小沢一郎氏裁判/司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ

2012-01-19 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

小沢強制起訴“黒幕”は最高裁事務総局
日刊ゲンダイ2012年1月18日 掲載
日本の司法を牛耳るエリート集団
 小沢強制起訴を主導したのは、検察ではなく最高裁だった――? 本当ならば仰天する話だが、ブログを中心に検察審査会のデタラメを追及してきた匿名ジャーナリストの「一市民 T」氏がこう告発する。
 「最高裁の中に事務総局という組織があります。ほとんど表に出てくることがなく、秘密のベールに包まれた組織ですが、実はここが小沢元代表をめぐる一連の裁判の“司令塔”なのです」
  事務総局に配属されるのは、将来を約束されたエリート裁判官ばかりだという。トップの事務総長は、ほぼ例外なく最高裁判事になり、「三権の長」の一角をなす最高裁長官にも、これまで6人が就任。現在の竹崎博允長官も事務総長経験者だ。T氏が続ける。
 「私はこれまで何度も検察審の事務局に足を運んで情報開示を求めてきましたが、最高裁事務総局からの通達で情報は公開できないという。そもそも、検察審の規定を作ったのも事務総局だし、検察審の人事や予算の管理、使用機材の選定なども事務総局が行っている。要するに、全国に165ある検察審は手足にすぎず、頭脳は事務総局なのです」
  岩波新書の「司法官僚~裁判所の権力者たち」(新藤宗幸著)には、こんな記述がある。
 〈日本の司法は、最高裁判所の内部に、巨大な権限を実質的に持つ司法行政機構=最高裁事務総局を整備してきた。そして一般の職業裁判官とは別に、一部のエリート職業裁判官を選別し司法行政に当たらせてきた〉
  戦後日本の司法行政を牛耳ってきたのが、事務総局のエリート集団だというのである。最高裁(広報課)はこう説明する。
 「確かに事務総局で検察審査会などの組織管理や、裁判所の人事管理は行っておりますが、エリート集団といわれても……。部署によっての優劣はありません」
  小沢公判は誰が見たって無罪確実の不毛裁判だが、最高裁が当初から関わっているとなると、話は別だ。
 「陸山会裁判で“ミスター推認”こと登石裁判官を裁判長に指名したのも事務総局だし、もちろん、小沢氏本人の公判判事も事務総局の差配です」(司法関係者)
  最高裁と検察が結託すれば、どんな人間でも塀の中に落とせてしまう。
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小沢一郎氏裁判 13回公判《前》/4、5億円の現金を手元に置くのは以前からそうしていた/(12)~(16) 2012-01-11 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 〈来栖の独白2012/01/11 Wed.〉
 当然のことながら、指定弁護士の努力にもかかわらず、「水谷」の文字は遠く、出てこない。
 しかしながら、私は強い不安を禁じ得ない。
>現金を手元に置くのはずっと以前からそうしていました。4、5億円の現金が元赤坂にいつからあったかは分かりませんが、かなり前からあったと思います。
>4億はビニールパックであって、紙袋に詰めて渡したということだが、事務所の金庫には、紙袋に入った状態であったのですか?
>それは記憶しておりません。
>金庫から出してから紙袋に入れたのですか?
>ですから具体的な状況は記憶しておりません。紙袋であったのか、私が詰めたのか、明確な記憶はありません。
>金庫から億単位の金を出したことはないんですよね?それなのに具体的な記憶がないんですか?
>具体的な個別の記憶はありません。
>1億は10キロと重いものだが、紙袋に入れて新聞に見れなくするという作業を、どうして秘書にさせないんですか?
>四百数十万円の金利について・・・それが私個人の口座から・・・、この事件まで知りませんでした。
>平成19年に4億は返された?
>しばらくして返してもらったと思います。
>4億円を借りる書類だということは分かっていましたか?
>書類を正確に見たかどうかは分かりません。サインしろと言うからしたということだと思います。

 これらの言葉に幾人の国民が共感するだろう。「国民の生活が第一。」とのフレーズが、私の胸に空疎に響く。4億円といえば巨額であるが、「4億円を借りる書類」について「書類を正確に見たかどうかは分かりません。サインしろと言うからした」と言う。
 「私の関心事は天下国家のこと」と云いながら「1億は10キロと重いものだが、紙袋に入れて新聞に見れなくするという作業を、どうして秘書にさせないんですか?あなたは忙しいのに」との指定弁護士の質問に「私のプライベートな資金ですので、それについて秘書に金庫についても秘書にはさせておりませんでした」と答え、然るに、「土地を購入する際の四百数十万円の金利について・・・それが私個人の口座から出ていたというのも、この事件まで知りませんでした」などとも云う。
 「疑惑」に関与していないとの主張に走りすぎて、破綻したか。裁判とは恐ろしい生きものだ。このような陥穽が待っている。
 元々検察は小沢氏を有罪に持ち込みたかったわけではない。小沢一郎という政治家の政治生命を断てば、目的は達せられる。
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小沢一郎氏「お見舞いに歩くのが政治家の仕事なのか?お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか?」 2012-01-05
 〈来栖の独白2012/01/04 Wed.
 東日本大震災と政局ということについて、短く感じたことを述べてみたい。
 昨年の民主党代表選、或いは先ごろの多数の民主党議員の離党・新党結成の折、「東日本で被災して多くの国民が苦しんでいるときに、政治家は、勢力・権力争いに明け暮れて・・・」との批判をメディア上で何度も目にした。(略)「今更来ても遅い。震災直後の惨状を見れば、党内で足の引っ張り合いをしてる場合じゃないと気づいてもらえたはず」と不満を漏らす女性の声が載っている。生活に切羽詰った被災者たちの感情として当然かなとも思うが、果たして、そうか。いや、これほどに困窮を極めた今日だからこそ、政治にしっかりしてもらわなくてはいけないのではないか。そんな気がする。
 小沢一郎さんは、以下のように言う。以下のように言いながら、小沢一郎という政治家のやさしさ、熱さは、公判を含めた過密日程の間隙を縫って被災地を訪れた。
 “マスコミ自体も、政治が何をすべきか、政治家が何をすべきかと(報じない)。お見舞いに現地を歩くのが政治家の仕事なのか? お悔やみを申し上げるのが政治家の仕事なのか? というふうに私はあえて憎まれ口をきくけれど、やはり政治の役割というのは、そういうことではないと思う。このような深刻な事態をどのようにして克服していくか、そのためには政治の体制はどうあるべきなのか、政治家はどうあるべきなのかと考えるのが、本当に国民のための政治家のあり方だと私は思っている。そういう意味で、今後もいろいろとご批判は頂きながらも、私の信念は変わらないので、その方向で頑張りたいと思う。
 これは、媚びない姿勢がなくては言えない言葉だろう。またその前提として、日々の生活に窮する民の惨状を知り、それゆえに、政治の果たす役割が「国民の生活が第一。」と見極めた確かな眼がなくては、言えない言葉だと思う。確かな眼とは、「本物の政治家の眼」ということだ。
 当然のように、このような政治家が国民に理解されることは稀である。剛腕などと云われ、嫌われる。「災害があればいち早く現地に駆けつける」という動きの良さもないので、不可解である。ポピュリズムとは対極にある。
 この種の政治家は、国民からの人気がないばかりではない。既得権益といった旧弊にとらわれないので、官僚からも嫌われる。おまけに要領が悪いゆえ、エンタメ(メディア)に貢献するところなく、嫌われる。
 国民(検審)・官僚・メディアから嫌われれば、行き着く先は決まっていよう。かくて小沢一郎氏は、地元から帰京すれば、10日、11日の裁判(東京地裁 公判)が待っている。被告人質問である。
 東日本大震災という未曽有の苦難のなかで、この国はかくも、有為な政治家の手足を縛った。
 ところで、ここからは余談になるので後日に稿を改めたいと思うが、昨年より深く憂慮している一事がある。4月にも判決といわれている、小沢一郎さんの裁判である。
 陸山会事件登石郁郎裁判長の判決で思い知らされたが、裁判長には裁判長で、縛りがかけられているということだ。登石裁判長の下した判決は、郷原信郎氏のような専門家は無論のこと、私のような素人がみても、おかしな判決だった。なぜ、このような恥ずべき判決文を書かなければならなかったのか。まかり通ったのか。
 新藤宗幸氏はその著『司法官僚』〔裁判所の権力者たち〕(岩波新書)の中で、次のようにいう。
司法官僚は全国の判決や訴訟指揮の情報を集める。それをもとに行使される人事権は全国3500名の裁判官たちに絶大な影響力をもつ。10年ごとの再任の有無、昇級、転勤を司法官僚が決める。事務総局が召集する「合同」と呼ばれる研究会も下級審の裁判内容を遠隔操作する結果を生む。
 裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である。必死の訴えをする人々に遭遇したとき、裁判官は全人格的判断をもって救済に当たるべきだ。しかし、人々の目にふれぬところで、裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステムがあるのだとすれば大問題である。
 政権交代とは闇を打破る時代のことであろう。本書の提言にかかる裁判所情報公開法などによって司法の実態にも光が当てられ、真の改革が着手されるべきだ。
 ”
 ここでも“官僚”である。上の文脈によれば、小沢氏裁判で「無罪」と書いて大善文男裁判長個人に利するところがあるか。無い(だろう)。地方の簡裁か家庭裁判所へ飛ばされるのがオチであろう。
 前田元検事は「主任検事から『この件は特捜部と小沢の全面戦争だ。小沢をあげられなければ特捜の負けだ』といわれた」と証言している。裁判所にとって、被告人に利するか、はたまた長く利益を分かち合ってきた検察との仲を保つかを天秤にかけるなら、答えは歴然としていよう。
 そのことは、検察と一体となり走狗となって「小沢 クロ」と書いてきたメディアとっても同様である。ここで「小沢 無罪」が出たなら、メディアは、どう書けばいいのか。
 ことほど左様に、司法には司法の事情があり、裁判所と検察には判検(一体)の、検察とメディアには検察とメディアの、それぞれ譲れぬ事情がある。
 深く憂慮に堪えない。小沢氏無罪は、難しい。
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「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ2010-08-07 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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