西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

住むから棲むへ-熊森保全と農民、都市住民-

2008-05-12 | 地域居住学
熊森協会の森山まり子さんの話の二日目を「うつらうつら」聞いた。今日は、奥山を昔の実のなる広葉樹林に替えれば熊は奥山に帰っていく、という熊本位の話ではなく、そういう奥山があることが、実は人間にも多大の恩恵を与えており、昔の人はそのことを知っていたが、社会の(或いは行政の)「開発」「金になる植林」政策で、その知恵や声は押しつぶされてきた、という話かな、と思った。

熊森協会が、奥山保全をそのものとして実行する(トラストをつくって買い取っている森もあるようだ)という実践と共に、熊に「被害」を受けている農民、熊とほとんど「無関係」と思われる都市住民とも対話を続けている話は興味深かった。

農産物を食い荒らされている農村に出向いて「熊森協会です」と名乗ると、「我々は熊に大被害を蒙っているんだ、帰ってくれ!」と先ず言われると言う。そこを粘り強く、「お話を聞かせてください」と粘るようだ。そして、奥山が昔に返るのが一番いいが、すぐに無理な場合、熊と人間が共存できる方法(例えば、団栗の実がなるころ、それらを協力して集めて熊の出そうなところに置く事で、村まで出てこなくする等々)を考え共同で実践しているようだ。この前提は、村人の話を徹底的に聞くということらしい。ここに「生態学」と「民俗学」の融合が見られるのではないか。

(私が加入している「国土研」では、現地主義、住民主義、総合主義の原則で調査しているが、熊森協会はその線に沿いつつ実際それを「越えている」、つまり「住民主義というより現地生物主義」だからである。住民というと人間のみだが、現地生物というと、現地の動植物全体であり、それを全体として考えるということだ)

大阪市という大都市市民との対話では、大阪市民は、最初、「市内には殆ど森のようなものはありません。まして熊などいませんから、無関係です」というようだ。そこで森山さんは「皆さんの水道水は何処から来ていますか?」と問う。「淀川から」「淀川は何処からきていますか?」「琵琶湖から」「琵琶湖の水が常に満々としているのはどうしてですか?」ここで、ようやく市民の考えが琵琶湖の周りの山、森に至る。そこで、森山さんは山や森のあり方、現実を話していくと、納得して貰えるようである。これは正に水を通じる「都市と農村、山・森との結合」である。

(こういう例は、鮭が間違えずに母川に戻れるのは、山の森の下草をしみて川に出てくる水には特有の「におい」がついていて、それを海の鮭が感知するのでは、とのことだ。そうであれば、山の森を大きく変えては鮭が戻れなくなる。)

人工林(杉、檜)は、薄暗く下草もたまらない、水の保水力も弱い。それに対して広葉樹林は、明るく空間があって木の実も多く、下草も深く厚く堆積し保水力は大きい。そのモデルが原生林である。兵庫には、もう原生林はなく近くでは岡山県と言う。(京都には芦生にある原生林は京大演習林、奈良には春日山原生林などがある)

昔の人は、奥山の原生林などには余り近寄らず、保存されていたが、「植林政策」で全国で、多くは杉、檜になった。(私は「やりスギ」「スギたるは及ばざるが如し」と言っている。)

森山さんは、自然の摂理を知れば知るほど人間は「小さくなる」と言っている。人間は「自然に生かされている」とも言っている。

で、我々、住居学、地域居住学からみて、こういう多様な生物との共生(共棲)は、どのように考えたら良いのか。今まで、庭木のことなど一部植物の話はあるが、動物の話では、犬猫等ペットの空間等の話はあるが、他はどうだろうか。蚤、虱、ダニ、蝿、蚊、ゴキブリ、白蟻、ムカデ、ねずみ等は昔の『住居衛生学』のテキストでは駆除対象であったろう。蛇、蜘蛛、ヤモリ、イモリ、ツバメ、雀等々の小動物はどうなのだろうか。駆除、共生(共棲)等の考察は再度しなければ、と思う。最近のテキストでは、そういう考察、記述は大変少ない、と思う。

住という字では、やはり「人が主人公」なのだ。今や「住むから棲む」「共棲」(まとめれば、やはり共生かな。棲は動物同士の用語、だって同棲って言うでしょう!)へ、動植物との「つながり」を大切にする住居、地域居住に転換しなければ、と考え出している。

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