異例人事! 麻生太郎・副総理兼財務相の実弟が九州財界会長に就任の舞台裏

2013-04-24 | 社会

異例人事! 麻生財務相の実弟が九州財界会長に就任の舞台裏
ビジネスジャーナル 2013年04月24日21時00分
 黒いボルサリーノの帽子と黒のロングコート姿で外交に臨み、「ギャングスタイル」と海外メディアを驚かせた麻生太郎・副総理兼財務相(72)。こんどは、実弟が九州財界のトップに座ることになり、またまた世間を驚かせた。
 九州・山口地区の地方経済団体である九州経済連合会の次の会長に、麻生太郎氏の弟で麻生グループ代表の麻生泰氏(66)が就く。2009年から会長の椅子にあった松尾新吾・九州電力相談役(74)は退任する。6月の総会で正式に決定する。
 地方の財界のまとめ役である経済団体の会長職は、電力会社の出身者が就くことが通例となっている。現在も8つの経済連合会の会長は、すべて電力会社の会長や相談役だ。九経連の会長職は61年の設立以降、歴代会長7人はいずれも九電の会長経験者が務めてきた。九電出身者以外では初となる。まさに異例中の異例といえるサプライズ人事である。
 松尾氏は九電会長時代の11年に起きた玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼動をめぐる「やらせメール」問題で、12年に会長を辞任して相談役に退いた。だが、九経連の会長職は「後任が見つからない」という理由で続投してきた。
 原発の依存が高かった九電は原発を動かせなかったため業績が悪化。この春、33年ぶりに電気料金の値上げに踏み切った。九経連会長のポストを担う企業は金銭的、人的負担が大きい。それでも、後任会長に九電出身者を充てることは消費者の理解を得られないと判断し、九電以外から後任を出す方向で人選を進めてきた。
「九経連会長は九電の指定席ではない」ーー松尾氏は折に触れて、そう強調してきた。
 しかし、九州財界の次のトップ選びは難航した。最有力候補は九州全域で事業展開するJR九州会長で、九州経済同友会代表委員&福岡経済同友会の代表幹事の石原進氏だったが、「上場しておらず、国の基金に頼った経営をしている」との理由で本人が固辞。西日本鉄道、福岡銀行の地場大手企業の首脳は、いずれも就任を断った。安川電機やTOTOなどの大手メーカーは関心すら示さなかったという。
 最後に松尾氏が頼ったのが「麻生ブラント」だった。福岡県飯塚市に本社を置く麻生グループは、元首相で現・副総理兼財務相の麻生太郎氏の実家である。
「松尾氏は11年の福岡県知事選で、麻生太郎氏が推す小川洋氏の支持で経済界をまとめた。松尾氏と麻生氏は深い縁がある。トップ同士の話し合いで決まったということでしょう」(地元財界人)
 引き受ける条件は「カネとヒトは九電がもつ」だったろう。これまで会長の出身企業は、カネだけでなくヒトも出してきた。政界・官界・経済界に根回しするために手足となって動く人間が必要だからだ。それほど財界活動の負担は大きい。大企業といえども会長職に尻込みするのはカネがかかり、人を出す破目になり、「何もミスをしなくて当たり前」といわれるほど役職に対する期待も高いからだ。結局、地方経済団体のトップは公共性が高く、地域のガリバー企業で各界に太いパイプをもつ電力会社の指定席となった。
 麻生グループの経営規模は、九電のような大企業でなく中小企業だ。カネもヒトも出す余裕はない。九電が担ぐ御輿(みこし)に乗ったというのが、麻生泰・九経連会長誕生の舞台裏だ。人選が難航して窮地に追い込まれた松尾会長に「ボルサリーノ麻生太郎」氏が助け船を出したと、地元経済界では受け止めている。
●炭鉱で財を成した麻生グループ
 それでは、麻生グループとは、どんな企業なのか。
 麻生家は「華麗なる一族」として有名だ。母方の家系には明治の元勲、大久保利通、戦後の日本をつくった宰相、吉田茂といった歴史上の人物が名を連ねる。麻生太郎氏の義父は鈴木善幸・元首相。妹の信子氏は三笠宮寛仁殿下に嫁ぎ、皇室につながる。
 麻生家は麻生太吉氏が明治5年に福岡県飯塚市で石炭採掘業を始め、「筑豊御三家」と呼ばれるほど炭鉱で財を成した。戦後のエネルギー革命で石炭からセメント事業に転身。セメント事業の衰退から、さらに2度目の変身をした。「株式会社麻生」に商号を改め、病院・福祉・教育・人材派遣などに軸足を移した。
 今や、麻生学園などの学校法人と麻生飯塚病院などの医療法人が経営の2本柱。お嬢様学校として有名な福岡雙葉学園(幼・小・中・高)を傘下に持つことでも知られる。株式会社、麻生の株式は学校法人麻生塾が23.6%、麻生泰氏が5.2%、麻生太郎氏が4.8%を保有する。
 麻生グループのホームページによると、グループの総売上高は1450億円(12年3月期)。グループの社数は69社。グループ社員数は7251人と地場企業では大きい。しかし、中核企業である飯塚病院(病床1116床)を経営する株式会社・麻生の12年3月期の連結売上高は1039億円で、最終損益は4億円の赤字。業績は水面下にある。
 先代来の炭鉱王兼衆議院議員で、吉田茂首相の資金スポンサーでもあった麻生太賀吉氏の三男が麻生泰氏だ。長男が元首相の太郎氏(急逝した祖父の名を継ぐ、家系図を参照)、次男の次郎氏は学習院大学在学中にヨットの遭難事故で死亡。妹が寛仁殿下の信子妃だ。
 泰氏は、慶應義塾大学法学部から英国に留学。オックスフォード大ニューカレッジを卒業。兄の太郎氏の政界進出にともない、1979年、麻生セメント(現・麻生)の社長に就任した。2010年6月、社長を長男の巌氏(38)に譲り会長に退いた。財界活動に軸足を移し九経連の国際委員会委員長、飯塚商工会議所会頭を務めている。
 後継者の巌氏は、幼稚舎からの慶應ボーイで慶應義塾大学経済部を卒業した。日本長期信用銀行からケンブリッジ大学に留学した経験をもつ。麻生では医療事業開発と新規事業開発を担当。病院などのM&A(合併・買収)に力を入れている。東証上場の動画投稿サイト「ニコニコ動画」を運営するドワンゴの社外取締役を務めている。
●「ぎょうせい」買収の不可解
 巌氏が注目を集めたのは2012年12月。社長を務める株式会社、麻生が都内の大手出版社「ぎょうせい」(東京都中央区)を買収したからだ。
 12年10月に麻生が設立した株式会社・プラネットホールディングスが同年12月、ぎょうせいと、その株式を保有していた有限会社・プラネットホールディングスの2社の株式を100%取得し子会社にした。買収価格は324億円。300億円は、みずほ銀行からの借り入れで調達した。巌氏は12年12月21日、ぎょうせいの代表権をもつ取締役に就任した。
(有)プラネットホールディングスはMBO(経営者が参加する買収)の際に、ぎょうせいの株式を引き受けるために作られた会社。役員は旧第一勧銀、旧富士銀の出身者。実態は、みずほ銀のダミー。(株)プラネットホールディングスとまぎらわしいが別の法人である。
 ぎょうせいのM&Aは金融界を驚かせた。株式会社麻生の12年3月期の長短借入金は356億円。買収資金が、それに匹敵するほど大きかったことだけではない。ぎょうせいは、みずほ銀行が持て余している問題案件だったからだ。
 ぎょうせいは法令・法規の関連書籍を手掛ける老舗出版社。過去に米誌『フォーブス』の日本版(現在は休刊)を出していたことで知られ、01年度の売上高は出版業界7位の760億円をあげ、大手にランクされていた。だが、創業者の死によって暗転。事業を引き継いだ養子の社長が、相続税12億円を脱税したとして逮捕されたのをきっかけに業績は低迷。06年にMBOによって創業者一族を追放した。MBO資金を出したみずほ銀行は、ぎょうせいの受け皿企業を探していた。
 みずほ銀行の問題債権の肩代り先となったのが、株式会社麻生だった。「麻生はババをつかむことにならないか」と懸念された理由だ。その麻生の会長である麻生泰氏が九経連の会長に就くというのだ。
●ヤマト樹脂光学の久保村広子・元社長と麻生家の関係
 2月22日、東京地検は医療機器販売会社ヤマト樹脂光学(破産)の元社長、久保村広子容疑者(79)を詐欺罪で起訴した。起訴状によると久保村被告は2008年2~3月、大学病院などから医療機器を受注したとする虚偽の売買契約書を、りそな銀行に提出して同行から40億円を騙し取ったとされる。
 実は、久保村被告と麻生太郎氏は浅からぬ関係にあったのだ。久保村被告が08年に別の汚職事件で逮捕されたとき、麻生氏の政治資金団体に献金していたことが判明して大騒動となった。今回、5年前のスキャンダルが蒸し返された。
 久保村容疑者が汚職容疑で逮捕された08年8月当時、麻生氏は自民党幹事長。翌9月24日に、内閣総理大臣に就任した。汚職事件そのものはベタ記事扱いだったが、麻生首相のスキャンダルとあって大騒ぎになった。
 疑惑は3点ある。ひとつはヤマト社は95年から06年の12年間、麻生首相が支部長を務める自民党福岡県第8選挙区支部や首相の資金管理団体「素淮(そわい)会」に計400万円に上る献金をしていたこと。
 ふたつ目は麻生首相(当時外務大臣)が07年6月15日、ヤマト社の創立40周年記念パーティーに出席して「堅実な商売をしている久保村さんのやっている仕事にお力を賜りますように」と挨拶したこと。これだけだったら政治家と支援者の関係にすぎないが、両者にただならぬ関係があると思わせたのがみっつ目の事実である。医療機器納入をめぐる汚職事件で社長が逮捕され、破産したヤマト社のコンタクトレンズ事業部の事業を継承した会社の役員に麻生巌氏が名を連ねていたことだ。
 この会社は医療系投資会社のキャピタルメディカル(東京都港区)。05年2月の設立である。ヤマト社が破産手続き開始決定を受けた08年8月11日付でキャピタルメディカルが事業を継承することでヤマト社と合意していた。
 キャピタルメディカルの社外取締役に麻生巌氏が06年3月に就任している。2010年に麻生泰氏(父親)の後を継いで麻生の社長になっている。麻生グループの次期、総帥となる人物だ。
 麻生太郎副総理にとって、久保村広子被告との関係は、絶対に触れてほしくない恥部なのかもしれない。
●詐欺事件の概要
 ヤマト樹脂光学は61年創業。66年に法人化したコンタクトレンズの製造・販売会社。当初は大学病院や眼科医など医療機関向けに、医療用コンタクトレンズの製造卸を行っていたが、近年は、大手コンタクトレンズ販売チェーン向けに同レンズのOEM生産(相手先ブランドの委託生産)が主力になっていた。全国の大学病院内に売店を開設、病室のテレビのプリペイドカード事業にも乗り出した。カードを買えばテレビが見られる。08年3月期には売上高680億4893万円をあげていた。しかし、会社の闇が一気に噴出する。08年7月、コンタクトレンズの使用期限の偽装問題が発覚。翌8月10日に東京地裁に自己破産を申請し、同11日に破産手続きの開始決定を受けた。負債総額は227億円。
 ここからひたつの事件に発展する、ひとつは汚職事件。同8月下旬、国立身体障害者リハビリテーションセンター病院の医療機器選定を巡って元部長に賄賂を渡したとして、久保村容疑者が警視庁捜査2課に贈賄容疑で逮捕された。さらに防衛医科大病院の元眼科部長にも同様の不正を行っていたとして再逮捕。結局、一連の汚職事件で久保村被告は09年3月、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。
 医療機器や製薬会社の担当者が受注先の医師を高級料亭などで接待し、現金や商品券をこっそり渡すのは日常化していた。女傑といわれた久保村社長は自らが接待に当った。大学病院内の売店は、それ以前は各種の天下り団体の利権だったが、ヤマト社が次々と売店の権利を得ることができたのは、久保村社長が大学病院の中枢に食い込んでいったからだ。「スゴ腕の女社長」として知られた存在となった。
 汚職事件で一件落着と思いきや、そうではなかった。もうひとつの大きな事件が発覚した。医療機器の取引をでっち上げ、メガバンクを含む8つの金融機関から1000億円を超える巨額の融資を引き出していたのだ。
 2月1日、警視庁捜査2課は久保村容疑者を、りそな銀行から40億円を騙し取った容疑で逮捕した。ヤマト社は03年ごろから10億円以上の不良債権を抱えるようになり、資金繰りが悪化。架空の売掛金を担保に借り入れた金を他の金融機関への返済に充てる自転車操業を繰り返していた。03年12月から08年8月の破産申し立てまでの間に合計1140億円の融資を受けていた。
 ババを引いたのが初めて取引した、りそな銀行だった。元銀行員のブローカーが、りそな銀行に「いい融資先がある」とヤマト社を紹介したのがきっかけだった。りそな銀行は08年3月に、防衛医科大病院などの売掛金を担保に40億円を融資した。その際、久保村容疑者は「借金をしていることが取引先にわかると会社の信用が落ちる」と言って、大学病院や学校法人側に、この借り入れの事実を通知しないよう要請していた。
 08年7月末、借入金の返済が遅れたため、りそな銀行は初めて大学病院などに売掛金を担保に融資していることを通知した。するとどうだろう。病院側から「契約は結んでいない」との連絡があり、取引が虚偽のものだったことが判明した。
 手口はいたって単純だ。融資した銀行の1行でもが債権譲渡通知をしていれば、すぐにバレた。そんな初歩的な手続きをしていなかった銀行側にも手落ちはあるが、銀行マンを信用させて、完全に丸め込んでしまった久保村容疑者の説得力は凄いと言わざるを得ない。
(文=編集部)
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副総理 麻生太郎-「毒舌力」が日本を救う 2013-04-14 | 政治 
 副総理 麻生太郎 -「毒舌力」が日本を救う
 PRESIDENT 2013年4月29日号 著者 三河五朗 2013年4月13日

   

黒のボルサリーノを目深にかぶり、水色のマフラーに黒のファー付きのロングコート。72歳と思えぬスタイリッシュないでたちでモスクワに降り立った。ウォールストリート・ジャーナルが「ギャング・スタイル」と形容した存在感はファッションだけではない。今年2月、G20財相・中央銀行総裁会議の共同声明で、懸念されていた日本の名指し批判を回避させ、アベノミクスを国際社会に承認させた交渉能力。円安政策だと批判しようとしたショイブレ独財相には、BIS3次規制の実施を2年近く延期させているドイツの姿勢などにさらりと触れて黙らせたとか。国内政策としての量的緩和は認めさせつつ、外債購入や為替介入など海外に影響を与える政策を否定する合意で、最後まで日本批判をしていた韓国にはしっぺ返しをくらわせた。
戦後の名宰相・吉田茂の孫であり、鈴木善幸元首相を岳父に持ち、妹は皇族。元五輪クレー射撃選手で元財閥社長。存在自体に華がある。その華が首相時代には「軽さ」と見られ、バー通いや些細な失言でメディアに足元をすくわれた。だが、リーマンショック後の緊急金融サミットで財政出動を渋っていた米国の態度を変えさせ、国内では素早い景気回復策を打ち出して最悪の事態を回避した実績は疑いない。
首相経験後に大蔵大臣となり1930年代のデフレ不況を脱却させた高橋是清について「学ぶところが多い」と語る。首相時代にもしばしばその政策を模倣していた。リフレ派ではあるが、すべての責任を日銀に押し付けるのではなく、積極財政を重視する。
強面にべらんめえ調の毒舌は照れ隠しの擬態だ。実は人心掌握術にたけ官僚の信頼も厚い。「平成の高橋是清」と望みを託されるデフレ脱却のキーマンである。
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