一風斎の趣味的生活/もっと活字を!
新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。
 




FRANZ SCHUBERT
DIE STREICHQUARTETTE
MELOS QUARTETT
(DG)


アセトアミノフェンの効果で熱は下がりましたが、全身の倦怠感は依然として続いています。

ということで、本日もシューベルト。
しかも、弦楽四重奏曲全集で、「ゆるい」シューベルトをお楽しみください。

シューベルト・ファンの人には、厭がられるだろうけれど、「ゆるい」というのは必ずしも悪口だけに使っているわけではない。
いい意味で言えば「インティメイト」。もちろん、構成や和音構成などは、ベートーヴェンと比べて劣ることに間違いありませんが、シューベルトには、この親密性とメロディーがそれを補うほどたっぷりとあります。

詳しい説明は、風邪が治ってからということにさせていただきましょう。

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Schubert
Songs without Words
Mischa Maisky
Daria Hovora
Piano
(DG)


ということで、どうやら風邪のようです。

気怠くて、どうもまともな文章が書けそうもありません。
解熱剤とアイスィングで熱を抑えるべく対処しているのですが……。

そこで、割と気楽に聴けるCDをご紹介。

マイスキーが、以下のようなシューベルトのリートを弾いているアルバムです。

 Der Neugierige, D 795
 Lied der Mignon, D 877/4
 Tauschung, D 911/19
 Der Leiermann, D 911/24
 Nacht und Traume, D 827
 Am Meer, D 957/12
 An die Musik, D 547
 Die Forelle, D 550
 Staedchen, D 957/4
 Der Einsame, D 800
 Der Mueller und der Bach, D 795/19
 Heidenroeslein, D 257
 Litanei auf das Fest Allerseelen, D 343
 Du bist die Ruh, D 776


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素人考えですので、専門家には常識的なことかもしれませんが、ちょっと思いついたことを書いてみます。

それは、荷風が『断腸亭日乗』を当たって、九条兼実の『玉葉』の影響を多少なりとも受けていたのではないか、ということです。

ここで、老婆心からいささかの説明を。
『断腸亭日乗』については、永井荷風の日記ということを述べておけば、ことさら説明する必要もないでしょう。
『玉葉』は、平安時代末期(院政期)から鎌倉時代前期に、上級貴族である九条(藤原)兼実(1149 - 1207) が書いた日記です。

人によっては、
「昭和史を知る上における貴重な資料であり、鎌倉時代の『玉葉』や『明月記』に相当するものであることは明白である。」
と、『断腸亭日乗』と『玉葉』とを並べ、一流の日記文学/歴史史料として評価している人もいるくらい。

そのような共通点のある、この二つの日記ですが、さる本を読んでいたら、次のような『玉葉』の一節が眼に付きました。
「まことに我が朝、滅尽の期なり。悲しむべし悲しむべし」
この「悲しむべし悲しむべし」というような表現、『断腸亭日乗』に目を通した方なら、そこにも頻出することをご存知でしょう。

さて、となると、荷風は『玉葉』を読んでいたんじゃないか、と思えてくるのですが、どうでしょうか。
少なくとも、原本には目を通してはいないでしょうから、刊本が出たのがいつごろか、というのがポイントとなりそうです。

そこで調べてみると、「通行本」(おそらくは「印影本」ではなく、「活字本」)が刊行されたのが、1906(明治39)年から1907(明治40)年。
したがって、荷風が『玉葉』本文に目を通す可能性はあったわけです(ちなみに、荷風は「通行本」の刊行時、外遊中だった)。

ただし、これは、荷風が『玉葉』を読んだかどうかに、確答を与えることにはなりません。というのは、それについての直接的史料ではないからです。
また、小生の知らない「ミッシング・リンク」があるのかもしれないし、このような表現が、当時流行ったのかもしれない。

ただ、可能性があったことは確かなことです。

ここまでが、素人としての限界。
国文学界で、この問題に関しての論考などはあるのでしょうか。

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「独房の中、生と死の極限で苦悩する死刑囚たちの実態を抉りだした、現代の“死の家の記録”。
全員が殺人犯のゼロ番囚たちは拘置所の二階に収容されている。死刑宣告をうけた楠本他家雄は、いつ「お迎え」がくるか怯えている。女を崖から突き落とした砂田の暴力、一家四人を殺した大田の発作、そして他家雄の奇妙な墜落感等、拘置所の医官で若い精神医の近木は丹念に見廻る。生と死の極限で苦悩する死刑確定囚たちの拘禁ノイローゼの実態を抉り出した現代の“死の家の記録”。全三巻。」(「出版社からの内容紹介」)
という内容紹介からも分るように、主人公は死刑囚である楠本他家雄(くすもと・たけお)であるという理解が一般的のようです。

けれども、小生は、あえて拘置所勤務の精神科医近木を主人公とする、ビルドゥングスロマンとして読みました。

そうすると見えてくるのは、T. マン『魔の山』との親近性です。

『魔の山』での主人公ハンス・カストルプは、23歳の青年。結核に冒されアルプス山中にあるサナトリウム「ベルクホーフ」に入ります。
そして、その中で、ロドヴィコ・セテムブリーニやレオ・ナフタといった悪魔的人物の思想に出会い「精神の彷徨」を行なうわけです。
それらの登場人物たちは、当時、不治の病だった結核に冒されており、いずれ早晩の死が「保証」されている!

その線でいくと、『宣告』でのサナトリウムにあたるのが、東京拘置所の死刑確定囚収容監房(死刑囚は、死刑が執行されるまでは拘置者である。したがって正確には、死刑確定囚)。
「悪魔的な」(ここでは、近木の精神/思想/心理に根源的な疑問を投げかけるという意味)人物に当たるのが、楠本他家雄ほかの死刑確定囚ということになります。
彼らによって投げかけられるのは「死とは何か、生とは何か」「悪とは何か、善とは何か」「神は存在するか、存在しないか」といった問題です。

まだ成り立ての精神科医である近木は、唯一の「武器」である精神医学の知識を持って(根源にあるのは科学という合理主義)立ち向かうわけですが、死/生、善/悪といった問題には、無力であることに気づきます。
*近木の神についての考え方は、
「ぼくはね、この世に存在するものすべての中に調和があって、その調和として姿を顕わしてくるような神ならば信じているの。しかし、人間の運命を見通し、それを統率するような神は信じられない」
という科白に現われています。

小生、著者がフランスへ医学を学ぶために留学したことは知っていますが、どのような外国文学に影響を受けたかは、よく分っていません(他の作品中にもドストエフスキーへの言及はあったりするが、マンはどうだっただろうか)。
したがって、『魔の山』との比較論がまったくの見当違いに当たるかもしれませんが、そこは読み手の特権として、ここにエスキースを述べてみました。

実にハードな小説ですが、小説内の楠本他家雄の手記には、研ぎ澄まされた美しい自然描写があります(小生、この手の文章は好みです)。
どなたにでも広くお勧めできる内容ではありませんが、選ばれた読者には、はっきりした手応えを感じさせてくれる小説であることに間違いないでしょう。

加賀乙彦
『宣告』(上)(中)(下)
新潮文庫
定価 700+700+700円 (税込)
ISBN978-4101067148+978-4101067155+978-4101067162


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事実の記述で押し通したような文章に、書き手が突然現れるような手法を、デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』では、「作者の介入」"The Intrusive Author" と呼んでいます。

ロッジは、「作者の介入」には、次のような効果があると述べています。
「我々が小説を読むのは、ただ単に物語を楽しむためばかりではなくて、世界をより広く知り、より深く理解したいという欲求によるものでもあり、作者の声による語りの技法は、そのための百科辞典的知識と処世訓を作品に組み入れるのにきわめて便利な語り方なのである。」
と。

さて、ここでは「作者の介入」をロッジ的な明示的「作者の介入」だけではなく、より幅広く捉えてみたいと思います。
「ロシア側の最大の不幸は、この決戦の時機に、各艦がどこへ行っていいのかわからなくなったことであった。
 その混乱というのは、名状しがたい。旗艦ツェザレウィッチは司令塔に死人をのせたまま、狂ったような円運動を続けている。二番艦レトウィザンがはじめ左転し、ついで右転した。」(司馬遼太郎『坂の上の雲』「黄塵」)
第三人称の純客観体(=歴史書の文体)で書かれていると思われがちな司馬ですが、微妙に作者の価値判断を含めた表現を行なっている。

例文の場合でいえば、「最大の不幸」「名状しがたい」「狂ったような」といった用語の使用です。
中立的な用語を使う、禁欲的な第三人称の純客観体に対して、このような作者の価値判断を含んだ非中立的な用語の使用を、ここでは〈非明示的な「作者の介入」〉と呼んでおきましょう。

逆に表現すれば、〈非明示的な「作者の介入」〉がなければ、『坂の上の雲』も味も素っ気もない作物(さくぶつ)となって、これほどの読者を得ることはできなかったでしょう。
読み手は、無意識の内に、作者の価値判断を受け入れ、世界観を共有することになるのです。

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事実の記述で押し通したような作品に、書き手の意思が現われた、もっとも簡単な例としては、次のようなものがあります。
「ついでながら筆者は、この蒲生の地に二度行った。地図で見る印象よりも、ずっと平坦な土地だった。蒲生の武家屋敷の一角にある小学校から野をのぞむと、野のかなたに隆起している山があり、樹木が鬱蒼としている。たわしでも置いたようなかたちをしている。」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』)
という具合に、突如、筆者が顔を出す。

しかし、司馬の場合、この作品のような形になるには、いくつかのステップを踏んでいることも確かです。
「千代の小袖を聚楽第に展観したのは、北政所が秀吉にそうすすめたからである。
 余談だが、一種の個展といっていい。美術や工芸品の作品展の最初ともいうべきことではあるまいか。」

「筆者、註。
『桃山』
 とは、つややかな地名である。いま城が築かれようとしている伏見山の別称と心得ていい。」
はともに『功名が辻』の例。
このような手法を小説に導入するのは、別に司馬に限られたことではありません。
「だがこの話は真実だろうか。実は私は長いこと疑っていた。確かに成貞はかなりの美青年だったらしいことは、後年の様々な逸話で明らかだし、男色、衆道は当時はなんら背徳的な匂いを持たず、ごく普通の性の形式にすぎなかったが、私の考える成貞の勁烈そのものの行動と男色という事実がなんとなく合わないのである。」(隆慶一郎『かぶいて候』)
小説内の小随筆であり、注であるような位置づけになるのでしょうか。
いずれにしても、読み手にとって、小説の本文とは画然と分れていることが明らかです。

司馬の場合、この境界は、徐々にあいまいな場合が多くなっていきます(本人にとっては明確であるが、読み手に境界を意識させないようにする)。
以下は『坂の上の雲』「大諜報」の章から。
「またポーランド関係の諸党のうちには、
『そういう大会をひらくことはかえって危険ではないか』
 と、ためらう空気があった。
 ポーランド人は、歴史的にロシアの武力弾圧をもっともつよくうけてきたため、あらゆる反抗運動において消極的もしくは細心であり、用心ぶかかった。」
〈ここまでが「本文」。以下「小随筆」「注」の部分〉
「ロシアとポーランドの関係は、歴史時代における日本と朝鮮の関係にやや似ている。(中略)
 そのポーランドが、ロシアの属領になってしまっているため、壮丁が大量に徴兵され、極東の戦線で斃れつつあり、かれらの死は民族のためまったく無意味であるばかりか、帝政ロシアを倒してくれるかもしれない日本人を殺すことは民族のために有害でさえあった。そのことはポーランドにおけるすべて反露運動家がそう信じていた。」
〈「小随筆」「注」の部分が、ここで終わって〉「明石は、そいういう背景のもとに、……」
と、本文にすぐにつながっていきます。

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前回述べた松本清張の文章には、フィクションの要素は入っていません。
何らかの史料の裏づけがある(例えば、徳富蘇峰『公爵山県有朋伝』などにも書かれている)。それらの史料をモンタージュした結果が、このような表現になっています。
ただ、細部へのこだわりがあるため、手触りのあるリアルなものになっているのです。
しかし、これとても、視点がミクロなだけ(いわば「クローズ・アップ」)で、第三人称の純客観体(=歴史書の文体)であることに変りはありません。

それでは、第三人称の純客観体の小説には、読み手に対してどのような効果を与えるのでしょうか。

まずは、そこに書かれている内容が、作り事ではないという印象を与えます(たとえ純粋なフィクションであろうが、読み手への印象としてはあたかも「実際に起ったこと」と思わせる)。
それと密接な関係がありますが、事実の記述の中にフィクションを入れ込むと、フィクションの部分も目立たなくなり、全体が事実であるかのような印象をも与えます。

それでは、司馬遼太郎の作品のような(典型的なものは『翔ぶが如く』)、事実の記述で押し通したものは、小説といえるのでしょうか。そうなったら、もはやノン・フィクションと読んだ方がいいのではないでしょうか。

しかし、そこには依然として、「物語」を語ろうとする書き手の意志が働いています。
その意志は、どのようなところに現われているのか。
次回は、その辺りのお話を。

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ここで面白いのが、共に同時代の人びとに「国民作家」と呼ばれた吉川英治と司馬遼太郎の文体の相違です。

2人とも歴史小説を書いているわけですが、吉川作品には、第三人称の純客観体(=歴史書の文体)の割合が少ない。
それも例えば、
「官軍は、11月の25日、三河の矢矧(やはぎ)まで来て、はじめて足利勢の抵抗を受けた。
海道の合戦は、この日に始まり、交戦3日後には早やその矢矧川も官軍2万の後方(しりえ)におかれていた。そして序戦にやぶれ去った足利方の先鋒(せんぽう)高ノ師泰(もろやす)は、鷺坂までなだれ退いて、
『残念だが、味方の来援を待つしかない』
とし、初めからおおうべからざる敗勢だった。」(吉川英治『私本太平記』「風花帖」)
というように、会話を含めるなどのヴァリエーションを施しています。

これに対して、司馬作品は、
「かれらは、その後なおアフリカ東岸のマダガスカル島の漁港(ノシベ)にすわりこんだままであった。
繰りかえすと、この遠征艦隊がノシベの泊地に錨を投げこんだのは、1月9日である。その早々、旅順が陥落した(1月2日)というこの艦隊の運命にかかわるニュースを知らされた。」(司馬遼太郎『坂の上の雲』「黄色い煙突」)
と、ほぼ第三人称の純客観体で通しています。

それでは、松本清張の次のような文章はどうでしょうか。
「有朋は朝が早かった。
暗いなかで、洗面所から主人のがらがらと喉を鳴らす嗽(うがい)の音がする。それから書生を呼ぶ。馬に乗りたければ別当を呼ぶ。
槍と馬は一ばん好んだものだった。槍は長州の奇兵隊時代から得意にしたもので、九尺柄を襷(たすき)がけでしごく。座談のときには思わず姿勢がその見構えとなって出てくる。身体を斜めに構えて左手を長く突き出す癖がその現われだった。汗をかくと、全身を冷たい水で拭き上げ、着物を更えさせる。」(松本清張『象徴の設計』)


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歴史書は、ほぼ例外なく第三人称の純客観体で表現されます。

例を挙げるまでもありませんが、次のような具合です。
「1852年(嘉永5)11月24日(陽暦、陰暦10月13日)、ペリーはミシシッピ号に乗ってアメリカの東海岸ノーフォーク港を出港し、マデイラ諸島を経て大西洋を南下し、セントヘレナ島、ケープタウン、モーリシャス島、セイロン島、そしてシンガポールを経て、翌1853年4月7日(陰暦2月29日)、香港に入港した。」(田中彰『集英社版日本の歴史15 開国と討幕』)

この文体を、小説で使用すると、その部分はあたかも、歴史書からの引用であるとか、客観的な記述であるとかいう印象を読み手に与えることになります(たとえ、それがフィクションであろうとも)。
「ローマ教会に一つの報告がもたらされた。ポルトガルのイエズス会が日本に派遣していたクリストヴァン・フェレイラ教父が長崎で『穴吊り』の拷問をうけ、棄教を誓ったというのである。この教父は日本にいること二十数年、地区長(スペリオ)という最高の重職にあり、司祭と信徒を統率してきた長老である。」(遠藤周作『沈黙』「まえがき」)
この『沈黙』の記述は、フィクションではありませんが、
「後に日本国の独立を脅かす存在となる『ゼウスガーデン』の前身『下高井戸オリンピック遊戯場』が産声をあげたのは1984年9月1日のことである。」(小林恭二『ゼウスガーデン衰亡史』
となると、完全にフィクション。それをあたかも歴史的な事実のように思わせるために、作者は第三人称の純客観体で記述しています。

『沈黙』が歴史小説であるので、「まえがき」は、ほぼこの文体で通していますが、『ゼウスガーデン衰亡史』はこの後、微妙に作者の主観が入ってくる。
今引用した文の次は、
「この『オリンピック遊戯場』なる名称は、いうまでもなく当時アメリカ合衆国で開催されていたロスアンゼルス五輪にあやかったものであったが、実際の話、うらぶれた場末の遊戯場のどこをさがしても本家オリンピックの浮きたつような晴れがましさは見当たらなかった。」
となり、「うらぶれた場末」「浮きたつような晴れがましさ」という、作者の評価の含まれた用語が、混じってくるのです。

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前作『永遠の都』に続き、時田一族の人びとの戦後を描いた小説(T. マンの『ブッデンブローク家の人々』、北杜夫の『楡家の人々』を想起)。

時間的には『永遠の都』が戦前・戦中を舞台にしたのに対し、第一部と第二部では占領下の日本と、独立間もない日本が舞台となります。
したがって、『永遠の都』から読み進むことが、最も著者の意図には合っているのでしょうが、『雲の都』単独でも「物語」として読むことはできます。

第一部と第二部との関係は、第一部が複数視点からの描写(戯曲的記述まで含めて)であるのに対し、第二部は時田一族のいわば「第三世代」(「第一世代」は病院長の時田利平の世代、「第二世代」は利平の長女で小暮悠太の母・初江の世代)、に当たる悠太の一人称記述で、第一部とほぼ同じ時代とその後の時代とを併せて描く形となります。

小暮悠太が精神科医として、大学・セツルメント・精神病院・監獄での体験を通して医者として一人前になっていく部分は、ビルドゥングスロマンであり、また、加賀の自伝的な要素をも含んだ小説となっています。

さて、著者の意図に「全体小説」を描くということがあるそうなので、第一部のような複合視点からの描写が出てくるのでしょうが、視点の混乱、夾雑物の混在とも受けとれないことはない。
古典的な小説としての「結構」としては、第二部の方がすっきりしているとも言えるでしょう。

とりあえず、ストーリーとしては、
「主人公の悠太は、若き精神科医。拘置所で死刑囚に接して悩みを聞く一方で、遠縁にあたる造船会社社長夫人桜子と密会を重ねる。彼はまた、森鴎外、チェーホフなど医師で小説家の作品を愛読し、自らも同じ道を志していた。戦後まもない東京を舞台に、外科病院一族の運命を描き、自伝的要素を色濃くたたえた大河小説の第二部。 」(「BOOK」データベースより)
ということになりますが、それだけではなく、『永遠の都』では謎であった事件の真相が少しずつ明らかになってくるということもあり(精神科医になったため、従兄弟にあたる脇晋助のカルテを見ることが可能になる、など)、なかなか複雑な構成となっています。

ですから、読み手の側としても、どこに重点を置くかによって、見え方が違ってくるという点もあり、なかなか紹介するのも難しい。
まだ、小生としても、うまい補助線の引き方が見つかっていないので、今回はざっとしたスケッチのみで、詳細を論じるのは、またの機会ということに(前作『永遠の都』:文庫版で全7冊を再読する必要があるので)。

加賀乙彦
『雲の都』「第一部広場」「第二部時計台」
新潮社
定価 2,100+2,520円 (税込)
ISBN978-4103308102+978-4103308119


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