カブトビール屋

明治時代に半田赤レンガ建物で作っていた『カブトビール』の販売情報をお届けします

広告とカブトビール その四

2019年12月28日 | グルメ

 カブトビールは、いろいろな販売促進のための景品を考え出したことでも有名である。古くは、まだビールの栓がコルクだった時代に販売促進グッズとしてコルク栓抜きをカブトビールの名入りで出している。おそらく販売促進グッズを大々的に世にだしたのはカブトビールである。その後もホーロー看板や木製看板、大鏡、ビアグラス、ビアピッチャー、背中にカブトビール前に三ツ矢サイダーのロゴ入り法被などは言うまでも無く、掛け時計、皮製財布、小銭入れ、コースター、灰皿、お盆、変わったところでは手鏡まで販売促進グッズとして出しています。これらは半田赤レンガ建物に展示されていますので、是非、お越しください。


広告とカブトビール その参

2019年12月22日 | グルメ

 カブトビールは、宣伝方法において大阪では東京とはがらりと変わった奇手を用いた。それは、幇間(たいこもち)を利用して座興のうちにカブトビールを宣伝したのである。当時、幇間は客の座興に茶番狂言の寸劇を演じたのだが、その幕切れに「勝ってカブトのビールを飲め」とビール瓶を高く振りかざして、大見得を切るなどの仕ぐさをするパフォーマンスを行ったのである。これが意外な宣伝効果を生み出し、関西地方の需要は急激に上昇し、キリン・サッポロ・アサヒなどの銘柄を圧倒するほどになっていくこととなる。


広告とカブトビール その弐

2019年12月15日 | グルメ

 カブトビールは、東京における宣伝方法の一つとして広目屋(チンドン屋)を雇い、銀座の街頭や浅草界隈を練り歩かせるという新手を用いたのは有名な話である。ビールの宣伝にチンドン屋を利用したのは、これが日本で最初であったと言われている。創業者の一人盛田善平は、ビールをハイカラ人種のみの独占にしないで、一般大衆に愛される飲料とすることを狙いチンドン屋を利用したのである。


広告とカブトビール その壱

2019年12月08日 | グルメ

 カブトビールは、後発のビールメーカーとしてアサヒ・キリン・エビス・サッポロの既存の4大ビールメーカーを追いかける立場にありました。当時はまだあまり宣伝だのPRだのに力を入れた時代ではなかったが、創業者の一人盛田善平の得意とした宣伝がものをいうことになります。丸三ビール(後のカブトビール)の名で新発売された時のことである。新発売とあってコルク栓(当時は、王冠でなくコルク栓であった。)10個に対して、ビール1本贈呈というサービス付で大々的に売り出されたということです。 

 

カブトビールの名前の由来

2019年12月02日 | グルメ

 カブトビールの名前の由来をお話しましょう。カブトビールの名称の由来は、ビールは日本酒と違って喉でのむといわれていますが、喉で勢いよく飲むことを「カブル」といったことから、カブトビールになったという説が有力です。今でも口を大きく開けて食いつく様子を「かぶりつく」といいますよね。また、日清戦争に大勝して国民が自信過剰になることを戒め「勝って兜の緒を締めよ」という言葉が流行していた時でもあり、勇ましい「兜」の商標を採用したともいわれています。