朝日新聞はこのように事柄(麻生発言)を「歪曲」し、日本を国際社会の笑い物にしていくのか 櫻井よしこ 

2013-08-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言
産経新聞2013.8.5 17:26
 なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲(わいきょく)していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。
 8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「天声人語」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。
 討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。
 7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何(いか)にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。
 日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。
 月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。
 が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制(けんせい)球を投げた。
 セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。
 「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。
 事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。
 にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。
 憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。
          ◇
 たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。
 朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。
 朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲(わいきょく)報道の事例を指摘されているからだ。
 典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。
 古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴(つか)んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。
 これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。
 それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措(お)き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺(つぼ)ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。
 *上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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【この度し難き鉄面皮 朝日新聞の頬被り】西岡 力 『正論』8月号 総力特集「慰安婦」包囲網を突き破れ 2013-07-10 | 読書 

    

『正論』8月号 総力特集「慰安婦」包囲網を突き破れ我が国を貶め続けた一連の報道への批判にどう答えたか
この度し難き鉄面皮 朝日新聞の頬被り
「慰安婦=性奴隷」という不名誉な評価のルーツをたどると、朝日の誤報に行き着く。なぜ訂正しないのか
東京基督教大学教授・(にしおかつとむ) 西岡 力
p54~
▼朝日の「誤報」を繰り返し指摘した読売新聞
 橋下徹・大阪市長(日本維新の会共同代表)の発言をきっかけに、旧日本軍の慰安婦問題が再び国際的議論の的になっている。その渦中で、「日本官憲による慰安婦強制連行はなかった」との立場で20年余にわたる論争に加わってきた筆者にとって、大きな手応えを感じる出来事があった。橋下氏が5月13日に最初に慰安婦問題に言及した直後、読売新聞が《慰安婦問題は朝日新聞の誤報を含めた報道がきっかけで日韓間の外交問題に発展した》と繰り返し報じたことである。
 読売の記事を引用する。まず、橋下氏の発言を紹介した5月14日付朝刊では、「従軍慰安婦問題」と題した用語解説記事の中で、「1992年1月に朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じていたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。記事中には『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』などと、戦時勤労動員制度の『女子挺身隊』を“慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった」とした。(略)
p55~
 讀賣新聞は昨年8月にも、「慰安婦問題が日韓の支持・外交問題化したのは、一部全国紙が90年代初頭、戦時勤労動員だった『女子挺身隊』について、日本政府による”慰安婦狩り”だったと全く事実に反する報道をしたことが発端となった」と書いている(22日付)
 これだけ繰り返し「誤報」と指摘していること、昨年8月の記事では「一部全国紙」と匿名だったのが今年は「朝日新聞」と名指しして批判の調子を強めていることから、記者個人の見解ではなく、何らかの検証作業や社内論議を経た読売新聞社の見解として書かれたものと考えて差し支えないだろう。
 筆者は1992年以降、読売新聞が指摘した通り、朝日の重大な誤りを含んだ報道によって慰安婦が日韓の外交問題となったと主張し続けてきたが、同調者は当初、ほとんどいなかった。それから20年が経ち、日本最大の発効部数をもつ読売新聞が筆者と事実認識を共有するに至ったことに感慨を覚えるが、そんな個人的な思い以上に、慰安婦をめぐる議論に与える影響も大きいと考えた。そこで、『正論』編集部と相談して、朝日新聞に質問状を出した。
 用意した質問は全7項目。最初の2問をまず掲げる〔以下、朝日新聞宛の質問状では敬語を使ったが、紙面スペースの関係上、普通表現に改め、一部を略した。便宜上5、6番目の質問の順番は入れ替えた〕。

【質問①】貴紙は1991年8月11日付朝刊(大阪本社版)で、朝鮮人慰安婦について、「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」と報じた。翌92年1月11日付朝刊では、用語解説の記事で「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」、翌日12日付社説でも「『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され、中国からアジア、太平洋の各地で兵士などの相手をさせられたといわれる朝鮮人慰安婦」と紹介している。
 しかし、これらの記事は「挺身隊=慰安婦」という報道当時に流布していた誤解に基づいていると多くの人が指摘している。読売新聞も本年5月14日付朝刊で、上記1月11日付記事について「従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。/記事中には『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』などと、戦時勤労動員制度の『女子挺身隊』を”慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり・・・」と指摘している。現在も右記の記事に誤りはないと考えているか。

p56~
【質問②】貴紙は1992年1月23日夕刊「窓・論説委員室から」で、吉田清治氏の証言を次のように紹介している。「吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。・・・吉田さんらが連行した女性は、少なくみても950人はいた。/『国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います』」
 その後、貴紙は1997年3月31日付朝刊で、吉田清治氏の済州島での女性205人の「慰安婦狩り」証言に関し、「真偽は確認できない」との認識を示した。この「真偽は確認できない」吉田氏の証言は「済州島での慰安婦狩り」に限定されるのか。それとも上記コラムの内容にも当てはまるのか。

▼なぜ事実の確認から逃げるのか
 結論からいえば、朝日新聞は7項目の質問に一切、答えなかった。朝日の回答は以下の通りである。
 「朝日新聞社の主張は社説で、個々の記者の主張は解説記事やコラムなどで、それぞれ日々、お伝えしています。私たちが読者にお伝えしなければならないと判断した事柄は、朝日新聞の紙面や電子版など当社の媒体で報じています。お尋ねの件に限らず、貴誌の様々な主張について、当社の考えを逐一お示しすることはいたしかねます」
 編集部は6月4日に質問状を朝日新聞社広報部にファックスし、(1)朝日新聞社側のしかるべき人物との対談またはインタビュー(2)植村隆氏(後述)のインタビュー(3)文書-のいずれかによる回答の可否について、同6日までに返答するよう要請した。朝日側はその6日、「文書回答としたい」旨を編集部に電話で連絡してきた。やりとりの中で編集部が、回答期限を同13日と申し出ると、朝日側は「間に合わず遅れるかもしれないが、回答する」と約束した。そして同11日に編集部にファックスしてきたのが、上記文書である。
 たったこれだけの、しかも紋切り型の文章を用意するのに、回答期限に「間に合わないかもしれない」と答えるのは不自然だ。朝日側も何らかの反論を出すべきかどうか検討していた可能性もある。読売の再三の指摘を受けて、「黙ったままではいられない」という声が社内で上がっていたのかもしれない。
 結局、回答は「貴誌の様々な主張について、当社の考えを逐一お示しすることはいたしかねます」であった。しかし、質問①②は筆者らが何かを「主張」したものでも、朝日側の「考え」を問うたものでもない。「主張」「考え」の前提となる事実の確認を求めただけである。事実認識が間違っているとしたら、ジャーナリズムにとって重大なミスである。朝日は「逃げた」との誹りを免れないだろう。

p57~
▼誤報のレベルを超えた「ねつ造」記事
 質問①で取り上げた91年8月11日付記事は、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」の1人が名乗り出て、韓国の団体「韓国挺身隊問題対策協議会」が彼女の体験の聞き取り作業を始めた-という内容だ。女性は金学順さんで、記事は彼女の声も交えて構成されている。
 しかし金さんを含めて、「女子挺身隊」の名で強制連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた女性は、その後の各種調査で、いなかったことが分かっている。国家総動員法という当時の法律に基づく「女子挺身隊」制度で連行されたとすれば、国家による組織的、制度的強制連行だったことになるが、そうした事例があったことを証明する資料は見つかっていない。
 しかも金さん自身が、朝日の記事が出た91年8月以降、韓国紙との記者会見や日本の月刊誌のインタビュー、自ら原告の1人として日本政府に補償を求めた裁判の訴状などで、一貫して「自分は40円でキーセン(妓生。朝鮮半島の芸妓・娼婦)に売られた。自分を買った養父と一緒に中国に行って慰安婦になった」と証言しているのである(訴状では売られたとは言っていないがキーセンだったと述べている)。金さんのケースは当時としては珍しくなかった人身売買であって、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」ということとはまったく違う。金さんが「挺身隊として強制連行され、売春行為をさせられた」との朝日の記事は誤りだったのだ。
 ではなぜ朝日新聞は、金さんが「挺身隊として強制連行された」と報じたのか。この記事を書いた記者は、筆者が今回、インタビュー相手の候補として朝日側に要請した植村隆氏である。植村氏は韓国留学経験者で韓国語ができ、妻は、日本政府を相手どった金さんらの訴訟を日本の運動家らと計画した「太平洋戦争犠牲者遺族会」の女性幹部の娘である。そのことを、筆者は92年に慰安婦問題の調査で韓国を訪れた際、この女性幹部自身から確認した。つまり植村氏は、金さんが原告である裁判の利害関係者だったのである。
 記者が自らと利害関係のある裁判の記事を書くこと自体、ジャーナリズムの論理という観点から議論があるはずだ。またそうであれば、事実関係の記述には一層の厳密さが要請されるはずである。ところが、先に紹介した8月の記事だけでなく同年12月に朝日に掲載した金さんのインタビュー記事でも、植村氏は金さんが「キーセンに売られた」とは書かなかった。すでに金さん自身が韓国での記者会見で人身売買の被害者だったことを語り、韓国紙で報じられていたにもかかわらず、である。
p58~
 このケースは単なる誤報ではなく、義理の母親の裁判を有利にするために意図的に事実を曲げた、悪質なねつ造報道だと言われても弁解できないだろう。
 「慰安婦の強制連行はなかった」ということも含め、以上について私は月刊『文藝春秋』92年4月号に書いて以降(「『慰安婦問題』とは何だったのか」)、植村氏の問題も含めた朝日新聞の誤報について繰り返し問題提起をしてきたけれども、朝日側は一度も回答や反論を寄せたことはなく、今回もダンマリを決め込んだ。そのことだけでも新聞社の姿勢として不信の念を抱かざるを得ない。

▼国際社会でまかり通る「吉田証言」を全否定せず
 質問①では、朝日新聞の92年1月の記事にも触れた。これらは、当時の宮沢喜一総理訪韓にあわせて、朝日が防衛庁の研究所から慰安婦の連行に日本軍が関与していた資料が見つかったと報じた際、あわせて掲載されたものである(92年1月11日付)。資料は、軍が民間業者による違法な慰安婦募集をやめさせようとしていたことを示すもので、官憲による強制連行を証明するものでもなんでもなかったのだが、この報道で日韓両国の世論は激高し、宮沢総理は韓国滞在中、8回も謝罪を繰り返す羽目に陥った。
 その余韻さめやらぬ時期に掲載されたのが、質問②のコラムである。吉田清治氏は、1983年に出した著作『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』の中で、軍から、「朝鮮人女子挺身隊を動員せよ」という命令を受け、朝鮮の女性を奴隷狩りして慰安婦にしたという体験を語っている。つまり、「朝鮮人女性を挺身隊として強制連行した」というフィクションのルーツが吉田氏なのである。
 その後、吉田氏本人が、「事実をそのまま喋ったものではない」と発言し、また吉田氏が慰安婦狩りをしたと証言していた済州島では、地元新聞の女性記者の取材や秦郁彦氏の調査で、彼の話にはまったく根拠がないことが分かった。慰安婦問題の専門家で、先述の「軍の関与」資料を発掘し、日本の責任追及派の中心人物である吉見義明・中央大学教授も、筆者とのテレビ番組での論争で、「朝鮮半島における権力による強制連行は証明されていない」と認めた。
 そのため朝日新聞も、吉田氏の済州島での慰安婦狩り証言について「真偽は確認できない」とせざるをえなかったのだろう。では92年1月のコラムで吉田氏が連行したという950人から済州島の205人を除いた745人についてはどう考えるのか。それを確認しようとしたのが質問②である。
 朝日はこれについても答えなかったわけだが、吉田氏の朝鮮人女性の奴隷狩り証言を伝えるこのコラムは、質問①で取り上げた91年8月、92年1月の「女子挺身隊として強制連行」とした記事と一連の報道とみなすことができる。「挺身隊強制連行」という誤った説のルーツが吉田氏だからである。朝日が「挺身隊強制連行」を訂正しないということは、92年の吉田氏についてのコラムも完全に訂正してはいないということである。
p59~
 朝日新聞が、吉田証言を明確に全否定しないことの弊害はきわめて大きい。吉田証言が、いまだに国際社会では事実であるかのように受け止められているからである。たとえば、96年に国連人権委員会(現人権理事会)に提出されたクマラスワミ報告である。国連で初めて出された旧日本軍慰安婦に関するこの報告書は、慰安婦を「軍隊性奴隷制(military sex slavery)」と定義付けるべきだとしているのだが、その事実認識の部分に、吉田証言がそのまま引用されているのである。
 このクマラスワミ報告が、2007年のアメリカ下院の慰安婦問題での対日非難決議や、元慰安婦の賠償請求権をめぐり韓国政府が具体的な措置を講じてこなかったのは違憲とした2011年の韓国憲法裁判所判決の事実認定に用いられているのである。この判決をきっかけに、当時の李明博政権が日本政府に慰安婦問題で強硬姿勢を取り始めたことは記憶に新しい。
 朝日新聞が91~92年に繰り返し誤報をした結果として、吉田証言に基づく「慰安婦狩り」、そして「慰安婦=性奴隷」という評価が国際社会に定着しつつあるのだ。そのことについての責任を問うたのが、以下の質問③④である。

【質問③】現在、「日本軍慰安婦は性奴隷だった」という評価が世界に広まっている。この評価に賛同するか。

【質問④】「日本軍慰安婦は性奴隷だった」との評価は、国連で1996年に人権委員会に提出された「クマラスワミ報告」で初めて明確化され、これを端緒に広まった。同報告書は吉田清治証言を事実関係の主要根拠としたうえで、日本軍慰安婦が国際法違反(人道に対する罪)であることを政府が認め、個人補償をするよう勧告している。同報告については、貴紙は繰り返し報道し、社説でも取り上げていて、肯定的に評価していると理解している。その評価は現在も変わっていないか。同報告の勧告内容に加えて責任者の処罰も求めた98年の「マクドガル報告」の勧告にも賛同しているか。

 クマラスワミ報告は、まず事実の認定があり、評価があり、それに基づいた日本に対する韓国-という構成になっている。すべての土台となる事実認定が間違っているならば、すべてが成り立たないはずであるが、先述したように、いまだに国際社会ではこの報告書が効力を発揮している。そのクマラスワミ報告の事実認識に基づいて、マクドガル報告は責任者の処罰を求め、慰安所を「強姦センター」と呼んで日本の名誉を貶めている。今年5月末に国連の拷問禁止委員会が日本政府に慰安婦問題での責任者の処罰を求める勧告を行ったが、それもこのマクドガル報告に基づいているのである。

p60~
【質問⑤】貴紙は2007年3月6日付社説で、次のように当時の安倍晋三首相を批判している。「旧日本軍による慰安婦問題をめぐって、安倍首相の発言が内外に波紋を広げている。・・・女性を集めた業者らが事実上強制をするような『広義の強制性』はあったが、当局が人さらいのように連行するといった『狭義の強制性』はなかった。きのう、首相は総説明した。
 だが、いわゆる従軍慰安婦の募集や移送、監理などを通じて、全体として強制性を認めるべき実態があったことは明らかだろう。河野談話もそうした認識に立っている。細やかな定義や区別にことさらこだわるのは、日本を代表する立場の首相として潔い態度とは言えない」
 しかし、貴紙は1997年3月31日付朝刊1面に掲載した河野洋平元官房長官のインタビュー内容を紹介した記事で、次のように書いている。「河野氏は、『強制連行』を『政府が法律的な手続きを踏み、暴力的に女性を駆り出した』と狭く定義すれば『そういうことを示す文書はなかった』と語った。しかし、『本人の意思に反して集められた』ことを『強制性』と定義すれば、慰安婦の募集、移送、管理などで『強制性のケースが数多くあったことは明らかだった』と断言した。/募集の『強制性』については、日本政府が聞き取り調査した韓国人の元従軍慰安婦16人の証言が主な根拠になっていることを明らかにした。そして戦前の時代状況について『政治も社会も経済も軍の影響下にあり、今日とは全く違う』と指摘。連行する側が『ごくごく当たり前にやった』としても、連行される側は『精神的にも物理的にも抵抗できず、自分の意思に反してのことに違いない。それは文書には残らない』とし、広い意味で『強制性』があったと認定した経緯を説明した」
 この記事の意図が、いわゆる「河野談話」の正当性のアピールであることは誰もが認めることと思う。とすれば、貴紙も「『強制連行』を狭く定義」「広い意味での『強制性』」といった言葉づかい、定義の仕方を認めていることになる。にもかかわらずなぜ、2007年の社説では、安倍首相が同じ意味の言葉を使ったことで批判したのか。

▼朝日の「強制の定義」を用いた安倍総理を批判
 質問⑤は、「広義の強制」「狭義の強制」といった概念は、そもそも朝日新聞が97年3月に主張したものだと指摘したうえで、10年後に同じ言葉を使った安倍総理を批判したのはおかしいと指摘したものである。しかしここではそのことには目を瞑り、朝日が97年3月時点の立場を確認するのであれば、女性の首に縄をつけて拉致、連行するような『狭義の強制』はなかったが、人身売買などで意に反して売春行為を強いられるなどの「広義の強制」はあったという点で、安倍総理と事実関係の認識は基本的には一致しているのだということを強調しておきたい。
p61~
 こうした認識が国際社会でも一般的になれば、残る課題は、「広義の強制」の評価だけである。つまり慰安所に置かれた女性の状況が当時の国内法や国際法、国際常識に反していて、時効も適用されない「人道に対する罪」に該当し、日韓条約上の義務を越えて日本が国家として個人補償しなければならないものだったかどうか、という論点である。
 当時は女性の地位が低く、貧困によって女性が人身売買され、売春をせざるを得ないという状況が世界各地にあった。現代でも、貧困によって人身売買され、売春を強要されている若い女性たちが世界中にいる。筆者はこれが女性に対する甚大な人権侵害であると考えており20年間の論争でそう主張してきた。一方で、旧日本軍慰安婦がそうした問題の一つのバリエーションに過ぎなったとすれば、本当に日本だけがこれ以上新たな責任を果たさねばならないのか、元慰安婦に個人補償しなければならないのかという議論になるはずだ。
 朝日新聞もこうした議論ができるステージに、97年3月に変わったはずだった。そして誤報によって自ら種を蒔いた国際社会の誤解を解くという課題に向き合うべきだったのだ。その意味でも、「細かな定義や区別にこだわるのは潔い態度とはいえない」と安倍総理を断罪した2007年3月の社説は看過できない。朝日の真意を聞き、議論したかったのだが、非常に残念である。
 慰安婦問題をめぐる論争を振り返ると、まず、91年に朝日新聞などの報道と、日本の一部の運動家や弁護士たちが計画した韓国人元慰安婦による対日政府訴訟運動が契機になって日本の責任追及が盛り上がった。
 一方で92~93年にかけて、この問題を調査した筆者や秦郁彦氏が、女子挺身隊の名の下での制度としての強制連行、あるいは吉田清治氏のいうような軍が直接組織的に加担した強制連行は証明されていないという反論を加えた。この範囲では、日本の責任追及派からの有効な反論はなかったし、同時期に慰安婦の調査をした韓国の歴史学者、安秉直氏も、権力による強制連行は認められなかったという結論を出した。

▼「強制連行」説の破たん後は河野談話を「武器」に
 そんな中で出されたのが93年の河野談話だった。日本政府は、権力による強制連行には証拠がないことを前提にしながらも、水面下で韓国と交渉をして、強制の認定基準を「本人の意思に反して」いたかどうかに拡大し、元慰安婦の女性たちに「嫌だったですよね」と確認するだけの聞き取りを非公開で実施し、慰安婦の「募集、移送、管理等」が「総じて本人たちの意思に反して行われた」とする河野談話を出したのである。
 談話は、「官憲が直接これ(慰安婦の募集)に加担したこともあった」とも記述している。インドネシアの現地部隊がオランダ人女性捕虜に売春行為を強いたケースを念頭に置いたものだが、日本軍内でも上部に発覚すると慰安所はすぐに閉鎖され、オランダによる戦犯法廷で部隊の責任者らが死刑などの処罰を受けている。
(p62~)なぜこんな例外的なケースで「やはり軍が加担していた」と言わんばかりの記述をしたのか理解できないが、この河野談話により、吉田氏らが言ってきた「慰安婦狩り」のような強制連行の事実を日本政府は認めたと国際社会で受け止められたのである。
 その後、96年夏に中学校の歴史教科書すべてに「従軍慰安婦」という言葉が掲載されることが発表され、これを批判した西尾幹二、藤岡信勝両氏ら心ある学者たちが同年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」を立ち上げた。また翌97年2月に安倍晋三現総理や中川昭一元財務大臣が、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を立ち上げ、国会議員の立場で検証するという作業が始められていた。
 朝日新聞が質問②で取り上げた吉田証言の一部訂正をしたのは、この時期である。それでも、「女子挺身隊として強制連行された人が名乗り出た」という誤報にはまったく触れず、同じ日に資料⑤の河野氏のインタビューを掲載して河野談話を改めて評価。「強制連行」説が破たんしても、河野談話が日本の責任追及の新たな武器となることをアピールして見せたのである。

▼「慰安婦」利用の日本軍だけが「悪」なのか

【質問6】貴紙編集委員だった松井やより氏が代表だった「戦争と女性への暴力」日本ネットワークなどが2000年に開催し、慰安婦問題で昭和天皇を「有罪」とした「女性国際戦犯法廷」について、貴紙は2000年12月18日付社説で肯定的に評価している。その評価は現在も変わっていないか。

【質問⑦】橋下市長は一連の発言で、「第二次世界大戦中、世界各国の兵士が女性を性の対象として利用してきた」「日本が過去の過ちを正当化してはならないことを大前提に、世界各国も日本だけを非難して終わってはならない」と問題提起した。この点は、貴紙が前述2000年12月18日付社説で、「女性国際戦犯法廷」の主催者たちが、「長い歴史のなかで、人間は戦争を繰り返し、女性たちは戦利品として扱われてきた。戦争に強姦はつきものといった考えに、多くの人が疑問をもたなかった」ことに対して、「性暴力が罰せられない歴史に終止符を打つ」という「強い思い」を込めていると評価した問題意識と重なっているように思える。とすれば、貴紙は橋下市長の提起に対しても真摯に向き合ってしかるべきだと思うが、6月4日までの段階では、そうした報道は見られない。
 一方、今年5月15日付朝刊社説では「橋下氏の理屈はこうだ。命がけで戦う兵士を休息させ、軍の規律を維持するには慰安婦は必要で、世界各国の軍にも慰安婦制度があった。それなのに日本だけが非難され、不当に侮辱されている。それは国をあげて強制的に女性を拉致したと誤解されているからだ-。
(p63~)だが、いま日本が慰安婦問題で批判されているのは、そこが原因なのではない。慰安所の設置や管理に軍の関与を認め、『おわびと反省』を表明した河野談話を何とか見直したいという国会議員の言動がいつまでも続くからだ」と主張している。
 橋下氏が「日本の過去も正当化できない」としたうえで提起した戦時性暴力全体の問題に対してこのような見解を表明しただけで終わるのであれば、2000年の社説で示した姿勢と矛盾しているのではないか。

 質問⑥⑦は、朝日新聞が、同紙の元記者だった松井やより氏ら「女性国際戦犯法廷」の主催者たちが「戦時性暴力の歴史に終止符を打つ」として旧日本軍慰安婦問題に取り組んだことを評価した一方で、戦時性暴力全体に目を向けよと述べた橋下氏を批判する矛盾を指摘したものである。戦時性暴力に対する問題意識は、朝日新聞も橋下氏も同じなのである。
 確かに橋下氏は今回、現在の女性に対する人権侵害とも受け取られかねない発言をした。その点は筆者も支持しない。しかし、橋下氏が提起した、旧日本軍慰安婦の問題が戦時性暴力の歴史の中でも突出して悪質だったのかどうかの議論は、日本を取り巻く現状では積極的になされるべきだと考える。
 当時、どの国の軍隊にも同じような制度はあったし、人身売買されて売春をせざるを得なかった女性は世界中どこにでもいた。しかし、旧日本軍慰安婦以外の人たちに、「性奴隷にさせられたから補償すべきだ」という議論は起きていない。そのこと自体、日本が「挺身隊として女性を強制連行した」、つまり国家の意思として女性を拉致、強制連行して慰安婦にしたという事実無根の誤解によって、当時の国際法や社会状況に照らしても突出して非人道的な所業を行ったという歴史評価が国際社会に広がっていることを示している。
 特に「性奴隷」という言葉が、最近の国際社会では「広い意味の強制」下で売春させられている現代の女性たちにも用いられ始めていて、「慰安婦=性奴隷」という評価を否定するのが困難になりつつある。そのためにも、国際的誤解を解いたうえで、客観的事実だけを前提として、日本が突出した非人道的行為を働いたのかという評価について議論すべきなのである。
 その点でも「日本は不道徳きわまりない」という誤ったイメージをねつ造や誤報の連発で振りまいたことには口を噤み、日本が反省してないのが問題だなどと語る朝日の姿勢はマイナスでしかない。今回の筆者の質問も一方的に非難するためのものではなく、議論を進めるために本誌のスペースを提供しようとしたものであるのに、逃げたのは残念だ。朝日新聞は91~92年の一連の誤報を認め、それによって生じさせた国際的誤解を解く努力を一刻も早く始めるべきである。
 *上記事の著作権は[産経新聞社『正論』8月号]に帰属します *リンクは来栖 
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讀賣新聞が、「従軍慰安婦問題の発端は朝日新聞による誤報(女子挺身隊を“慰安婦狩り”)」と明記 2013-05-24 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 従軍慰安婦問題、河野談話で曲解広まる
 2013年5月14日09時08分 読売新聞
 従軍慰安婦問題は1992年1月に朝日新聞「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」と報じたことが発端となり、日韓間の外交問題に発展した。
 記事中には「主として朝鮮人女性を挺身ていしん隊の名で強制連行した」などと、戦時勤労動員制度の「女子挺身隊」を“慰安婦狩り”と誤って報じた部分もあり、強制連行の有無が最大の争点となった。
 宮沢内閣は同年7月、軍による強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を発表した。しかし、韓国国内の日本批判は収まらず、政治決着を図る狙いから、翌93年8月、河野洋平官房長官(当時)が、慰安所の設置、管理、慰安婦の移送について軍の関与を認め「おわびと反省」を表明する談話を発表した。
 ところが、河野談話によりかえって「日本政府が旧日本軍による慰安婦の強制連行を認めた」という曲解が広まったため、第1次安倍内閣は2007年3月、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。
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慰安婦問題、誤解広げたのは宮沢内閣の河野談話
2012年8月21日22時26分 読売新聞

 いわゆる従軍慰安婦問題が日韓の論議となる背景には、宮沢内閣当時の1993年の河野洋平官房長官談話が、日本の官憲による強制連行があったかのような印象を与えた問題がある。
 慰安婦問題が日韓の政治・外交問題化したのは、一部全国紙90年代初頭、戦時勤労動員だった「女子挺身隊」について、日本政府による“慰安婦狩り”だったと全く事実に反する報道をしたことが発端となった。韓国世論が硬化する中、政府は資料の調査と関係者からの聞き取りを行い、宮沢内閣の加藤紘一官房長官(当時)が92年、旧軍が慰安婦募集などに関与していたとする調査結果を発表した。しかし、強制連行の裏付けとなる資料は見つからなかった。
 韓国側の批判はなお収まらなかったため、宮沢内閣は翌93年、慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」などとし、「おわびと反省」を表明する河野談話を発表した。韓国側に配慮し、あいまいな表現で政治決着を図る狙いがあったが、逆に強制連行があったという誤解を内外に広げる結果につながった。
 談話作成にかかわった石原信雄元官房副長官は後に「強制連行を立証する資料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言した。安倍内閣当時の2007年には「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定している。
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「歴史戦争への我が一撃 我が国の明るい歴史を取り戻す」~閉ざされた言語空間のなかにあって 西村眞悟 2013-07-08 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
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