岩藤孝一ブログ

置戸町、岩藤孝一のブログ

[山本議長 勇退!] に想う・・・

2011年03月01日 00時06分01秒 | 徒然日記
想像もしていなかった「タイムス」の記事であった。 
噂は少しばかり流れていたが、こんな選挙を控えての時期である、噂話は数知れず。
それこそ次は最後の立起になるのかな?とも思ってはいたが、まさか今期かぎりとは・・・ とても驚き、素直に受け止められないでいた。

僕と山本議長との出会いは~ 何歳の時であっただろうか、「芸術文化鑑賞協会」にて会長をされていた時に、僕が誘われて?(いや、嵌められて?)会員へと引き込まれたことが最初だと思っている。 「若さ」ゆえの我儘な意見や要求に、真摯に答えてくれた。
内心は「ヤンチャなクソ坊主」と思っていたかものかもしれないが(笑)
既に町議会議員という立場であったし、僕にはとても大きな「大人」として写って見えた。
だから、甘えながらも意見を言ったし、尊敬しながらも噛み付いていった。

商工会青年部長時代・・歴代の先輩部長の中でも故山本氏と同様に尊敬する部長であり、当時の商工会理事でもあった~ 自分達の「財産」でもある「人間ばん馬」の開催に向けて、色々と迷惑を掛けた。 まっ,それも後輩である「商工会青年部」としての意気込みの表れでもあったのだが・・
「町議会議員立候補予定者 合同演説会」の開催が農協青年部との共同で出来たのも山本議長の助言があったからこそと思う。

議員時代・・ 最初に「一年生議員だからといって、何も臆することはない! 議員として自分の意見を言え!!」と言ってくれた。 一般質問では、時間ばかり要した僕の質問、そして通告の内容から外れている質問にも、寛大な配慮で対応してくれた。 委員会等で揉めたときには、必ず、要として議会を纏め、一定の方向へと進めていった。
「議会議長」~そして町長をはじめ「町執行部」との「町づくり」に向けての駆け引きもあっただろうし~「合併協議」の時、或いは「銀河線廃止」の時などは、計り知れないほどの労苦もあったのだとも思う。 しかしながら、当時の11名の議員はどこかで「議長」の存在に頼っていた部分が多々あったと思われる。 それは当時の副議長でも同じだったはずと・・

今回の「勇退」の決断・・ご家族のこともあるだろうし、年齢的なこと、或いは個人的なこともあると察するが、「残念」としか言えない!
しかしながら、次世代の「議員」が~或いは「町民」がその思いを受け継ぎ、「置戸」の良き将来へと進むことが、少なくとも「山本議長」に教えられた人間の責務と思う。
議員勇退を決意した「山本」さんではあるが、「元議長」として大いに、これからも「お目付け役」としての役割を期待するところである・・・

今回の選挙でどの様な議会の構図になるかは計り知れない~ だけれども「山本 勲 議長」の「想い」を受け継ぐ、しっかりとした「議会」「議員」にならなければと! 強く、強く、思うところです!!