京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

祇園社(現在の八坂神社)と祇園祭(安寧を祈るひと月)

2012-07-05 | インポート

千年の都、京都は794年平安京として造営・遷都され、日本の中心都市となり、
明治維新によって、江戸が東京に変わり、明治2年に天皇が東京へ移るまでの約1100年間、日本の都として長い歴史を刻んできたことは皆さんもよくご存知のとおりです。

桓武天皇の方針により、平安京内部には大きな寺院を建てることはなかったが、洛外と呼ばれる周辺部には、いくつかの寺社があり、花街・祇園に深く関係する祇園社もその一つでありました。現在は八坂神社と呼ばれていますが、これは明治維新以後の神仏分離令によって、祇園感神院という名から改められたそうです。
その歴史は古く、新羅(しらぎ)の牛(ご)頭(ず)山(やま)に祀られていたスサノオノミコトを現在地に祀ったことが始まりとされ、いつしかスサノオノミコトを祀る全域を祇園、あるいは祇園社、祇園感(かん)神院(じんいん)と呼ぶようになったそうです。これが祇園という名の起こりと考えられているのですョ

梅雨明けを待ちながら、7月1日には祇園祭一色に染まりますネ。
この祭りのハイライトは、動く美術館とも言われる山鉾巡行です。
市内各所にある33基の山鉾が市内を巡るのは、あまりにも有名であり、豪華絢爛ですよネ
(扉を開けて入ってもまた次の扉が待つ深い神事の世界のようです)
山鉾巡行は、祇園祭の中心ではなく、あくまで前段で中心行事は、神幸祭と還幸祭です。

八坂神社だけの、祭りのように思われますが、御霊会が発展した祭りなのです。
御霊会とは御霊を鎮める儀式で、疫病や自祭災害が起こると、その原因は無実の罪で裁かれた人物の怨霊が現世を祟っていると考え、その御霊を鎮魂させようとしたのです。
このような形式は、民間信仰の一つと言われています。

863年、朝廷は初めて御霊会を神泉苑で行い、国家鎮護の御霊会であり、当時の国の数六十六の鉾を立てて儀式を行ったという。この時八坂の感神院から神輿が繰り出し、これが今に伝わる祇園祭の初めと言われているようです。
以後、御霊会は疫病が流行る度に行われますが、特に決まった寺社はなかったようで、行われた場所に共通するのは平安京の境界線近くの地であったことです。

八坂は、その東に鳥辺野という葬送の地があり、御霊会を行うに相応しい場所でありました。970年頃から祇園社の祭礼として今日まで続くことになります。

神幸祭・・・八坂神社から大神輿3基が出て、それぞれが各氏子町を通って四条寺町の御旅所へ入る神事(7日間滞在)

還幸祭・・・7日経つと今度は御旅所から八坂神社へ戻る。大神輿に召した神々が再び元の場所へ戻るわけである。

Gi

  
                             祇園大好き!しーちゃん