因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ハイリンドvol.8『森モリ』公演

2009-11-21 | 舞台

*森本薫『華々しき一族』とモリエール『お婿さんの学校』の2本立て 中野成樹演出 赤坂レッドシアター 公式サイトはこちら 23日まで

 国内海外問わずさまざまな戯曲を意欲的に上演し続けているハイリンド(1,2,3,4,5,6,7)と誤意訳の中野成樹(1,2,3,4,5 6,7,8)の組み合わせである。自分のハイリンドの見方を振り返ってみると、どんな戯曲に挑戦したかということが最も気になる点であった。それくらい毎回手強く、やりがいのある手堅い戯曲を取り上げて着実な成果をあげている。それが今回は戯曲の選択もさることながら、これまでに比べて演出が前面に出る公演であることに興味をひかれた。

 子どものころよく遊んだ「ブロック」がたくさん組み合わさったようなカラフルな舞台装置である。早くもリアルな作りではない予感。『華々しき一族』は最晩年の杉村春子主演の舞台を信濃町のアトリエで見てしまっており(という言い方も変だが)、稲野和子が受け継いだ一昨年の上演もみて、あ、その間に鐘下辰男演出で佐藤オリエが主演した新国立劇場バージョンもみたが、概ね新劇系、文学座型の上演が本作の型として記憶に残っている。須貝が諏訪の着物の袖をひゅっと掴んで告げる一言。確かそこで一度暗転して同じ場から始まるのではなかったか。再婚同士の少し変則的な家庭で、将来有望な映画監督である須貝と、美しい姉妹、その兄が繰り広げる恋の鞘当ては、あまり生活実感をみせない芸術家系の自由業のお金持ちの優雅な言葉遊びのようにも思えて、毎回よくわからないまま幕を閉じるのであった。

 今回びっくりしたのは須貝から愛を告げられてただでさえ混乱している諏訪が、夫や娘たちも巻き込んだ感情のもつれに耐えきれず、多少の晴れがましさもあって、「須貝さんが結婚しない理由は私だって」と言ってのける台詞がカットされていたことだ。「それはわたしだ」という仕草をするからわかるようなものの、随分思い切ったことをしたものだ。どうしてだろうと素朴な疑問を抱く。中野がこれまで上演していた翻訳物は、他での上演を自分がほとんどみた経験がないせいもあって、台詞の省略や変更も特に違和感なく(モトを知らないせいか)おもしろく見ていたが、さすがに今年2月の『44マクベス』には今でも納得がいかないし、あれほどではないけれども、だったらなぜ森本薫のこの作品を選んだのかも不思議である。

『華々しき~』が唐突な終わり方をして暗転後、休憩なしで一気に2本めの『お婿さんの学校』が始まる。こちらは誤意訳の手法に乗って俳優たちがイキイキと動き回る楽しい舞台となった。このように外国語で書かれた戯曲が中野の誤意訳の手法にうまく乗った舞台は新鮮で、素直に楽しめるが、日本語の作品がこうなってしまうと、「よく知っている台詞がカットされたり変えられたりしている」と、ぎくしゃくした印象を持ってしまう。、2本両方にも出演している俳優はいないわけで、せっかく2本立てにしているのだから、もっと俳優の力量を味わいたい。
 ハイリンドにはどうしても「たっぷり」の充実感を求めてしまうのである。

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