じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

先達の虫送り

2010-10-23 07:52:07 | Weblog
(虫送りの起源)
「虫送りってのはね、平安時代の初めだね。始まったのは。関西の方で始まったのが、だんだんこっちの方まで広がってきたちゅうのが、文献なんぞに書いてある。もとは富士見のどこの集落でもやってたわけだよ。それがだんだんつぶれていったってことで。今では、諏訪で3箇所と、先達くらいだなぁ。そうさなぁ~、ここで残ってるのは、区の行事として取り組んできたからじゃあないかと思ってるがな。有志でやってるとつぶれちゃうだよ。先達で始まったのは江戸の頃って言うことになっておる。最初は虫送りと風祭りちゅうのを一緒にやってたそうだ。風祭ちゅうのはさ、鎌を長いものくくりつけて、屋根の上にこう交差させて飾るっちゅうお祭りで、台風よけみたいなもんだよな。これを一緒にやってたんだけんども、これもなくなった。」
(虫送りと御鍬山)
「虫送りはさ、いつも7月にやるだよ。昔は萱で作ったらしいがな。今は、麦からで作ったたいまつに火をつけて、太鼓とそうばん双盤ちゅう鉦をたたきながら、『いなむし おくれ いなむし おくれ』って唱えながら、ずーっと東の田んぼの中をまわって、途中から手前のほうに来て、御鍬山(おこうやま)のふもとで燃やして、五穀豊穣を祈願するというお祭りさ。太鼓と双盤は、明治の頃に中央線の工事をやった連中が、世話になったと寄付してくれたものだそうだ。今年は子供が5人くらいと、区の役員が5人くらいで回ってたな。なんせ子供が少なくなっちまってさ。この御鍬山って言うのがさ、今まで資料には『御桑山』と書いてあったんだけど、どうも『御鍬山』って言うのが正しいと思うだ。御鍬神社ってのもあるしな。」
(昔の虫送り)
「昔はさ、子供たちが大勢いるだから、20人も30人もで出てきたさ。子供は歩けりゃいいんだから、小さい子から、上は12~3歳の者までだな。男の子も女の子も一緒になってさ。まあ子供の頃は楽しみだったちゅうこんさ。江戸の頃には、虫送りが終わったらさ、お寺に集まってさ、酒を一斗と昆布やらなにやらと、一汁持参で飲み会をやったらしいがな。今は何にもやらないなぁ。もう農村は駄目んなっちゃった。農村らしいところがどんどんなくなってしまってな。そう思えばこそ、こういうお祭りを残していこうって気になってるだ。」
と、文献などを出してくれて、熱く語ってくれた先達の平出さん。「石碑やら馬頭観音やら、そういったものをちゃんと保存していくのが、わしらの役割さ。今年は、まとめてあった石碑なんかを整備して元の場所に戻してるだ。」と一言。富士見の町内のあちこちで少しずつこういった動きが出てきている。とてもうれしいことだと思う。