昨日参加した「木村(春彦)先生の足跡と国土研」の会でも盛んに言及されていた「国土研の三原則」も木村先生が中心になってまとめられ打ち出されたと思う。それは、国土研究の目的、方法、に関するものだ。(1)住民主義・・地域住民のために調査研究する。(2)現地主義・・現地に行って状況をきちんと調べる。住民の意見もきちんと聞く。(3)総合主義・・偏った狭い専門的判断をするのではなく、国土研に結集している、あるいは外部の力も借りて総合的に判断する。というもので、私の調査研究の指針ともなっている。私は、これは「国土研」での方法に限らず、より普遍性のある方法と考えている。
で、現地主義について、木村先生自身、次のように述べている。「現地調査にはできるだけ(予算や時間が許すかぎり)、多専門、多人数、多数回行くのを原則とする。そして討論と総括は必ずその日に行い、必ず全員が自分の専門以外のことにも発言し、意見を述べる。そのことによって問題意識は高まり、総合性が前進する。」(「近畿の国土問題」No.9 1971.12)
これについて宇民 正さん(和歌山大学)は「木村先生は、現地調査は楽しい、と言われていたが、自分もそう思う」と言っておられた。私自身も30歳台に「国土研」から伊勢河崎に行ったり、三重県青山町に行ったが、確かに異分野の人たちとの共同調査、共同討論は楽しかったと思う。
次に、総合主義について、木村先生は「専門が原因を決定する」を防ぐのが総合主義がの重要な側面と言う。「専門が原因を決定する」例として「開発地の山腹崩壊」をあげている。「崩壊の原因について、気象学者は大雨が、地理学者は急峻な地形が、地質学者は弱い地質が、土木技術者は不完全な治山工事が、生態学者は貧弱な林相が、法律家は法的規制の不備が、財政学者は防災投資の不十分さが原因であるという。多くの専門家の総合討論は上記のように「専門が原因を決定する」のを防ぎ、真の原因が多くの現象の関連において発現することを客観的に明らかにすることができる。このような総合主義はまた、災害の不可抗力論を排除して、災害対策に具体的展望を与えるためにも重要である。」(「国土問題」No.15 1976.10)
これについて、専門性の深化との車の両輪で追求すべし、との意見があった。
今後とも木村先生の遺志を引き継ぐためにも「三原則」は深めていかねばなるまい。
で、現地主義について、木村先生自身、次のように述べている。「現地調査にはできるだけ(予算や時間が許すかぎり)、多専門、多人数、多数回行くのを原則とする。そして討論と総括は必ずその日に行い、必ず全員が自分の専門以外のことにも発言し、意見を述べる。そのことによって問題意識は高まり、総合性が前進する。」(「近畿の国土問題」No.9 1971.12)
これについて宇民 正さん(和歌山大学)は「木村先生は、現地調査は楽しい、と言われていたが、自分もそう思う」と言っておられた。私自身も30歳台に「国土研」から伊勢河崎に行ったり、三重県青山町に行ったが、確かに異分野の人たちとの共同調査、共同討論は楽しかったと思う。
次に、総合主義について、木村先生は「専門が原因を決定する」を防ぐのが総合主義がの重要な側面と言う。「専門が原因を決定する」例として「開発地の山腹崩壊」をあげている。「崩壊の原因について、気象学者は大雨が、地理学者は急峻な地形が、地質学者は弱い地質が、土木技術者は不完全な治山工事が、生態学者は貧弱な林相が、法律家は法的規制の不備が、財政学者は防災投資の不十分さが原因であるという。多くの専門家の総合討論は上記のように「専門が原因を決定する」のを防ぎ、真の原因が多くの現象の関連において発現することを客観的に明らかにすることができる。このような総合主義はまた、災害の不可抗力論を排除して、災害対策に具体的展望を与えるためにも重要である。」(「国土問題」No.15 1976.10)
これについて、専門性の深化との車の両輪で追求すべし、との意見があった。
今後とも木村先生の遺志を引き継ぐためにも「三原則」は深めていかねばなるまい。
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