カブトビール屋

明治時代に半田赤レンガ建物で作っていた『カブトビール』の販売情報をお届けします

カブトビール復刻秘話 その弐

2010年01月30日 | グルメ
 『カブトビール』の復刻にあたり、アサヒビールと色々情報交換をしていたこともあり、当初の製造委託をアサヒビールに打診した経緯がある。もちろん『カブトビール』の資本の流れを受け継いだのもアサヒビールであったこともあり・・。しかし、さすが大手メーカーである。数千本単位の注文には、対応しかねますとのこと。さて困った。そこに救世主のように現れたのが、知多麦酒㈱である。地元知多半島のメーカーでもあり、製造委託先として決まったのである。『カブトビール』は、「赤煉瓦倶楽部半田」が企画し、知多麦酒㈱が製造している商品なのです。

カブトビール復刻秘話 その壱

2010年01月29日 | グルメ
 復刻『カブトビール』は、何のために復刻されたのか知っておいて下さい。半田赤レンガ建物の保存団体である「赤煉瓦倶楽部半田」が、建物保存の機運が高まるよう、一人でも多くのお客様に半田赤レンガ建物へ来場していただくために動機付けとなればと考え復刻されたのが『カブトビール』です。ですから『カブトビール』は、半田赤レンガ建物以外では滅多に販売しないのです。赤レンガに興味がなくても『カブトビール』が飲みたいから、半田赤レンガ建物まで来てくれたあなた、そういうあなたのためのビールこそが『カブトビール』なのです。

復刻『カブトビール』 降臨

2010年01月28日 | グルメ
昭和18年(1943年)にその歴史に幕を下ろした『カブトビール』は、平成17年(2005年)6月に復刻発売されることとなった。その製造工場であった半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)の保存活用のために活動する赤煉瓦倶楽部半田の手によって明治時代のビールの味が復刻されたのである。およそ半世紀ぶりの『カブトビール』の発売は、半田から「丸三ビール」が3000本初出荷されたことに習い、3000本の限定発売とした。あっという間に売り切れたことは言うまでもない。そのころから幻のビールと呼ぶ人も現れたそうな。

2月27・28日 限定発売 正式決定!!

2010年01月27日 | グルメ
カブトビールの半田赤レンガ建物での限定発売日が、2月27日(土)28日(日)の2日間と正式に決定しました。この時期、半田市内で開催される「蔵のまち 雛まつり」にあわせての建物公開日となりました。両日は、半田赤レンガ建物内にもステンドグラスのお雛様やガラスアートのお雛様などが展示される予定です。もちろんカブトビールやカブトビール関連グッズの販売も行います。半田赤レンガ建物へのご来場を心よりお待ちしております。この機会を逃すと次は5月の発売予定です。

カブトビールの歴史の話 その五

2010年01月26日 | グルメ
 明治39年(1906年)『カブトビール』の製造会社である丸三麦酒株式会社が甲州財閥の根津嘉一郎に渡り、日本第一麦酒株式会社になる。
明治41年(1908年)日本第一麦酒株式会社より加富登麦酒株式会社に社名変更する。
その後、大正11年(1922年)大日本帝国鉱泉株式会社と日本製壜株式会社を合併し、日本麦酒鉱泉株式会社と改称し新たに『ユニオンビール』を発売した。
昭和8年(1933年)当時全国の80%近いビールのシェアを占めていた大日本麦酒株式会社と合併する。
昭和18年(1943年)企業整備令の適用により半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)は閉鎖され、『カブトビール』の歴史に幕を下ろすこととなった。

カブトビールの歴史の話 その四

2010年01月25日 | グルメ
 明治31年(1898年)ドイツから機械技師A.F.フォーゲルと醸造技師ジョセフ・ボンゴルを招聘し、半田町榎下に新ビール工場となる半田赤レンガ建物が竣工した。同年から本格的ドイツビールの醸造に着手し銘も「加武登麦酒」と改めた。その2年後の明治33年(1900年)パリ万国博覧会で金牌を受賞し、全国で飛ぶように売れ始めるのである。

カブトビールの歴史の話 その参

2010年01月23日 | グルメ
  5番目の弱小ビールとして出発した『カブトビール』をメジャーにおしあげるきっかけとなった出来事があった。明治28年(1895年)京都で開かれた第4回勧業博覧会にアサヒビールと対抗してビアホールを出し十数人の芸者に赤前掛(あかまえかけ)・赤襷(あかたすき)で宣伝させたところ、その宣伝ぶりを新聞が書きたてて評判になり醸造能力の3~4倍の注文が殺到する盛況となった。

カブトビールの歴史の話 その弐

2010年01月22日 | グルメ
 明治22年(1889年)5月 中埜酢店4代目・中埜又左衛門と敷島製パン(現パスコ)創業者・盛田善平らにより、「丸三ビール」と名づけられた瓶詰めビールが3,000本余り半田から初出荷された。 これが後に『カブトビール』となって暴れまわることとなるビールである。その後、昭和18年まで製造が続くこととなる。

カブトビールの歴史の話 その壱

2010年01月21日 | グルメ
明治時代に、大都市をひかえた既存4大ビール(大阪のアサヒビール・横浜のキリンビール・東京のエビスビール・札幌のサッポロビール)に挑戦した一地方都市のビールがありました。そのビールが半田のカブトビール。今となっては幻のビールとなってしまいましたが、その工場は、半田赤レンガ建物として現存しており、半田の先人たちが、大ビールメーカーに立ち向かった心意気と、豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っています。

博物館 明治村にて『カブトビール』通年販売決定!!

2010年01月20日 | グルメ
 カブトビールは、保存活動の機運が盛り上がるように『半田赤レンガ建物』へ一人でも多くのお客様に来場いただくために赤煉瓦倶楽部半田が企画した商品です。そのため『半田赤レンガ建物』の公開日以外で入手することはなかなかできません。しかし、『博物館明治村』(愛知県犬山市)にいけばいつでも明治のカブトビールを飲めるようになりました。
博物館明治村で開催されていた「明治グルメ博」で汐留バーにて販売したところ大好評で引き続き通年販売していただけることになりました。幻のビールを味わいに是非明治村にお出かけください。