法廷(桜井龍子裁判長)で弁論が開かれる。事件発生から16年余。死刑確定を待ち続ける被害者の遺族。面会を通じて被告と交流を始めた遺族。弁論を前に思いを聞いた。
  昨年10月初旬、事件で長男江崎正史さん=当時(19)=を失った愛知県の江崎恭平さん(66)、テルミさん(65)夫婦は、殺害現場の岐阜県輪之内町の長良川河川敷に立った。テルミさんはつらさで倒れそうになり、恭平さんは15分余りたたずんだ。
  その日、夫婦は事件の経過と同じ時刻に長男が連れ回された5つの現場を巡った。すべての現場に足を運んだのは初めて。「追悼というより、上告審の前に気持ちを再確認したかった」と恭平さん。死刑という2文字にすべての謝罪と贖罪が含まれると考えている。
  事件後の数年間。夫婦は長男の部屋をそのままにしたが、遺品に手が伸びると動けなくなってしまった。「これではいかん」。恭平さんは自分の書斎に改造し、長男と共有する日常の空間にすることで何とか乗り越えた。
  それでも、最高裁の弁論期日決定を待ちわびた時期は、気分が激しく落ち込んだ。テルミさんは訴える。
  「遺族の気持ちは事件当時と少しも変わらない。この16年は長く、負担でした。判決が確定しなければ、新しい一歩を踏み出せないのです」
  事件で弟を奪われた愛知県内の男性(43)は2009年4月、大阪府松原市生まれの被告(35)と、弁護士の勧めで面会した。
  被告の言動に直接触れ、「その場の雰囲気に流されて犯行に及んだのではないか」と考え始め、「自分が助けなくては、ひとりぼっちだ」と思うようになった。
  面会のたびに、ぶ厚いアクリル板越しに手を合わせる「握手」を被告に促す。「体温を感じるか」「人を信じろ」と言葉を掛けたこともある。ただ、被告のことを完全に許せるかどうか---。家族との意見はまだ一致していない。
  男性との交流について、被告は「初めは遺族と会うことが怖かった。しかし、気持ちが以前より前向きになれた」と話している。
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連続リンチ殺人 上告審弁論 「真の謝罪に思えぬ」遺族 ため息、不信強く
中日新聞2011/02/11Fri.
 「年齢ではなく犯した行為で裁かれるべきだ」。閉廷後、遺族の1人はあらためて強く死刑を求めた。最高裁で10日開かれた連続リンチ殺人事件の弁論。3被告を死刑と無期懲役に分けた1審を覆し、全員を死刑とした控訴審判決から5年余。18~19歳で事件を起こし、名古屋拘置所で35歳となった元少年の被告たちは、取材に「償い」への苦悩ものぞかせた。
  「責任転嫁が多い。自分さえよければ、という主張は今回も変わらなかった」。事件で当時19歳の長男を奪われた愛知県一宮市の江崎恭平さん(66)は傍聴後、最高裁の門前で深くため息をついた。
  3被告の弁護人は「遺族に謝罪の手紙を出している」などと反省振りを強調。しかし、全員の死刑確を望む江崎さんは「真の謝罪に感じられない。とらわれの身なら、きれいな言葉も出る」と一蹴した。
  「被告からの手紙を受け取るのも、法廷での主張との違いを見つけるため」と断言した。未熟な少年には死刑を適用すべきでないとの主張には「法律で18歳以上の死刑はあり、回避の理由に当たらない。犯した行為で裁かれるべきだ」と語気を強めた。
  控訴審の後も裁判資料を読み続け、3被告の主張の食い違いに不信を強めてきたという江崎さん。この日、最高裁から判決日は示されなかった。「早くけじめをつける時が来てほしい。それを新たなスタートにしたい」

  「与えた苦しみ思う」「生きて償いを」
  2005年の控訴審で死刑判決を受けて上告した3被告は、最高裁弁論を前に、本紙記者との面会などでそれぞれ罪に向き合う日々を語った。
  「自分が与えた苦しみをいつも思う。自分のような存在も、被害を受ける側の人もつくってはいけない」
  キリスト教の支援者と毎週面会する愛知県一宮市生まれの被告は支援者に頼まれ、非行少年に激励の手紙を書く。こうした活動も「償い」と考えている。
  親しい人への手紙は「絆」の一文字で結ぶ。支援者は「家庭環境に恵まれなかった本人が、一番欲しいものだろう」と受け止めている。
  「自分にも家庭や支援者がいて、一方で被害者がいる。その真ん中にあるのが自分」。そう、遺族感情への配慮と上告して争うことの葛藤を打ち明けたのは大阪市西成区生まれの被告。「自分が犯した罪は認めるが、それとは切り離して争いたい事実関係もある」と強調した。
  弁護士の仲介で一部被害者遺族との面会を続ける大阪府松原市生まれの被告は、本紙への手紙で「生きて償いをさせていただきたいと思っている私に力を与えてくださる」と記した。ただ、死刑の確定を望む遺族からは、今も見舞金の受け取りを拒まれている。
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凶悪犯罪とは何か1~4 【1】3元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決『2006 年報・死刑廃止』
 
1、3人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決
司会 昨2005年10月14日に木曽川・長良川事件という少年による事件の控訴審判決がありました。01年の名古屋地裁判決では1人死刑、2人無期判決だったのが高裁では3人とも死刑判決が出て非常に驚いたのですが、この弁護人だった村上さんからこの事件について話していただけませんか。
村上 名古屋の事件というのは、いわゆる木曽川・長良川事件といわれるリンチ殺傷事件(1994年)で、19歳前後の少年たちが、大阪で1人の若者を死に至らしめ、その後愛知に移って、愛知の木曽川で、1人の若者を死に至らしめ、そして長良川河川敷で2人の若者を死に至らしめた事件であります。
  その前に、名古屋では大高緑地アベック殺人事件(1988年)というのがあり、当時、少年または少女たちによる凶悪犯罪として大きく報道され、それに続くものとして、この木曽川・長良川事件が起きましたので、名古屋では相当衝撃的な事件として報道されていたわけです。
  この事件は、少年たちが出会って集団になってから20日前後から1ヵ月半程度しか経っていない段階でこの犯罪が起きているというのが特徴的です。
  この木曽川・長良川事件は、1審で1人が死刑で、2人が無期となりました。そして、そこで、死刑と無期に分かれた論理は、主犯格か従属的な立場だったかが主な形で区別されたわけです。その後、控訴され、検察官は3人ともに死刑を求刑し、名古屋高裁におきまして3人とも死刑判決が下されたのです。
  裁判をやっていくなかで、私が一番感じたことですが、この木曽川・長良川事件以外の他の事件の中で被害者の方の意見陳述という制度が導入されてきまして、被害者感情が裁判にそのまま導入されてきているなぁというイメージがありました。でもそれは、犯罪事実の認定だとかそういうことには影響しないと言っているんですけれども、被害者遺族が被害感情を強く法廷で言うことによって、裁判官は、被告人にとって一番シビアな犯罪事実の認定を選ぶというような効果があるのではないかという危惧感をもっておりました。
  当時、この木曽川・長良川事件で自分が担当している被告人に対して死刑判決はないと確信しておりました。証拠調べが終わった最後に、4人の遺族の代表的な方が、被害者意見陳述で痛烈に被告人3人を非難しました。そこでは、死刑という言葉は使われてはいません。ただ、この3人は絶対許せないという形で、法廷にそのままの形で感情が入ってきました。そのときに、この被害者意見陳述が裁判所にどういう影響を与えるんだろうと危惧感を感じました。実際、判決を聞いたときに、被害者意見陳述の内容がそのまま判決の構成になっているというのを感じました。つまりその被害者遺族の方は、1審から2審までずっと法廷を傍聴していて、かたや裁判官は1審と2審で変わりますので、ずっと法廷を傍聴している被害者遺族のおっしゃられることが非常に重いものになる。その状況の中で被害者意見陳述という形でその被害者の方が、この3人は絶対許せない、そしてその根拠を、裁判の中での事実認定を引用しながらお話しをされますと、裁判官の心証に強烈に影響を与えないわけがないと思われるんですね。後から判決を見たときも、ほとんど同じじゃないかというのを感じました。
  その後、僕はいろんな大学で学者の先生とお話しする機会がありまして、裁判実務では、被害者の意見陳述というのは死刑にとって大きな影響を与えるんだということを話させていただきました。実務をわかってらっしゃる学者の方はそれはそうだとおっしゃってくれるんですけれど、そうではない学者の方たちは、死刑か無期かという量刑を判断するときに被害者の意見は、量刑を根拠づける理論的なものはそれほどないはずだとおっしゃっていました。でも、いま実務では非常に被害者意見陳述というのは怖い、被害者の感情は怖いと、それを私が肌で体験したのがこの木曽川・長良川事件だったわけです。

2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの
安田 木曽川・長良川事件の1審判決はかなり杜撰だったけれども、事件をそれなりに見ようとする態度が見られたと思います。というのは、木曽川の事件については殺人罪を認定しなかった。裁判所は、子供たちの曖昧模糊とした意思とバラバラな意思疎通の中で、解決策も歯止めもないまま事態だけがどんどん悪い方向に進行していくという事案の実相をそれなりに見ていたんだろうと思うんです。しかし、それにもかかわらず一人だけを死刑にしたというのは、やっぱりあの被害者の数との関係で、ものすごい政策的な辻褄合わせをしたんだろうと思うんです。ですからあの判決はたいへん中途半端な判決で、それが、高裁につけいるスキを与えてしまったんだと思います。検察官にとっては大変批判しやすかったんだと思うんです。
  高裁は、それぞれの子供たちが細胞としては別々かも知れないけれど、3つ、4つ集まってからまると1つの生物となるとでも考えたのか、3人をまとめて故意を認定し、それをテコに3人を死刑にしてしまうという、ものすごく荒っぽいことをしてしまいました。あの判決のどこを読んだって、法適用の厳粛さ、つまり3人に死刑を適用しなければならない必然性は出てこない。もちろん、熟慮の痕跡などもまったくない。ましてや教訓的でもない。単なる決算書とほとんど変わらないような中身だったですね。僕は、あれを見てやはり司法の危機というのをすごく感じたわけです。
  それに比べ、アベック殺人の高裁のときは、裁判官は悩んだですね。思いっきり悩んで、しかも、子供たちを死刑にするのは自分たちとして、大人たちの社会として許されるだろうかという問いかけがその中にありましたね。苦渋の選択が判決の中から読みとれたけど、今回ははっきり申し上げて何一つなかったわけです。真面目さが欠如していますね。
  それは司法そのものが、裁判官も含めてですけれど、思想とか哲学とかそういうものを持ってこなかったことの結果だろうと思います。すでに司法のメルトダウン現象が起こっているんですね。それはどういうことかというと、司法が担うべき役割、その重要な要員である裁判官・弁護士・検察官が、自分たちが果たすべき職責を完全に忘れてしまって、一般世論、あるいはメディアと完全にシンクロしてしまっているんですね。それは、時の権力や勢力に一切支配や影響をうけることなく、超然として、法にのみ支配されてその職責を遂行する、つまり、刑事司法の場面では、違法捜査を抑止し、事実を徹底して解明し、有罪の場合はなぜこのような事件が起こったのかというところまで事案を掘りさげ、公正に刑を量定すると同時に今後、被告人が生きていくすべを指し示す、そういう職責を司法は担っているんですね。ところが、このような職責を全部放棄して、世間相場で物事を見切って事件を処理してきた。司法のメルトダウン現象は、司法全体の怠慢の必然的な結果なんだろうと思います。
  木曽川・長良川の事件の判決は光市の事件の判決と軌を一にしていますね。それは、事実解明の努力の欠如と世論への徹底した迎合です。それで、凶悪ということが今日のテーマになっているんですけど、僕は凶悪とは、見る人のイメージがそのまま反映されて凶悪という表現をとっているものであって、結局、自己の価値観というか自己の傾向をそのまま表現したものだと思うんですね。マスコミは、いろいろな事実がある中で、視聴者や読者の凶悪のイメージと合致する事実だけをつまみあげて強調していく。捜査官も検察官もそうだと思うんですよ。数ある事実の中で被告人が有罪だという事実と凶悪だという事実だけを取り上げて事件を構成していく。時には事実をねつ造したりします。そして弁護人も裁判所もまったくそれに汚染されてしまって、何らそれに抗するだけのものを持っていない。ですから、よってたかってみんながこれでもか、これでもかと、被告人に凶悪というイメージを叩きつけていく。叩きつけるのは事実ではなくイメージなんですね。もはや司法はリンチの世界になってしまっていると思いますよ。
  有罪・無罪だけでなく、量刑も被告人にとって重大なことです。ましてや、死刑か否かは決定的です。平川先生がいらっしゃるので僕は苦言を呈したいんですけど、被害者感情が刑の重さを決める上でどういう位置を占めるのか、あるいはどういう位置を占めるべきかということについて、刑法学の中で、まったく議論がされてこなかったんですね。犯罪の成立とかそういうことについては、熱心に議論がなされてきた。そして、それが刑が無限定に拡大していくことへの歯止めになってきた。しかし、被害者感情についての議論は皆無なんですね。そういう中にあって、被害者の意見陳述や被害者の訴訟参加など、被害者感情が一気に刑事司法になだれ込んでこようとしている。今のままでは、量刑だけでなく犯罪の成否についても、被害者感情に支配されるという刑事司法の総崩れ現象が起こるのではないかと危惧しています。現に、光市の事件では、最高裁をはじめ、1,2審も、全て量刑の議論だけに終始し、事実の解明がまったくなおざりにされているんです。
  本来、司法は冷静で、客観的で、そして理性的でなければならない。司法の誕生は、政治的思惑や私的制裁あるいは被害者感情からの分化の歴史だったと思うんですよ。ところが司法の側にこれを守りきるだけの力がないから、その垣根が総崩れになっている。司法は時の政権におもねり、世論や感情に同調し、もう手がつけられない状態になっている。弁護士、検察、裁判所、司法全体の暴走状態が始まっているという気がするんです。木曽川・長良川の高裁判決、光市の最高裁判決は、そのはしりだと思うんです。
平川 今まで刑法学が量刑の問題をやってきていないではないかというご批判は、その通りだと思います。今までの刑法学は、犯罪成立要件、いわゆる犯罪論のところばかりやってきた。量刑の問題は、刑法学の隅っこで、ほんのわずかしかやられてきていないということは、おっしゃる通りです。そして、量刑の理論的研究と実際の量刑問題が、なかなか結びついてこない。一方でいわゆる量刑相場の分析が行われ、それとは別のところで量刑責任論などの形でまったく理論的な研究がされていて、両者が結びついていない。理論と実際の量刑を結びつけるような量刑理論がなければいけないのですが、実際の量刑の場面で有効性を持つような研究がないことは、おっしゃるとおりです。最近は、量刑研究も徐々に進みつつありますが、まだまだこれからの課題です。そういう意味では、刑法研究者は怠慢だったし、今でも怠慢だろうと思います。
安田 平川先生を非難しているわけじゃなくて(笑)
平川 それから、裁判所が悩まなくなっているということは、最近の判決を見ていると、私もそう感じます。しばらく前までの判決は、それなりに悩んだ形跡がうかがえるようなものが多かったと思います。
  永山判決がその後の判決の流れを作っているわけですが、あれも、よく読んでみると、それなりに悩んでいますね。しかし、最近は、永山判決の悩みのようなところもすっ飛ばして、永山判決に挙げられている基準だけを形式的な一覧表にして、それにポコポコあてはめて結論の正当化の理由にしているような判決が少なくないように感じます。中には、永山判決に依拠した場合に本当にこういう結論になるんですか、と言いたくなるようなものもある。今回の光市事件の判決もそうですが、判決文をよく読んでみると、実質的には永山判決の基準の変更になっているのではないか、少なくとも永山判決はそういうことを言っていないのではないかという気がするのです。最高裁は、そこまで来てしまっているということだと思います。
  私は、この背後には、裁判員制度が影を落としているように思います。裁判員制度になれば、一般の人たちの処罰感情が量刑にもろに反映していく可能性があるわけです。どうせそうなるのだから、ここで自分たちが頑張ってもはじまらないというような意識が、裁判官の中に生まれはじめているのかなと思うのです。
  しかし、むしろ、この際、裁判員制度をにらみながら、量刑はどうあるべきかをもう一度きちんと考えなおして、裁判や判決の中できちんと押さえておくことが必要だと思います。そうでないと、裁判員制度になったら本当に量刑が一般の人の処罰感情に流されていってしまうのではないか、という危惧があります。
村上 裁判員の問題については、確かに一般の人々の感情がもろに裁判に反映されるという部分もありますし、逆に裁判員の市民の方が裁判に参加されることによって、死刑というものを判断することが非常に勇気のいることであり、むしろ市民の人たちも躊躇するかもしれないという見方も一方ではあるわけですね。そういう場合に、今回の光市の判決はある意味では先頭に立って、こういう時はこうするんだというのを国民みんなに知らしめたという役割があるんだとおっしゃる弁護士もいます。
安田 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
  ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。
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3元少年に死刑 「厳罰化」の流れのなかで
2011/03/12付 西日本新聞朝刊
 1994年に男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件で、強盗殺人罪などに問われていた犯行当時18―19歳の元少年3人の死刑が確定する。
  上告審での最高裁の判断は、4人の命を奪った結果の重大さや犯行の残虐さを考えれば、被告らの年齢やその後の反省の態度を考慮しても、極刑選択はやむを得ないというものだった。
  少年の犯行であっても凶悪犯罪には厳罰で臨む。結果責任と社会に与えた衝撃の大きさを重視する近年の司法の厳罰化姿勢をあらためて示した判決である。
  二審の無期懲役判決を破棄し、審理を差し戻した光市母子殺害事件の上告審判決で示された少年事件への死刑適用判断を踏襲したものといえる。
  少年法は更生や保護を基本理念としており、18歳未満には死刑を科さないと定めている。18―19歳は対象外だが、最高裁が18歳の被告に実際に死刑を言い渡した例はこれまでなかった。
  最高裁が死刑選択の基準を示した連続ピストル射殺事件の永山則夫元死刑囚も犯行時は19歳だった。
  光事件上告審で最高裁は被告が犯行時18歳だったことについて「死刑を避ける決定的事情とは言えない」とした。これが、18歳の被告にも死刑選択を許容する初めての最高裁判断だった。
  今回の事件は当時19歳と18歳の少年3人が大阪、愛知、岐阜の3府県で11日間に、4人にリンチを加えて次々に殺害したというものである。極めて残忍な事件で、社会に大きな衝撃を与えた。
  その上告審判決で最高裁が重視したのは犯行自体の悪質さや残虐性であり、結果の重大性だった。被告らの行為を「少しのためらいもうかがえない」「なぶり殺しというべき凄惨(せいさん)なものだ」と断罪する死刑判決の文言がそれを物語る。
  判決は、被告が犯行時に少年だったことは「酌むべき事情」として挙げてはいるが、それを「最大限に考慮しても死刑はやむを得ない」と結論づけた。
  しかし、そこでは被告の成育歴や家庭環境、精神状態などの個別情状や矯正の可能性について、具体的に検討した形跡はない。上告審では二審判決が正義に反しないかを判断しただけなのだろう。
  それでも、判決は「18歳以上なら犯罪の結果を重視し厳罰で臨む」という最高裁メッセージとして、少年の凶悪事件の「厳罰化」の流れを加速させることになるのではないか。
  当然、裁判員裁判にも大きな影響を与えることになる。にもかかわらず、少年らの更生可能性をどう判断したのか、最高裁が触れなかったのは疑問である。
  一、二審で「未成熟な少年が統率されていない集団を形成したことによる短絡的犯行」とも指摘された事件である。未成熟ゆえに少年らが引き起こす犯罪を、どうとらえるか。それに重罪を科す是非を、どう考えるか。難問だが、司法だけでなく市民も問われている。
 (旧HP原稿)
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【少年と罪】 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件 議論尽くし全員極刑 控訴審裁判長を務めた川原誠さん

       

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