*ラティガン祭り第2弾 鈴木裕美訳・演出 俳優座劇場
残念なことに前半猛烈な睡魔に襲われてしまったため、目が覚めた後半と観劇後購入した「せりふの時代」掲載の戯曲を読んだ上での感想になる。
登場人物はいずれも多弁で、自分の考えを明確に話す。それでもなお語られない部分があって、そこを考えることがラティガンをみる楽しみになってきた。
たとえばアンドルウ(浅野和之)がゲイであると匂わせてはいるが、明示はされない。
終幕近く、フランク(今井朋彦)がにわかにアンドルウへ親密さを示したのはなぜか?
そういうことなのだろうか。としたらフランクとアンドルウの妻ミリー(内田春菊)との愛人関係は何だったのか?
ミリーはこの作品でもっとも難役であると思う。内田春菊は健闘していたが、教師の妻にまったく見えないという点で残念。パンフレットのインタビューを読むと、役の捉え方は的確である。しかしそれを体現するのは難しいのだろうな。後半フランクに愛を確認する場面のしどろもどろの台詞など、原文はどうなっているのか知りたい。演じる女優によって、演出によって、いろいろな言い方になるだろう。若村麻由美なら。燐光群の宮島千栄なら。文学座の山崎美貴でもおもしろいのでは?
タイトルの『ブラウニング・バージョン』とは、ギリシャ悲劇『アガメムノン』をロバート・ブラウニングが翻訳した版の意味。劇中重要な役割を果たす。暗示的、象徴的なタイトルである。夫婦が憎しみあい、殺しあう流血の物語。アンドルウとミリーは血は流さないが、『アガメムノン』よりもっと悲しく寒々としている。