じいばあカフェ

信州の高原の町富士見町:経験豊富なじいちゃん・ばあちゃんのお話を
聞き書きした記録です
ほぼ一ヶ月に一回の更新です

馬と生きて

2005-11-15 23:07:08 | Weblog
 (小遣いとり)
 「馬の商売だい。今で言う家畜商が商売だ。じいさん、おやじ、俺って3代だ。諏訪郡中にも、3代家畜商やったなんてのは、俺のうちしかねえだ。 乙事は馬さや。乙事のに1軒にひとつはまったくいたでな。農機具と同じだから。それえその、“小遣いとり”ってさ、子馬をとっただ、たねぇつけて。そいで、たねつけってぇのは、佐久でな、県のほうで種馬を30頭ばか飼ってたさ。そいで、その飼ってる馬をこういう田舎へ、たねをつける人と一緒に派遣して。それが、4月の始めっから6月、3ヶ月かな。乙事の区役所んとこに、畜舎と宿泊できるとこがあってさ。そけえ、馬持ってきて、農家の馬へたねぇつけてくれただ。」

(馬市)
 「そいで、そのたねぇつけたのが出ると、8月、今言う馬市ってのがあったさ。そんでこの、長野ばかりでなく、山梨からはじまって各地から業者がきてさ、ぐるぐるまわして値段をつけて、その人が買ってもってけえるだ。そりゃあ乙事ばかりの馬じゃねえもの、東は北山から諏訪郡中、1日100頭から150頭競って、1週間かかって競るだよ。そん時にこのうちへ、親父の知ってる商売する衆が泊まってった。ここへ4~5人泊まってさ。まだ泊まる衆は、普通の民家へ1週間くれぇおねげぇして泊まって、競りをして、買っていくちゅうそういう時代だ。あー、盛った。一番盛ったころには、こけえ1200頭は入っただ。 
 店はな、今のお祭りに出るああいう店でなくてな、ほんとざっとした、酒屋が一升瓶持ってきて、菰の上で売るだもんでな。商売の人がそこいって“てっぱ酒”ってな、茶碗で1杯いくらで売ってたな。屋台よりまだ程度の悪いようなものさ。つまみはここらの漬物持ってったりさ、缶詰とか出したさ。店を出すのは、みつい屋とかそういう商売の衆でな、うちから持ってきてな。ほかの店はなかったな。ほとんど大人の世界だで、酒が気合をかけたくれぇのもんずら。あとはほとんど、寄ってくる人はうちから、むすびからお重やなんかにおごっそう入れてさ、で、連れやらと囲んで、ぬくてぇ時には菰をしいてさ、食ったもんだ。」

(馬を運ぶ)
 「おやじはそこで馬を買ってさ、山梨の身延ちゅうとこがあるじゃん、そこのはこっちから子馬をつれていくと、3歳まで預かってくれたさ。農家でな、身延の門野ちゅうとこだけんどな。そこのにいくとな、2~30軒のだけどな、馬を買うじゃなくて、預かるだ。そいで、約3年預かってくれるわけ。それをまた、うちじゃこっちへ持ってきて、百姓に使えるような馬をな、交換したり売ったりしただ。身延までは、ここから甲府へ出て、一人が3頭くらい連れてあいっただよ。2日くらいかけて、夜中あいってくだ。休む時には道端に座ってさ。そいで、むすびを腰つけて食いながらさ。子馬はな、ひとりじゃあいかねだ。親から離して連れてくだで、寂しがってな。ところが、3人か4人でもって、1人3頭ずつつづくって行くわけ。そぉしゃあ“ともあるき”ってさ、よくしたもんであるくだ。まあ道は悪かったな。それを若いころに2度ばかやったら、車時代になったさ。」

(ばくろうばくち)
 「まあ、商売だもの、百姓へ行ってだまして買ってくるようなもんでな。おらった程度のいい家畜商っていっても、農家をいじめ歩いたようなもんだ。馬も預ければ、最初に比べれば三よりや四よりになってるだ。時にはいい値段で売れることもあるさや。“ばくろうばくち”ってな、口も八丁だけんど、やることは今のチンピラみたいなもんでな。必ず、ばくろうっちゃあ、ばくちをやるだよ。もうかるから。5~6人よっちゃあ、飲むってこたぁなくて、ばくちをやるだよ。昔は、トランプや花、ああいうもんで銭をかけただ。昔だって、ばくちは、いけねえはいけねえけんど、そういうことをしてたな。まあ、諏訪の衆はまるいで、あんまりやらなかったが、飯田や佐久の連中は、遊んでたな。 昔は“さぶし買い”ってな、そういうのも盛んにあって、そういうとこへ行く衆もあったな。そういう芸者ちゅうか、まあ“さぶし”ちゅうだがな、そういうのがたくさんいて、富士見やら、境やらに、そういうとこがあったな。誰でも、行ったわけじゃねえよ。荒い銭を取る衆でなければ、そういう派手なことはしなんだな。百姓して、米粒を拾ってるような衆はそんなとこは行けんでな。丸太をつけて運んでく、運送の衆がそういう悪さをしただ。」
 
 お話をうかがったのは、乙事の名取さん。今でも、大事なものは“胴巻き”に一緒に巻かないと落ち着かないとか。威勢のいい話し方に、若いころの気風が感じられて、久しぶりに“男気”のようなものに触れることができた。昨年、牛を処分して、今では家畜はヤギと鶏と合鴨になってしまったとのこと。ヤギをとても大事にされているのが、印象的だった。