偉大な創造者エホバ神は、自ら進んで人類に深い愛を示して来られましたが、個人としての私たち一人一人を愛しておられるでしょうか。ある人たちは、ヨハネ3章16節が述べている通り、神エホバが「世を深く愛して」とある通り、「世」、つまり人類一般を愛しておられることを認めます。それでも、「神エホバは一個人としてのわたしを愛したりはされない」というような考えを抱いています。聖書を学ばれた真のクリスチャンも、この点で疑念を抱くことが生じるかも知れません。ある男性は自分の不完全さに気落ちして、「神エホバが私のことを顧みているなどとはとても信じられない」と言いました。あなたも、そのような疑念に悩まされるようなことがありますか。
悪魔サタンは、私たちに、神エホバは決して私一個人を愛したり高く評価したりはされない、と思い込ませようと躍起になっています。悪魔サタンは、「偽り父(源)」ですから、しばしば人間の抱く虚栄心や誇りの気持ちを利用し、人々をたぶらかすのは事実です(ヨハネ8:44.コリント第二12:3)。しかし、悪魔サタンは傷つきやすい人の自尊心を打ち砕くも喜びとしていることも忘れないでください(ヨハネ7:47~49;8:13,44)。今の時代の「終わりの日の対処しにくい危機の時代」にあっては、特にそういうことが出来ます。今日の多くの人たちは、「自然の情愛を持たない」家庭や環境で育ちます。粗暴で、利己的であり、片意地な人たちと絶えず接しなければならない人たちもいます(テモテ第二3:1~5)。そのような人たちは、長年にわたって虐待や不公正な人種差別や憎しみに苦しめられて来たため、自分は神エホバに愛される資格がない、と思い込んでおられるかも知れません。
自分がそういう消極的な考えを抱いていることに気付いても、がっかりし、気落ちしないでください。人は誰でも、自分自身に対して過渡に厳しくなることがあります。しかし、忘れてはならないのは、神エホバの言葉は「物事を正し」、誤った考えで「強固に守り固めたものを覆す」ために備えられている、という点です(テモテ第二3:16.コリント第二10:4)。また愛の神エホバは、私たちを益することのみ教えてくださり、人生が平安と義に満ち溢れるように導いてくださいます(イザヤ48:17,18)。さらに、聖書はこのように記しています。「わたしたちは、・・・何か心に責められるようなことがあっても、それについて神(エホバ)のみ前で自分の心を安んじることができるでしょう。神(エホバ)はわたしたちの心より大きく、すべてのことを知っておられるからです」(ヨハネ第一3:19,20)。神エホバの愛は、私たちの心より大きな愛のため、私たちが不安を抱いても「自分の心を安んじる」ことが出来るのです。では、神エホバの愛を確信して、不安を抱いても「自分の心を安んじる」点で、聖書が教える四つの面を考えてみましょう。
次回は一つ目の「神エホバはあなたを高く評価しておられる」、ことについてお伝え致します。引き続きお読み下されば幸いです。
パシュートの 一致の滑り 金となる 今日の一句
庭植えの「菊」