昨日、金沢で「女川」と言われる浅野川が氾濫したというニュースがあった。浅野川大橋付近の主計町(かずえまち)(重要伝統的建造物群保存地区)付近で、浅野川左岸であり、対岸のやや上流部分には例の「東の廓」がある。早く復旧して欲しい。
私が住んでいた地域は、もう一つの川、「男川」と言われる犀川流域である。ただ寺町台なので仮に犀川が氾濫しても洪水に襲われる心配はほぼないといえよう。
ただ、子供の頃に、大雨の後、寺町台から見下ろして対岸(右岸)が決壊して氾濫したのを目撃した記憶があるのだが、あれは何時だったのだろうか。記録では1961年(昭和36年)9月の第二室戸台風の時、犀川大橋やや上流右岸で氾濫とあるが、私が目撃したのは、もっと上流の桜橋と下菊橋の間だったと思う。
一度、調べてみたい。
(写真は、主計町茶屋街ー重伝建地区ー)
私が住んでいた地域は、もう一つの川、「男川」と言われる犀川流域である。ただ寺町台なので仮に犀川が氾濫しても洪水に襲われる心配はほぼないといえよう。
ただ、子供の頃に、大雨の後、寺町台から見下ろして対岸(右岸)が決壊して氾濫したのを目撃した記憶があるのだが、あれは何時だったのだろうか。記録では1961年(昭和36年)9月の第二室戸台風の時、犀川大橋やや上流右岸で氾濫とあるが、私が目撃したのは、もっと上流の桜橋と下菊橋の間だったと思う。
一度、調べてみたい。
(写真は、主計町茶屋街ー重伝建地区ー)
寺町の方は、もちろん影響なかった模様です。
昭和36年の犀川氾濫ははっきりと覚えています。このとき、桜橋が流されたとおもいます。
「台風のつめあと」という題で、爪あとの意味もわからず、桜橋の橋げたが崩落したところをクレヨンで書きました。
その時、氾濫して水がついたのは、池田町立丁のあたりだとおもいます。
天候が回復した後、床下浸水に遭った我が家のヘドロの除去作業を手伝ったことを覚えています。
金沢ゆかりの人たちに直ぐレスされると嬉しいものですね。