*久保田万太郎 作 大場正昭 演出 六行会ホール 16日まで
『ふりだした雪』と『舵』の2本立て。
前者は杉村春子、北村和夫共演の舞台がテレビ放送されたものをみた。 杉村の当たり役のなかで『女の一生』や『華々しき一族』よりも、好きな作品である。杉村が演じた「おすみ」があまりものを言ってくれないから、表情やほかの人の台詞などに手掛かりはないかと何度も録画ビデオをみたがおすみの気持ちはわからず、何年もたってから劇団新派公演の同作をみたときも、波乃久里子演じるおすみのことがよくわからなかった。さて今回おすみを演じるのは文学座の八十川真由野である。終始うつむいて、一心に針を動かす姿からは、やはりほんとうの気持ちがみえてこない。こちらの「知りたい、あなたのほんとうの心を教えて」というこちらの気持ちを、静かに拒絶しているかのようである。八十川さんのおもざしは、NHKドラマ『あうん』(向田邦子原作 深町幸男演出)に出演していた吉村実子を思い出させた。
当日リーフレットに登場人物の短い説明書きがあって、おすみについては「もと藝妓をしたこともある不幸な女」だという。不幸な女。あまりといえばあまりな表現であるが、じっさい彼女の身の上はそのとおりなのだった。薄幸、亭主運がないとはこのことだろう。
復縁を迫る元亭主にも、おすみを見染めて後妻にしたいという金持ちの男にも、おすみは心を動かされない。何か考えることがあって、雪の早朝伯父夫婦の家を出ていく。おすみが残した長い手紙の内容は、観客にはまったく知らされないまま幕が降りる。 はじめて杉村さんの舞台をみたとき、この終幕に対し「伯父さん、手紙を読んで」と画面の北村さんに駆け寄りたくなった。
題名の「ふりだした雪」とは、舞台の場面そのままのようでありながら、実に象徴的なことを暗示しているのだと思う。雪は降るとき音をたてない。みてはじめて雪が降っていることを知る。おすみが残した手紙。それが降りだした雪なのだ。言いかえれば、おすみという女のすがたは「ふりだす前の雪」なのだろうかとも思う。おすみの手紙に何が書かれていたかを知りたい気持ちはいまでもある。しかし手紙を読んだとして、おすみのほんとうの気持ちを理解することはできないのではないか。知らされないこと、わからないことに耐える。『ふりだした雪』の舞台から示される客席の「あり方」を何年もかかって少し感じられるようになってきた。
電車の遅れを心配するあまり、劇場に早く着き過ぎてしまった。となりの品川図書館がしばらく休館のため腰を掛けられるところがなく、周囲をトコトコと歩く。ひと駅さきの青物市場まで行きつき、そこのドーナツ屋さんでひと息。ご近所の年配者が多く、都心の店とは違う温かな空気だ。北品川商店街を端まで歩いてみる。これまで六行会ホールの公演のときは、行きも帰りも新番場駅直行であったから、昔の宿場町を思わせる通りの雰囲気ははじめて味わうものであった。スーパーやコンビニの棚、とくにお米やパン類は見事なまでに空っぽである。ドーナツ屋の常連さんやご近所の買い物客の立ち話は、ほとんどが震災と計画停電や流通の品薄を嘆くもの。さまざまな不安や不便もあるが、皆異口同音に「被災地の方々のご苦労を思えば辛抱しなくちゃ」と言っておられる。不平不満はひとつも聞かなかった。自分は震災直後からうちの暖房を切ったためか、風邪をひく間抜けなありさま。
都内神奈川県内ともに演劇公演や催し物の中止が相次ぐ。自分も計画停電のエリアに住まう身であり、余震の不安、ライフライン、電車の運行状況の把握することが既に心身に影響を及ぼしはじめている。しかし明日夜も劇場に行くことを決めた。心を鎮め、目を見開き耳を澄ませてこのようなときに行われる舞台をしっかりと見届けたい。今後しばらくは劇評とともに震災後の日々について記述します。ご容赦ください。このような状況にあって、自分のサイトを読んでくださっている方々に心から御礼申し上げます。演劇人の方々、公演を中止するのも続行するのも胃が痛むほど考えた末のご決断とお察しします。その気持ちを尊重し、敬意を表するとともに、自分は「舞台をみて考えて書く」という営みを何とか続けていきます。
被災された方々がひとりでも多く、一刻も早く命を救われ安全が確保されますように。