因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

燐光群『星の息子』

2012-11-25 | 舞台

*坂手洋二作・演出 公式サイトはこちら 座・高円寺1 28日まで 12月より愛知県芸術劇場小ホール、岡山市立市民文化ホール、伊丹市AI HALLを巡演 燐光群の過去記事はこちら→(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11 そのほかえびす組劇場見聞録1,2
 沖縄のいま、日本のいまを見据えた坂手洋二の最新作である。坂手は公演チラシに井上ひさしの幻の次回作が、終戦直後の沖縄を舞台にした『木の上の軍隊』であることを引きながら、自分もまた沖縄の自然の力、神秘に魅了されてきたことを綴り、「機は熟した。これは、『書きたい劇』であると同時に、『書かなければならない劇』である」と本作への並々ならぬ意気込みを語っている。

 舞台は沖縄本島北部の高江地区、緑の山と川に囲まれた美しい村だ。しかしそこは米軍訓練基地と隣りあわせであり、設置されたヘリパッドのために爆音が絶えず、つねに墜落の危険にさらされている。さらに多くのヘリパッドの建設が始まろうとしており、村民は鉄骨のやぐらを作って抗議運動をはじめた。本土からも応援の人々がかけつけ、機動隊を迎えうつ(高江の活動については、悲戦を選ぶ演劇人の会ピースリーディング『私(わん)の村から戦争がはじまる』をご参照ください)。
 東京で看護師やヘルパーの仕事をしている佐和子(渡辺美佐子)には、長いあいだ音信不通の息子・星児がいる。星児はツイッターを駆使してさまざまな活動を支援しているらしいのだが・・・。

 たたみかけるように、あるいはぶつけるように次々と発せられる台詞には多くの情報が含まれており、社会問題に対する強い意識、知識がなければ即座に理解し、咀嚼することはできないだろう。沖縄の戦後史だけでなく、沖縄返還デモと裁判闘争、過激派の内部抗争、ベトナム戦争や東日本大震災と原発事故など、事件ひとつひとつは点であっても、連綿と続く人々の生活のなかでは決して済んだことにはならない、過去だと片づけられないことがわかる。
 重苦しい事実、やりきれない、絶望的かとさえ思われる現実であっても 観客に対して手かげんせずに問題をぶつける。いやほとんどからだをひっつかんで、「逃げるな、考えろ、行動せよ」と迫ってくるのだ。

 佐和子を演じる渡辺美佐子がすばらしい。しなやかであると同時に、骨太で力強い。燐光群の俳優たちとまったく違和感なくぶつかりあい、混じりあう。ともすれば社会思想のぶ厚い本や難解な講義、逃げ場のない議論のごとき坂手作品において、渡辺美佐子は舞台と客席をつなぐ水路であり、おじけづく足元を支えて手をとってくれる助け手である。これは同じく客演の円城寺あやの質実な存在、大西孝洋や猪熊恒和、川中健次郎、鴨川てんし・・・ひとりひとり名前をあげなくてはすまないほどだが、燐光群の俳優陣の誠実な姿勢あって、より光るものである。

 硬質で隙やゆるみがなく、いつも気迫が漲っているのが坂手洋二と燐光群の劇世界であると認識していたが、今回は抒情性、あふれるような詩情が心に残った。とくに終幕で、機動隊に抵抗して必死で鉄塔にしがみつきながら、佐和子と息子星児、かくまっていた男性(つまり夫?)の3人がふとことばをかわす場面である。天井が高く、横幅も奥行きもじゅうぶんにある劇場が活かされて、胸がつまるほど美しいシーンとなった。

 通常のカーテンコールのあと、拍手が鳴りやまない。どうしてももう一度、『星の息子』の人々に会いたくて自分も拍手を続けた。ややとまどい気味に舞台へ戻ってくる出演者の皆さんになお熱い拍手。そのあとも劇場を立ち去りがたく、少しのあいだ空っぽになった舞台をみつめていた。

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