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最近の拾い読みから(5) ―『松本清張と昭和史』

2006-06-28 11:14:09 | Book Review
世に「清張史観」なることばがあるそうです。
現在では「司馬史観」が取りざたされますが、それよりちょっと以前には、この「清張史観」があれこれと言われていたとのこと。

「清張史観」への批判として代表的なものは、大岡昇平の次のような言説。
「松本の推理小説と実話物は、必ずしも資本主義の暗黒面の真実を描くことを目的としてはいない。それは小説家という特権的地位から真実の可能性を摘発するだけである。無責任に摘発された『真相』は、松本自身の感情によって否められている。(中略)
松本にこのようなロマンチックな推理をさせたものは、米国の謀略団の存在である。つまり彼の推理はデータに基づいて妥当な判断を下すというよりは、予め日本の黒い霧について意見があり、それに基づいて事実を組み合わせるという風に働いている。」(大岡「常識的文学論」。本書より再引用)
一言で表せば、「謀略史観」だというものです。

今でも佐藤一『松本清張の陰謀』(草思社)など、このような批判は多いようですが、著者の見解では、
「謀略史観に凝り固まった歴史観は、何が起きても特殊な謀略によって歴史を理解しようとする。(中略)こういった史観というのは一読すると面白いのだが、歴史そのものの客観性、あるいは史実の重みからしだいにかけ離れていき、特定の現象を歪んだ見方で染めてしまうことにもなる。
私はこうした歴史観は病的な側面を備えていると思う。これらの謀略史観と、松本がいう謀略との区別はどこかといえば、客観的に資料を集めているか、集めた資料がたとえ自分の史観に背くものであっても、それを紹介しているかといった尺度を持つことで見抜けるはずだ。松本はそういった謀略史観とは一線を画していると断じていいであろう。」
となる。

それでは、『日本の黒い霧』や『昭和史発掘』に欠点はない、とは言い切れない。
大きな原因は、資料そのものの時代的制約にあります。
端的な例は「謀略朝鮮戦争」。
近年の旧ソ連、中国の資料公開や証言により、現在では北朝鮮側がスターリン、毛沢東の同意を得た上で、南に「侵攻」したものと見る説が有力である。
しかし、昭和30年代の書き物としては、そこまでの資料は得られなかったため、松本も「米軍の謀略に基づく、南朝鮮軍による北へ侵攻」との誤りを犯していることは明らかです。

「しかし」と著者は言います。
「単に松本の見方をこの時代の狭い領域に閉じ込めて批判する限りでは傍観者的なエゴイズムでしかない。そのような批判を何度繰り返したところで、結果的に清張史観を越えるものは生み出せないであろう。」
これが、いわば著者の結論といってもいいでしょう。

*ちなみに、文庫版『日本の黒い霧』『昭和史発掘』に関する小生の書評は、以下のページにありますので、こちらもどうぞ。

 『日本の黒い霧』→ こちら
 『昭和史発掘』第2巻→ こちら
    〃   第3巻→ こちら
    〃   第4巻→ こちら
    〃   第5巻→ こちら
    〃   第6巻→ こちら

保阪正康
『松本清張と昭和史』
平凡社新書
定価:本体756円(税込)
ISBN458285320X

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