因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ぱぷりか第5回公演 『柔らかく揺れる』

2021-11-10 | 舞台
*福名理穂作・演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 15日まで 
 広島県出身の福名理穂が2014年に旗揚げした劇団ぱぷりかは今夜が初見である。川の近くに住む小川家の家族とその周辺の人々の物語は全編広島ことばで綴られる。昨年春、コロナ禍による中止から1年半を経てのお披露目だ。

 舞台下手に椅子やごく小さなカウンターがあり、中央のやや奥まった位置に、いかにも地方の古いうちにありそうな大きくどっしりとした座卓が置かれている。手前は庭なのだろうか、そこから川が見えるようである。

 一家の父親の死の前後が描かれているのだが、当人は最後まで登場しない。登場しないにもかかわらず、生きている人々に不気味なまでの影響を与えていたり、死んでなお、その存在が重苦しく炙り出されてくるというドラマは少なくない。本作も物語の軸のひとつであることは確かだが、自分には父の様相がほとんど想像できず、むしろその存在の見えにくいところが特質であるかと思われた。

 大議論や大喧嘩にはならないものの、日々小さな衝突や亀裂を繰り返し、誰もが相当に不愉快な思いをしたり、傷ついたりを繰り返す。しかも解決の方向に向かう兆しがはっきり感じ取れない微妙な空気感があって、家族の温かさやありがたさではなく、家族であるゆえの絶望的な無力感や不信、嫌悪までもが容赦なく描かれている。音響や照明効果も控えめで、まことに地味な舞台であるのに、気がつけば心身覚醒して引き込まれてしまう。

 物語の詳細は極力控えて、登場人物について記してみると、母幸子(菊地奈緒)は非常に恐ろしいことや嫌なことをあっさり口にして相手を(とくに樹子)傷つける。長男良太(用松亮)はアルコール依存症気味、長女樹子(堀夏子)は母はじめ、家族との折り合いが非常に悪い。次女弓子(ししどともこ)はパチンコ依存症である。事情があって小川家に同居している従姉妹のノゾミ(廣川真菜美)の暮しぶりも良いとは言えない。その娘の(関彩葉)は当面この環境で生きるしかなく、家を出たとしても、こうした人々の血を引いていることはどうしようもない。関わる人々も同様で、樹子の恋人の愛(桂川明日哥)、良太と妻の志保(岩永彩)が不妊治療に通う病院の医師の真澄(深澤しほ)も、それぞれ心に厄介なものを抱えている。近所に住む農協の青年信雄(矢野昌幸)は飛び抜けて明るいが、終幕でぞっとするような台詞を発し、もしかすると最も闇の深い人物ではないかと思わせる。

 弓子がパチンコを止められないのはもはや病気であるが、樹子が家族や友人との気の進まない付き合いを金によって回避するところや、それに対して恋人の愛が感じるわだかまりなど、言葉にしづらい感覚を詳らかにするのではなく、「わかりづらい、伝えにくい」ところを示している。「あるある感」ほどではないが、「何となくこういうことではないか」といった手応えがあり、曖昧ではあるのだが、それだけに妙な現実味があって、演出を兼ねた劇作家の力量とともに、それに誠実に応える俳優陣の作り過ぎない自然な造形も印象に残った。

 物語の時空間の交錯に混乱したり、数人の人物が前半と後半で同一人物と認識しづらかったり、物語の落としどころが今一つしっくり来ないところもある。しかし前述のように、日常会話の微妙な空気感が醸し出される様相は空恐ろしいほどで、これを映像ではなく、舞台として作り出したのは大変なことではないだろうか。劇団ぱぷりかが、これからさまざまな出会いを重ねてどんな作品を生み出してゆくのか。楽しみでもあり、同時に恐ろしくもあるのは、自分の心の奥底にあるものを引っ張り出される感覚があるためかもしれない。
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