京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

能楽の祭典 ~京(みやこ)に揺らめく幽玄の美~

2011-08-30 | インポート

京都観世会館で行われる「能楽の祭典 ~京(みやこ)に揺らめく幽玄の美~」は長い歴史と伝統を持った日本独自の舞台芸術であって、又、ユネスコの無形文化遺産に登録されている日本が世界に誇る文化だといわれています。

私自身能には特に興味はないのですが今回の祭典では 第一部 10:00~15:30・京都の学生能楽部による演能ということで無料で体験できる世界だと思い時間が許せば言ってみようかと思っています、ぜひ日ごろから「能」に対して「難しくて判らない」とか「そんな高尚な趣味はない」とかよく聞きますが、一度見てみて下さい。

ちなみに平安神宮近くにあり、
京都の観世流各家の定期能はほぼこの能楽堂で催されています。
舞台のデザインも鏡板に描かれた松は斬新で目を引きますし、広い一階ロビーには色々な展示や売店があり、二階には喫茶室もあります。
私も何とかの手習いですが、皆様も一度はぜひ体験してみて下さい。

平成23年11月2日(水) 10:00~20:00 (会場:京都観世会館)
平成23年11月3日(木・祝) 10:00~20:00 (会場:金剛能楽堂)

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能楽の祭典 ~京(みやこ)に揺らめく幽玄の美~
http://www.kyotocity-kokubunsai.jp/project/noh_play/
金剛能楽堂
http://www.kongou-net.com/ 詳しくはHPでどうぞ。

                     男子客室係 入江


「京都の夏の旅」公開の木戸邸・達磨堂で社員研修

2011-08-28 | インポート

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今日は社内の研修会で「京の夏の旅」で公開中でお隣の木戸邸と達磨堂を見学してきました。
社員28名が3組ぐらいに分かれて説明をしていただいたり、質問をお答えいただいたりで、30分ぐらいの駆け足でしたが、勉強になりました。
木戸邸の2階には普段から絶対に上がることが出来ない場所で、確かに何もしつらえのないお部屋ですが、京都の鴨川と東山を一望にした、落ち着いたお部屋でした。
社員一同がしっかりと説明を聞いて勉強になったと思います。

                                                                                        Concierge i


目にも優しさを

2011-08-25 | インポート

京都の8月のイベントである五山の送り火も終わり秋の気配がしはじめました。

その五山の送り火を1つでも多く見る事の出来る場所を巡りました。

そこでこんな話題を。

一番多く送り火が見える場所=昼間は多くの山々の緑が見える所です。

この人の視界に入る緑の割合「緑視率」の調査結果を京都市は市街地の緑化を目的として始めたのです。

市内の37地点の中で13地点が緑視率10%を下回っており2015年度までに全地域で10%以上を目指し色々な取り組みをしています。

1、      遊休民有地で「借地型公園」を整備

2、      緑不足の地域で緑化を義務ずけ

3、      個人や事業所が壁面緑化や生け垣整備を行う場合に補助金を出す。

等です。

街路樹が多い西院西中水町や観光スポットの嵐山、渡月橋では40%を超えたそうです。

Photo <京都駅の屋上ガーデン>

市内散策の折に、ここから見えるのは緑が少ないとか、ちょっと緑化を意識して見てはどうでしょうか。
案外緑視率は別として、緑の中で過ごす時間が少しでも多いほうが健康にも心にも良いのでしょうね。

あなたは忘れていませんか・・・。 

                        松井でした(^o^)丿


もう秋の味覚が   和食調理部 上野

2011-08-23 | インポート

暑かった8月も京都の五山送り火が無事終わると急に気温が4~5度下がり、しのぎやすくなりました。
京都の秋の味覚も秋を迎え、梨やいちじくの収穫が可能な時期となり、家族連れで観光梨園は賑いを見せ始めました。
私も25年程前には、幼い子供2人を連れ、楽しい時をすごしたことが昨日のことのように思い出します。
天気予報ではしばらく曇りや雨、また残暑でふうふう言う時が来るかもしれませんが、真夏の暑さとちょっとちがった太陽が待っているような気がします。

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坂の上の雲

2011-08-22 | まち歩き
 『酷道』(コクドウ) という言葉をご存知でしょうか?
「国道」といえば、普通はキレイに整備された道や立派な幹線道路を思い浮かべます。
しかし、身勝手な道路建設計画や無謀な予算案、鉄道優先の交通網の整備などの憂き目に会い、廃道寸前の獣道のような国道・九十九折れワインディングが続く国道・ダートコースの連続ヘアピンカーブの国道・離合困難な狭隘路や洗い越しのある国道 等々‥‥全国には自動車での走行を阻む様な国道があります
そんな悪路を道路好きの諸兄は 酷い道 つまり酷道 と呼んでいます。
というわけで、行ってきました。
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国道477号府道38号京都広河原美山線交点 通称:百井別れ
国道477号は三重県四日市市から大阪府池田市に至る道です。その途中で京都市を北上し、南丹市を南下するという迷走具合も凄いですし、滋賀県の途中峠~京都府の京北まではひたすら悪路の山道が続きますが、やはりハイライトはここ鞍馬にあります「百井別れ」でしょう。
ここは本当に京都市内なのかと思うぐらい、山深いところ。
↑の写真は北の花脊方面から南向きに見たものです。道なりに真っすぐ降るのが府道(ガードレール付の立派な2車線)、鋭角に180度降る1車線(大型通行不可)が国道です。いくら3桁国道とはいえ冷遇されっぷりが果てしない‥‥。
案内標識(俗に言うおにぎり)が無ければ私道かとも思われるくらいの、細い&急角度な道。京都では間違いなくNo,1 関西でも有数の有名酷道です。都市部から1時間もかからずに行けるお手軽さを備えつつも都会の喧騒を忘れられる自然溢れる場所です。(※熊出没注意サルとイノシシも出ます。)
分かりにくいかも知れませんが段差があって切り返し無しでは曲がりきれません。
ここから先は、花脊へ向かえば九十九折れが続き、大原へ向かえば無舗装のうねうねした山沿いのオフロードが待ち受けています。雨が降れば崩落しそうなくらい脆弱な地盤に感じます。
しかし、この先には百井の集落があるので、地元の方は日常的に利用しているのでしょう。このときも2台の軽自動車(車高の低い車や車体の長い車はここを踏破できないでしょう。)が林の中に消えていきました。
左:南から見た写真(画面左の道がR477花脊・京北方面 右の道が大原大津方面 手前に伸びる道が府道鞍馬方面)
右:百井別れの下から見た写真(画面手前の道が大原・大津方面 左から右へ斜めに伸びる道がR477花脊・京北方面)
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普段の国道のイメージを変えてしまう少し不思議な魅力がある酷道。一度訪れてみてはいかがでしょう
                                                 烏龍茶
国土交通省HP 道路カテゴリhttp://www.mlit.go.jp/road/

Foot of gold

2011-08-20 | インポート

長岡京駅から南の勝竜寺城跡までの道がガラシャ通りと呼ばれる通りがあります。

(【細川ガラシャ(ほそかわ・ガラシャ/1563~1600)】細川ガラシャこと"たま"は、明智光秀の娘として生まれました。織田信長の仲人で名門・細川家に輿入れし、子供を授かり平穏な日々を過ごします。
しかしながら、本能寺の変が、彼女の人生を大きく変えてしまいます。
父が主君・信長に謀反を起こしたのです。たまは、一瞬にして"裏切り者の娘"の烙印を押され、可愛い子供たちとも引き離され、山奥に隔離されます。
数年の幽閉生活の後に細川家に戻りますが、夫との間には深い溝が出来ていました。たまは、さらにキリスト教に救いを求め、洗礼を受け、ガラシャと名乗ります。
そして、関ヶ原。
石田三成は、敵方の大名の妻たちを人質にとろうとします。しかし、ガラシャは、武家の妻として命を絶つ道を選びます。ガラシャの行動によって、三成の思惑は打ち破られます。ガラシャの死は、関ヶ原の戦いの流れを決定づけます。)

の由緒ある地域です。今大河ドラマでガラシャ役にミムラさんが演じていますよ。
そんな場所に一躍有名になった神社があります、そう「神足神社」です。
住宅街の中の一角の小高い丘の上にある神社は地元の子供たちの遊び場にもなっていて、結構メジャーな存在です。
つまり足の神様ってことですよね。
足との直接的な関連がある訳ではありませんが、全国高校(女子)駅伝の京都チームは、試合の前に神足神社で願掛けをし、お守りを携えて試合に臨み、好成績をおさめていることが知られています。また、2011年女子サッカーワールドカップで優勝した「なでしこジャパンチーム」でゴールキーパーをつとめた海掘あゆみ選手が長岡京市出身であることから、市のスポーツ賞市民栄誉賞と神足神社のお守りを送られたことでも注目されました。
京都からだと大阪に向かって行く途中にあり、新興住宅がいっぱいの街です。
「Foot of gold」 足の神様はここにありですね(^^♪

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由緒:旧神足村の産土神。式内社で「延喜式」にのる乙訓十九座の一で「神足神社」(こう たにのじんじゃ)とみえる。また、文徳天皇の斉衡元年(八五四)に国の官社にあげ られる。祭神は「舎人親王(天武天皇の子)」であるといわれている。
当社には「桓武天皇の夢」として次のような伝説が残っている。「田村(神足村の旧 名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢 を見られたと言う。天皇は目覚められ、田村にこの神を祭る社を建てさせ太刀と絹を 秘蔵させた。」以後、この社は「神足神社」と田村は「神足村」と呼ばれるようにな ったと言われる。 (平成祭礼のデータより)

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京都五山送り火の用意も万全

2011-08-16 | インポート

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今大文字山の大の字の部分に薪を積んで用意をしておられるところです。
沢山の保存会の方・有志の方やアルバイトの方みんなで汗だくになって作業をされています。

みなさんは、送り火を守ってきた意地でも大きな明るい灯をと話を聞いております。
もうすぐお盆の締めくくり、大文字焼の明かりを頼りに精霊が帰ってゆかれると小さいときから聞かされてきました私も、学生の時に一度だけお手伝いに登った経験があります。
皆さん頑張って下さいね。

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三千院 万灯会は願いがとどけと・・・

2011-08-15 | インポート

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東日本地域大震災の追悼と復興とを祈願、世界平和・諸願成就を願い「千年の祈り」点灯式が観音堂にて行われました。
祈りを込めて献灯されたロウソク一万本の灯明を灯して、先祖の精霊を回向する。
光に浮かぶ往生極楽院、献灯者の祈りに満ちた観音堂は光に満ちた温かな世界を見るような錯覚を受けるほどで、あたり一面の一燈々々のろうそくが道案内をしてくれ、夏の夜の涼しいひと時を体感出来ました。

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「白砂青松」

2011-08-13 | インポート

「白砂青松」この言葉から連想される京都の場所といえばどこでしょう。

答えは「天橋立」です、熱い夏にはやはり海ですが、この天橋立も海の景色も見えご存知の方も多い宮津市の日本三景のひとつです。

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観光で訪れると特に感じる事はないのですがこの場所の美しさを守るのは実に大変な事でして、砂浜の浸食や松枯れ等に対し砂浜に砂を供給する「サンドバイパス事業」や松枯れ防止の薬剤散布、または内海の水質悪化を食い止める為沿岸のヘドロ層に砂を覆いかぶせる事業等が行われていて京都府は年間7千万円以上を費やして守っているのが現状です。

もちろん地元住民やボランティアの手による清掃活動もあります。

日本各地にある観光名所も維持する事の大変さを感じると共に、京都在住の私としても、白砂青松の天橋立はいつまでも美しいままでいてほしいものです。

                                             松井でした (^_-)-☆


「京の夏の旅」のひとこま

2011-08-12 | インポート

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木戸孝允旧邸・達磨堂
~山紫水明の眺めを愛でる 幕末の志士の旧宅~
勤王の志士・桂小五郎(かつらこごろう)としても知られる木戸孝允(きどたかよし)の邸宅跡で、病床にあった孝允を見舞うために明治天皇が行幸された由緒ある場所。近衛家下屋敷を譲り受けたという建物の一部が残り、その二階からはなだらかな東山の山並みと鴨川が望めます。また達磨堂には、孝允の子・忠太郎(ちゅうたろう)の数万点におよぶ壮大なだるまコレクションが収蔵されており、日本画家・下村観山(しもむらかんざん)筆「達磨図」衝立や、各地のだるま人形、玩具などが所狭しと展示されています。 詳細文提供/京都市観光協会
というのが当館に隣接した夏の旅の見学個所の紹介です。
石長の前を通って見学にお越しになる方の多さにびっくりしています、幕末の歴史の中で活躍した一人として桂小五郎ではあるのですが、幕末の頃の桂小五郎は、逃げの小五郎といわれ、事が起こる前にいつもその場所には居ず、難を逃れていたと云われているが、真実は分かっていないそうです、でも面白いですよね、それだけリサーチにたけていたということなのでしょうか。
木戸邸はもともとは近衛家の河原町の別邸として歴史が残っているのですが、明治初年に孝允が譲受して京都の別邸としてここで脳発作が悪化し5月26日45才にてこの世を去ることになったそうです。
当館にも遺品として色々な物が展示していますが、ご利用の方からたまに質問などを受けます、「木戸孝允って桂小五郎ですよね。」そうですよとお答えして、この話を付け加えています。
ぜひ一度この機会に見学にお越し下さい。

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