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最近の拾い読みから(184) ―『西洋音楽から見たニッポン―俳句は四・四・四』

2007-09-28 05:48:31 | Book Review
本書は、日本音楽と西洋音楽との違いを話題の中心とした音楽エッセイです。

著者は、まず日本音楽のリズムを解明するため、俳句の音律の分析から入っていきます。それが副題の「俳句は四・四・四」というフレーズになっているわけですね。
著者の俳句の音律分析に当たってのポイントは、無字数にはこだわらずに、あくまで「音律」のみを対象にすること。
そこから得られた結論が、
「五・七・五のもつ調子のよさとは、じつは四拍子のもつ調子のよさなのである。いってみれば、七・五調というものはリズムとしては存在しない。あるのは四拍子だけである」
ということです。

次に、七・五調の歌詞が今様、和賛から始まり(平安時代末期ごろから)、多くの流行歌にまで引き続き愛好された様を見ていきます。
しかし、その七・五調も今や終焉を迎え、
「日本人の歌は旧来の流行歌から脱し、アメリカの影響のもとにポップ調、フォークソング、ロックなどさまざまな方向に分裂していく、そこに生まれてきた新しい歌は、すでに七と五に捕われない自由律で散文的な歌詞に変わっていた。」

さて、ほぼ以上の第1章から第3章までが、韻文を中心とした日本語のリズム分析ということになります(散文、歌舞伎などの名台詞のリズムについては、第3章で触れている)。

第4章「音楽に国境はある」は、若干内容が異なり、音楽の背景にある文化(主として言語イメージ)の違いについて触れていますので、ここではご紹介は省略。

第5章以降が、以上を踏まえての日本音楽論。
日本の多くの「現代音楽」は、なぜビート(律動)をもたない音楽なのか、ということが話の出だしとなります(著者は、そのような音楽を「ヒュー・ドロン・パッ」音楽と呼んでいる)。
結論的に言えば、著者は、それを日本人の自然観に見ているようです。
「いま日本人の若手の作曲家たちが、突然に三和音も対位法もないヒュー・ドロン・パッを書きはじめたのを見ていて、そのヒュー・ドロン・パッがじつは自然音の無意識的な模写に近いものだと思うとき、明治以来西洋の模倣に模倣を重ねてきた日本人が、西洋の模倣を離れて日本人本来の潜在意識に立ち帰るようになったのかと思えてくるのだが。」

「武満徹が成功して彼の名を世界に知らしめた『ノヴェンバー・ステップス』にしても、聞きようによってはビートのないヒュー・ドロン・パッ的発想の部分に西洋音楽の衣裳を着せたというふうにも、あるいは、ヒュー・ドロン・パッと西洋音楽との相剋とも聞こえるといっていいだろう。」

さて、以上のように著者の分析が進められてきたわけですが、本書全体の結論として、
「こうして流れるような美しい日本語は千年を経て、今、私たちの手の中にある。私たちが受け継いだこの言葉は、私たちが守らなければ、混乱の果(はて)に失われていしまう。」
というのは、いささか陳腐なのではありませんかねえ。
個々の分析に頷けるところがあるだけに、着地が平凡なのは惜しまれるところです。

石井宏
『西洋音楽から見たニッポン―俳句は四・四・四』
PHP研究所
定価 1,575 円 (税込)
ISBN978-4569659541

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ちょwwwwwwwwwwww (よっちゃん)
2007-11-23 18:02:54
これマジで騙されたと思ってやってみろってwwwwwww女超本気だよwwwwwwwwwww

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トゥギャザーしようぜ♪ (ムー大柴)
2007-11-25 18:20:22
一人でオナってないでココで一緒にトゥギャザーしようぜ!!w今月スタートでもう20オーバーだぜ?!wwまずは「軽会い」がリスペクト♪よく胸にハンド当ててシンクしてみな?!ww

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がんばるお(´・ω・`) (たかひろ)
2007-12-02 05:22:20
アフィリやめてこっちにして正解だったwwww本当に3発ヤッて10頂きやしたwww明日もがんばるおww前教えてくれた人ありがとぉぉぉぉwwwww

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