西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

湯川利和先生を偲ぶ会に参加、スピーチ

2010-11-15 | 奈良・精華町の思い出(教授時代)関連続き
昨日、ランチタイム時に奈良の春日野荘で行われた湯川利和先生(奈良女子大学、私の7年先輩、存命なら76歳)の「13回忌」に際しての「偲ぶ会」に参加し、求めに応じてスピーチをした。

出かける前に、湯川利和さんが現代にどの程度影響を与えているかをみるため、google検索をしてみた。2400ほどの項目とヒットしたが、そのトップは次の『マイカー亡国論』に関するものだった。http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-02-11

で、これをネタにスピーチすることに決めた。

「偲ぶ会」は12時頃から2階の畝傍の間で始まった。30人ほどの参加、奈良女子大の湯川ゼミ出身者20名、湯川さんの大学学生時代(京大・西山卯三研究室)の同輩、後輩、その他友人が10名ほどだった。

湯川ゼミ卒業生の田中智子さん(兵庫県立大学)が司会、奈良女子大で湯川さんの後継者・瀬渡章子さんから「毎年この時期になると思いだす」との思い出と挨拶の後、湯川ゼミ創設初期に教務補佐勤め、都合で参加できなかった新田米子さんからのメッセージが読む上げられた。

湯川さんと京大で同期の住田昌二さん(大阪市大名誉教授)が乾杯(というか献杯)のスピーチ、「若くして(63歳で)亡くなったのは残念、強い煙草、強い酒、肉食グルメ等が食道にダメージを与えたのではないか・・・、もう少し生きて学問体系を大成して欲しかった。」と述べられ、最後にNHKラジオ「深夜便」で聞かれた「般若心経」(現代語訳、誰訳かな?)を唱えられたのにはビックリした。感銘も受けた。住田さんからこういうの聞くのは初めてだ。

ビール、日本酒を飲みつつコースランチを食べ、歓談した。

その後、スピーチに移り、私からスタートした。(以下、思い出し増補修正版)

「私は湯川先生の7年後輩になります。奈良女子大では1年早く赴任し、湯川先生と23年間同僚として働いた立場と、1989年に設立された新建築家技術者集団・奈良支部の初代代表幹事の湯川さんを引き継いで2代目を務めている立場から一言申し上げます。

良く虎は死して皮を残し人は死して名を残す、と言われます。まあ名を残すというのは何ですが、思想や理論がどの程度後世に残り有効に働いているかは重要と思います。そこで今朝、出がけに湯川さんが現代にどの程度影響を与えているか、グーグルで検索してみました。

2400ほどのうちトップに出てくるのはこれです。http://urban-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-02-11
2番目に瀬渡章子さんが書かれたものが出てきます。

これをみると湯川さんが34歳の1968年に書かれた『マイカー亡国論』(三一書房刊)がいまだに新鮮な知的衝撃を比較的若い人にも与えていることが分かります。先だっての新建築家技術者集団のシンポジウムでも西山先生の諸著作と並んで湯川さんの『マイカー亡国論』が引かれていました。湯川さんが亡くなって13年経っていますが、いまだに思想、理論が「生きている」ことになります。

『マイカー亡国論』が出た時、私は大学院を出て豊田高専助手をしていて週に一日、湯川さんと大学院同期の名古屋工大・服部千之さん(現・故人)のゼミに出ていて、服部さんから「読んでみたら・・・」と勧められたものです。読み終わったら世の中の風景が違ってみえた記憶があります。

私が院生の時、博士課程に今日もお見えの広原盛明さんがおられ修士の同期に延藤安弘君、梶浦恒男君がいたのですが、私を含めこれらの方達や後輩でも未だに自動車もライセンスも持っていないのは、この本の影響だったと思っています。

折しも今年は平城京遷都1300年、湯川さんの亡くなられてからの13年はこの百分の一ですよね。1300年前の日本が現在の日本に影響を与えているように、湯川さんは今後130年、1300年と影響を与えることでしょう。私は、こういうのを「歴史とのつながり」と言っています。

是非、今日お集まりの特に若い人に言いたいのですが、まあ最近コンパクトシティ、歩いて暮せるまちづくりなどと言われている方向は、湯川さんの主張していたマイカー交通システムを克服する方向です。是非受け継いでいってほしい、ということを訴えて私の話を終わります。」

私の後、片寄俊秀さん(湯川さん京大後輩、長崎総合科学大同僚)、三村浩史さん(湯川さん京大同期、京大名誉教授)、川本雅樹さん(新建築家技術者集団奈良支部)がスピーチをされた。三村さんから頂いた、西山先生、絹谷先生の写っている写真、湯川さん同期の三村さん、住田さん、服部さんの他に井上良蔵さんも写っている写真、西山先生が描かれた「湯川君」のスケッチのコピーは歴史的なものだ。

卒業生スピーチは、1977年卒の金沢美智子さん(湯川ゼミ1回生)、1990年卒の浅尾真奈美さんそして湯川ゼミ最後の卒業生1998年卒の三好祥子さんだった。皆、湯川さんの教えを受け社会で立派に活躍している。

私は、夕方に別用があって、奥さんの湯川聡子さんに挨拶して会場をあとにした。もう一度『マイカー亡国論』を現在の文脈の中で読んでみようと思った。今度は、どういう風景が感じられるだろうか。

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