消えゆく霧のごとく(クンちゃん山荘ほっちゃれ日記)   ほっちゃれ、とは、ほっちゃれ!

きらきら輝く相模湾。はるか東には房総半島の黒い連なり。同じようでいて、毎日変わる景色。きょうも穏やかな日でありますよう。

琉球ハブおじさんの思い出

2017年12月16日 12時25分12秒 | 日記
 ハブおじさんの夢を見ました! 

 ゆうべは、もうすっかり忘れ去っていた琉球ハブ屋の塗り薬おじさんの夢を見ました。
 なんで、また! 昭和30年代前半のころの思い出です。
 脳というのは、どういう配線になっているのか、さっぱりわかりませんね。

「はい、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」

という夢に出てきたハブおじさんの口上の一部は、だみ声も当時そのままの迫力で、目が覚めた後もはっきり覚えてましたよ!
 
 いまヘビ大っきらい人間のおらも、幼少の砌、このころはへっちゃらだったみたいです。

  **********

   
    八王子市夢美術館蔵 画像と記事は関係ありません 

 地方都市宇都宮の町の真ん中で育ったので、正月なんかには全国を回りながらいろんなモノを売りつける人がにぎやかな通りに来ていて、面白かったです。

 栃木県庁から程近いオリオン通りたらゆう目抜き通りにあらわれるのは、返還前の沖縄から来たという、ハブの毒にも効くとのふれ込みで塗り薬を売るおじさん。
 このハブおじさん、まずパスポートを見せ、悲惨な沖縄戦の話とハブ毒について、ひとくさり語ります。聴衆は少なくとも30人はいましたね。
 その足元には、おらたちの興味の的、毒蛇ハブが入っているという、あやしい布袋が置かれ、やがてハブを取り出しては自分の腕を噛ませ、その塗り薬で治してみせるというのです。

 おじさんは持っている細い棒で道に半円を描く格好をして、
「おいおい、坊主たち、ここから先に出るなよ、ハブは猛毒だから危ない! 沖縄では、毎日これで人が死んでいる!」
と、最前列で固唾を飲んで見守っているおらたちガキどもを下がらせる。

 そうしておいて、
「どなたかハブにご自分の腕を噛ませてみようという方はおらんかの!きょうの売り物、高価な琉球の塗り薬でたちまち治して進ぜよう! お礼に新品ひと缶をタダで差し上げる!」
などと大音声をはりあげる。
 もちろん、応じる人はなく、ガキどもは、ひぇーという声にならない声をあげて、思わず後ずさりするのでありました。

 ところが、おらたちがひと目見たい南方のハブ、これがなかなか出てこない。

 さっきの棒で、おじさんが布袋をつつくと、確かに中でなにかがうごめいている様子がわかります。
 おーっ、いよいよ出すな!という思いの見物衆の声なき声。
 しかし! だが、しかし、ハブ出しはそこまでで、おじさんはまた能書きの口上に戻ってしまう。

 ああだこうだとまくしたてるハブおじさん、そのうちに大刀小刀の小刀のようなものを荷物から取り出しては抜き放ちます。銃刀法は当時あったのかどうかね。

 で、腕まくりした自分の左腕に右腕の小刀の刃を当て、「うーむ」などとうなりながら力を込める。
 ほんまもんか演技かわからないけど、とにかく血が流れ始める。おらたち見物人はあーっと息を呑む。
 そこで、おじさんはあまりきれいっぽくない布で傷口と刀身をぬぐい、傷口には売り物の塗り薬を塗りつける。
 そうすんと、あーら不思議! 出血はぴたっと止まって、傷痕の一本線が残るだけ。

 おじさんは今で言う“どや顔“で、ここぞとばかり畳み込んでくるのです。

 「この世にも不思議な***(塗り薬の名前。亡失)、沖縄では誰でも知っているけど、内地ではそんじょそこらの薬屋さんでは売っておりません!
 東京では三越デパート、ご当地栃木県ではただ一軒、この宇都宮の上野さん(当時隆盛の地場デパート、のち店仕舞い)では売っているらしいけど、ひと缶***円だそうです。それを、きょうは特別だあ! 沖縄からの船は荷物の重さ制限がキビシーイ! やっと持ってきただけ、貴重な**個を**円で特別にみなさんだけにお譲りすることにする!」

 すると、見物衆の中から3、4人がするすると進み出て、お札と塗り薬の缶を受け渡し始めます。
 たちまち、他のおとなたちも財布を取り出して、おらもおらもと先を争って買い求めるのでありました。

 やがて、見物衆は散ってゆき、地元のおらたちガキだけが居残っている。終わってしまったお祭りの風情です。
 ハブおじさんのほうは、ほくほく顔を隠して、「坊主たち、もう帰りな、終わりだよ」とか言いながら、ハブの袋も仕舞っています。

「おじさん、ハブ見せてよ!」とおらたちは食い下がるのですが、
「うんにゃ、だめだ。船の時間があるからもう汽車に乗らんとな」とかいうつれない返事。
「国鉄の駅はどっちだっけ」なんぞとわざとらしい言葉を残して、ハブおじさんはそそくさと立ち去ってゆきました。

 おらたちは、なんだことしもハブは出さないのか、と不満たらたら。
 2時間もすれば、今度は少し離れた二荒山神社の参道で再び開店するのをみんな知っているけど、口には出しません。
 しかし、みんながみんな、「念のため、あとで見に行こう」と内心では思っているので、やがてまた顔を合わせることになるのであります。                                                                 おしまい


 おまけ
 withkeiブログに、外マゴの画像が出ています。
 おらはやっぱ、ワンコだなあ!
 こちらから

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5 コメント

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懐かしい思い出 (きなこママ)
2017-12-16 18:47:15
実に 面白くて 懐かしい 昭和の思い出ですね。
ハブおじさんね〜
私の世代はもう高度成長真只中でしたので
ハブおじさんは居ませんでしたが
百貨店内で 実演販売が流行っておりましたね。

同じ昭和を生きたものとして
とても楽しく読ませていただきました。
返信する
こんばんは (たにむらこうせつ)
2017-12-16 19:20:15
ご訪問ありがとうございます。
昭和に臭いプンプンの面白いお話でした。
ハブおじさん・・・夢に出てくるんですから
相当インパクトがあったんでしょうね。
私も昔近所に変わったおじさんが居て
遊んで居るのに突然居なくなる人でした。
昔はそんな人が居ても平気な時代でしたね(^-^)

所で私の詩如何でしたか?
私のブログ如何でしたか。
読者になっていただけないでしょうか。
失礼を承知でのお願いです。
本当は相互読者になりたいのですが、
私の読者がいっぱいになってしまい登録出来ません。
私のブログに来て(名前をクリック)
プロフィールの所の数字ではなく
「読者になる」をクリックして下さい。
どうか読者登録よろしくお願いします。
無理なようでしたら構いません。
読者さんでしたら御免なさいm(__)m
返信する
いやはや…。 (izukun)
2017-12-16 21:32:37
きなこママさま

ははーん、そうすんと、きなこママは、おらの娘といった年かっこうやな。
まあ、ほんまにへんなものを堂々と売っていた時代でした。
書き損ねちゃったんですけど、このハブ塗り薬、実は別の場所でやっていたのをおらの次兄、当時中学生ね、が見てえらく感心し、買って来ちゃったんですよ、一缶!
で、オヤジが怒って、「こりゃおめえ、ワセリンじゃねーか!けえしてこい!」とさんざん怒鳴りまくってました(笑)。返品ちゅうても、ハブおじさんは今度は本当に国鉄東北本線でバイバイしてるわな!

それはそうと、この間、知らぬは本人云々とママと話してましたが、その本人からコメント入って来てんですよ、見たでしょ!ウソのようなホントの話とは、このことやね! 先方にも、おらの意見をコメントしておきましたよ!

では、また。

返信する
僕も見ました (天然居士)
2019-04-15 18:49:06
僕の日記へのコメント有難うございました。
そちらは別にお返事させて頂きます。

このハブ小父さんを見た覚えがあります。、
かなり曖昧な記憶なのですが、
二荒山神社前の広場で見ました。
あの辺が遊び場だったものですから。

拝読して、あの小父さんのだみ声や、赤い血を思い出しました。
とても懐かしかったです。
有難うございました。
返信する
つくり話ではない、が証明されました! (izukun)
2019-04-16 10:45:51
天然居士さま

そうですか、あのハブおじさん、見てくれてましたか!よかった、よかった。

いやあ、この記事を読んだ或る人から、「おもしろいつくり話やね」と誉められ?ましてね、「ほんとだ、実話だ」と抗弁に大童だったことを思い出しました。

それにしても、左上腕の力こぶあたりを刃物で傷つけて、実際に血も流れているのに、他に傷痕がまったく残っていなかった記憶でして、まったく不思議なことでした。

このおやじが、「きょうは特別だあ!」などと声を張り上げて強調するところでは、口の横ちょに手のひらを添える(おーい、と遠くの人に呼びかけるときに手のひらを添える、あの格好です)のが面白くて、いまだに忘れられません。

コメント、ありがとうございました。
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