魔界人の妄想録

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日出づる処の天子

2018年02月21日 10時39分27秒 | 日記
聖徳太子が中国隋の煬帝に送ったとされる国書の「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや」という有名な書き出し。聖徳太子が大国隋に対し、対等の関係を求めたと解釈されているが、初めて習った小学生のときの僕でさえ、相手を「日没する処の天子」というのは、いくらなんでも酷い表現ではないかと思っていた。Wikipediaによると「倭で日没は方位を表す程度の表現であった」と説明されているけれど、釈然としない感覚は今でも拭えない。
これに対し、古代と神話を勉強してきて、ふと別の解釈ができるのではないかと思った。結論から述べると倭国の王は太陽から天子と認められ、つまりアマテラスの子孫である昼の国。中国は動くことのない(正確ではないが)天の中心北極星を天帝としその天帝から天子と認められた国。つまり夜の国。ともに天から天子とされた国同士であることを表現しようとしたのではないか。
単に「方向」だと考えるとやはりおかしなことになる。道教的には東は常世の国つまり神の国、対して西は死者の国とされるわけだから、方向だと考えても相手を侮辱していると思われる。

「アマテラス」を始めとする「古事記」は最近、天武天皇の創作ではないかという説が有力になってきているようだ。外交的に中国と対等になろうとすれば自分たちは夜の天帝から天子=王とされたとは言えないから、天の太陽から天子と認められた存在だとすれば、倭国の王は中国と対等になると考えたのではないだろうか。さらに深読みすれば動かない星北極星からすれば太陽は動くので、動かない天帝よりはむしろ一歩下がった太陽神を考えたのではないかとすれば、煬帝が一度は怒りを爆発させたにしても、納得したのではないだろうか。