*小山祐士作 兒玉庸策演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 15日まで(1,2)
劇団民藝と劇作家小山祐士の交わりは長く深い。『泰山木の木の下で』、『瀬戸内海の子供ら』、『十二月-下宿屋四丁目ハウス-』、『二人だけの舞踏会』、『星の牧場』(脚色)を経て、まさに満を持して『冬の花』上演を迎えた。
自分は一昨年冬に『十二月』を観劇し、戦争の足音が次第に迫るなかで、あまり声高に語ろうとしない人々のすがたに感銘を受けた。対して戦後に書かれた『冬の花』は、サブタイトルに「ヒロシマのこころ」とあるとおり、広島に投下された原爆を色濃く反映した作品である。さらに登場する人々の人間関係が大変赤裸々で、とくに主人公の門田仙吉、公枝夫妻のやりとりは聞いていてはらはらさせられる。反戦を訴える方向性はもちろんあるが、舞台から強く発せられているのは戦争体験の苦悩を共有できないために互いの関係がぎくしゃくし、傷をいっそう深めてしまう痛々しい様相なのである。
第二幕に登場するベトナム戦傷孤児グエン・ドアンのことをぜひ書き記しておきたい。爆撃であごの骨や舌の根本まで失う重傷を負い、現地の手術では完治せず、日本でのさらなる治療と学問を求め、反戦を訴える日本の人々の支援で広島にやってきた。上演台本を読んだときは、ほかの人物にくらべて出番も台詞も極端に少ないうえに、その台詞は片言の日本語であることもあって、いささかとってつけたような印象をもったのである。
本公演でグエンは新人の平山晴加と山田志穂のダブルキャストが配されており、筆者の観劇日は山田志穂さんであった。支援者とともに門田夫妻の家にグエンがやってきたとき、公枝は少し距離をおいて彼女としばし見つめ合い、涙ぐむ。公枝はことばをうしなったかのようだが、やがて「大変でございましたね、ようくいらっしゃってくださいました」とグエンの手をとり、グエンは「アリガト、ゴザイマス」とお辞儀をする。
グエンが登場したとき、舞台の空気が一瞬にして柔らかで優しいものになり、まさに可憐な花が咲いたかのようであった。もしかすると題名の『冬の花』を象徴する存在とも思われる。戦争に青春を奪われ、深く傷ついた50代の人々の苦悩が描かれる物語前半は客席でみていてもなかなか辛いものがあり、それを背負った状態でのぞむ第二幕で、グエンのはにかんだ笑顔とそれまでの不安定で攻撃的な言動ではなく、まるで自分の娘であるかのように、いやもしかしたら20年前の戦争で傷ついた自分自身をみる思いだったのか、グエンをみつめる公枝の表情と、万感の思いのこもったみじかい言葉に胸をつかれた。
ベトナム戦争で傷ついたこの少女が『冬の花』において非常に大切で、ぜったい必要な存在であることが、この場面をみてはじめてわかった。上演台本を読んだだけではわからなかったことである。
『冬の花』が開幕してすぐ、大滝秀治さんの訃報を聞く。10月2日に亡くなり、葬儀は近親者で済ませたとのことだ。大滝さんの舞台を拝見したのはたしか90年代のおわり、『巨匠』の1作だけである。テレビドラマや映画、コマーシャルでしょっちゅうおみかけするせいだろう、「いつも身近にいてくれる、おもしろくて大好きな大滝さん」のイメージに甘えて、舞台に足を運ぶことをなまけていた。不勉強を悔やむ。