カブトビール屋

明治時代に半田赤レンガ建物で作っていた『カブトビール』の販売情報をお届けします

広告とカブトビール その八

2021年06月21日 | グルメ

 カブトビールの創業者の一人盛田善平は、その後「敷島製パン(現パスコ)」を起業するのだが、そこでも得意の宣伝がものをいうことになる。まだ自動車が珍しい時代、大奮発してフォードのトラックを購入し、白いボディに「シキシマパン」と大書し小売店を回らせた。まだトラックのボディに宣伝をいれるという発想の無い時代のことである。子供でも読めるようにとあえてカタカナ表記にしたという。またサーカス団から借りた象を先頭に街を練り歩いたりもした。こうした宣伝は、子供たちの人気を集めたことは言うまでもない。カブトビール同様にパスコの発展にも盛田善平のアイデアが不可欠であった。


広告とカブトビール その七

2021年06月15日 | グルメ

 赤玉ポートワインの宣伝のために作られたポスターが日本で最初のヌードポスターといわれている。1922年(大正11年)発表のポスターである。同じ頃、カブトビールもおそらく日本で最初である水着の女性のポスターを発表している。しかも地元の知多半島の海岸を背景に描かれている。実は、モデルが誰だったかまでわかっている。しかし、この時代、女性が水着でモデルになるなどというのは大変なことであったようだ。カブトビールを作った知多半島の先人も偉いが、カブトビールのために一肌脱いだ先人も偉い。

 

広告とカブトビール その六

2021年06月07日 | グルメ

 昔のビールのポスターには、和装の女性が登場する。このスタイルを確立したのもカブトビールである。ポスターのモデルに明治41年(1908年)「文芸倶楽部」誌で「日本百美人」と題した芸妓の人気投票で第一位となった赤坂の芸妓『萬龍』を起用したのである。当時、日本一の美人と謳われた女性である。新聞に「萬龍物語」が連載され、三越のポスターにも登場し、その名は流行歌にも歌われたほどである。ただ残念だったのは、今ほど意匠権などがしっかり守られていない時代であったため、女性のデザインはそのままでカブトビールの名前が他の銘柄などに変えられポスターが作られることも珍しくなかったことである。


広告とカブトビール その五

2021年06月01日 | グルメ

 カブトビールは、いち早く新聞への広告掲載を活用した販売促進も行いました。それも当時の新聞への広告は、ほとんどが文字ばかりであった時代に、ビールやカブトの図柄などデザインをともなった広告を掲載したことでカブトビールの名前は有名になりました。古いものでは、明治32年8月15日の神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)にカブトビールの発売広告が掲載されています。明治33年には、佛国巴里大博覧会 金牌受賞 カブトビールの広告が全国の新聞を賑わせました。当時は、大手ビール会社の中では、新聞への広告掲載数は圧倒的にカブトビールが多かったそうです。