いよいよパリの最後の報告で、パリの住宅であるアパルトマン等の生活空間について観察したことを、一部聞いたことを交えて報告しておきたい。前から疑問に思っていたことが一部解消した感じである。パリ20区に210万人住んでいるが、戸建てに住んでいる人は一人もいない。皆、集合住宅のアパルトマンに住んでいる。半分冗談に「パリでの住まいの理想はコンコルド広場に面して戸建て住宅に住むことだ」というのがあるようだ。昔、フランスに行っておられた今は亡き足達富士夫先生も何かに引用しておられた。まあ言ってみれば宮殿の王様は「戸建て」に住んでいることになったかもしれないが・・。パリ中心部例えばオペラ大通りに面するアパルトマンは7、8階建てと言えよう。7ないし8階が屋根裏部屋になっている。それで昔、私は「ロンドンの住宅の価値は近所に並木や公園があるかないか、で決まり、パリの住宅の価値は天井高で決まる」と言ったまでは良かったが、きちんと観察せずに、「パリでは1階の天井高が一番高く上に行くほど低くなる」と書いたことがある。これは訂正しなければならない。今回の観察と聞き取りで1階の天井高が一番高いのはほぼ間違いないが、2階は一旦低くなって又3階が高くなり、4階も同じくらいのこともある。そして5階以降は低くなるのは間違いないと思う。これはどうしてなのであろうか。パリの人達は昔からこういう環境に住んでいるので常識的で当り前なことも我々にとっては不思議な訳だ。これを解くヒントは、長年パリに住んで観光案内人をやっておられる婦人の口から出てきた。フォンテンブロウの帰り道、パリの町中に入ってきた時「アパルトマンの3階のヴェランダの手すりが特に立派なのはどうしてか分かりますか」と言われた。そう言われて良く見ると、確かに3階のヴェランダの手すりは立派で他の階が鉄製でも3階だけ石製のアパルトマンもあった。同じ鉄製でも3階が立派だった。答えもその婦人から聞いた。この話は、馬車時代に遡る。中心部のアパルトマンは殆ど150年近い歴史を持ち馬車時代の建築だ。それでよく観察すると、1階に馬車で中庭に入るための背の高いドアがあり、そこから馬車が中庭に入ってから下りて階段を上がって上階に行く。その馬車の馬の臭いが中庭にこもって特に2階に立ち上がる。3階になると和らぐため、上がりやすさのとの兼ね合いで3階が一番良い階となった、と言われた。そのこと以外のことを考えても、そういうことは言える。つまり1階で商売をする場合が多いので2階は比較的うるさい、町の雑踏からもそう言える。そう言われて再度良く見ると、手すりは3階にあって4階にない場合も多い。これは推測すると、3,4階は比較的裕福層のメゾネット(両階を使う住宅)になっていたのではないか、ということだが確かめてはいない。オペラ大通りのアパルトマンの写真を上げておくので見てほしい。
次に現在は自動車時代だから、馬車時代の町づくりでは、駐車は大変だということになる。事実、路上駐車はオーケーだ。オスマンさんなどが馬車時代に比較的広い道をつくっておいたお陰で片隅に自動車を止めてもなお自動車が走れるのだ。もちろん、この駐車は有料だ。ところで、その駐車形態だが縦にほとんど隙間なくずらりと駐車しているのだ。これでは、どうして駐車したり発車したり出来るのだろうか。これも聞いて「なあるほど」と目からうろこである。つまり発車の時、エンジンかけて前後の車のバンパーを押して隙間を作っても良いことになっている、と言う。ためにバンパーがあるんだよ、と言うわけだ。まあ新車で1週間バンパーに傷がつかなければ、ゴルフのホール・イン・ワンの時のように親戚、友人で祝杯をあげるのだと言う。フランス人は日本人が自動車を洗ったり磨いたりすることを「あんな道具を何故そんなに大事にするか分からない」と言っているそうだ。それからバンパーを観察すると確かに傷ついたものが多い。それでも走れれば無頓着のようだ。
日常の買い物はどこでするのか。表通りにカフェやパン屋はあるにはあるが肉、魚、野菜、果物等はどこで買うのか。一つは、レアールのような最近の大きな商店街で買うが、伝統的なパッサージュで買うというのもあるのではなかろうか。しかし、これは宿題にしておく。
これらの写真はmixiのフォトアルバムにアップします。
次に現在は自動車時代だから、馬車時代の町づくりでは、駐車は大変だということになる。事実、路上駐車はオーケーだ。オスマンさんなどが馬車時代に比較的広い道をつくっておいたお陰で片隅に自動車を止めてもなお自動車が走れるのだ。もちろん、この駐車は有料だ。ところで、その駐車形態だが縦にほとんど隙間なくずらりと駐車しているのだ。これでは、どうして駐車したり発車したり出来るのだろうか。これも聞いて「なあるほど」と目からうろこである。つまり発車の時、エンジンかけて前後の車のバンパーを押して隙間を作っても良いことになっている、と言う。ためにバンパーがあるんだよ、と言うわけだ。まあ新車で1週間バンパーに傷がつかなければ、ゴルフのホール・イン・ワンの時のように親戚、友人で祝杯をあげるのだと言う。フランス人は日本人が自動車を洗ったり磨いたりすることを「あんな道具を何故そんなに大事にするか分からない」と言っているそうだ。それからバンパーを観察すると確かに傷ついたものが多い。それでも走れれば無頓着のようだ。
日常の買い物はどこでするのか。表通りにカフェやパン屋はあるにはあるが肉、魚、野菜、果物等はどこで買うのか。一つは、レアールのような最近の大きな商店街で買うが、伝統的なパッサージュで買うというのもあるのではなかろうか。しかし、これは宿題にしておく。
これらの写真はmixiのフォトアルバムにアップします。
お招きありがとうございました。
パリ市内にはきちんと市場もスーパーもちゃんとありますよ。
ただ日本のようにわかりやすくは存在していないかもしれません。
また市場は定期的に開かれるものやそうでないものもあります。
またパリ20区の中には一軒家は存在しないということかかれていましたが、
16区などのほうに行くと庭付き一戸建てみたいなものが存在しています。
パリのアパルトマンに関する考察はたぶん言われているとおりじゃないでしょうか?
すべての地区においてそれが当てはまるかはわかりませんが。
それが元になってオスマン建築の規制がきまったことは
あると思いますよ。
駐車に関していえば
バンパーは金属ではなくてプラスチックやゴムのような
素材の場合がおおいですね。観察してる限りだと。
市場がぱっと見当たらなかったですね。16区に戸建てがあるとのこと、次回は確認の要がありますね。では又遊びに来てください。ぶろぐ本体は、http://blog.goo.ne.jp/in0626/
です。
福山大学の安達ゼミにいたYと言います。
今は独立し、細々と建築(内装ですが)の
仕事をしております。
最近改めて、勉強しなおしてみようと思い
安達先生の事を探していましたらこちらの
ブログを見つけました。
それで、思い切って投稿しようと思いました。