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いかりや爆氏の毒独日記

最近の世相、政治経済について「あれっ?と思うこと」を庶民の目線から述べていきたい。

世も末? ああ、そういうことだったのか・・・

2013-10-03 21:49:46 | 日記

明け烏

ああ、そういうことだったか 、
 一部の勢力が、どうして懸命になって原発を再稼動しようとするのか合点がいかなかった。

「とある原発の溶融貫通」というブログを時々、拝見させていただいているが、その中に「英米の余剰プルトニウムを日本に買い取らせて原発のMOX燃料としてつかわせるため」という記述があり閃くところがあった。これならば中部電力や関西電力まで再稼動をせっつかれる意味がやっと納得がゆく。

こういう大きな圧力があったからこそ野田佳彦は一夜にして態度を変え、官邸周辺のデモに耳を塞いだのだろう。

いかりや:

野田は国民の声を聞く耳をもたない。あるのは、自己都合による平気でウソが言える才能があるだけ、これがマツシタ整形塾で学んだものでもある、マエハラもおなじ。

明け烏:

またこういうデモを妨害するために「右翼」が出向いたのも当然である。カネの出所があるからである。

毎度々々、同じ繰言で申し訳ないが、英米によるプルトニウム買取要求を拒絶することが出来た(相当難しかったとは思うが)のは小沢一郎ただ一人であったと思われる。少なくとも小沢一郎は日米年次改革要望書をはっきりと拒んだ実績がある。

今の状態でプルサーマルが再稼動してMOX燃料が使用されるのならば、事故が起きるか否かにかかわらず、おしまいであろう。

木綿:

諸悪の根源、

日本の総理が誰だろうが、日本の与党がどこの政党だろうが、
「アンタッチャブルかつ天壌無窮かと思われる政策」というものが我が国には厳然と存在している。

それを推進してるのは日本国憲法の理念ではない。

憲法など破れ店みたいにボロボロ。風前の灯だ。

我が国の真の不磨の大典は、今や日米安保条約を筆頭にした、日米地位協定、思い遣り予算、原子力協定など一連のさる外国との協定・覚書にある。

これらの協定・覚書によって着々と推進される政策は、日本国民の総意に基いて自然発生的に生まれてきたものではないことだけは明らか。では誰が?何のために?

問うも愚かだが、その問いすらもたない人が、たくさんいらっしゃるこの国。

つくづく思うに、この国の政治的カウンター勢力が、中国やソ連の支援を受けていたのは何とも惜しかった。

純粋なナショナリスト「日本国民の生活が第一」の考えを持つ人はこの国に二百万人ぐらいしかいないようだ。悠久の歴史を持つこの日本国の世も末なのだろう

いかりや:

>悠久の歴史を持つこの日本国の世も末なのだろう。

うーん、そのときは世界も終わりとちゃいますやろか。

グローバリゼーション、
人類は約16万年前に、アフリカの大地で誕生して世界中至るところに広まった。今や、世界のどこにいても、瞬時にコミュニケーションがとれる時代になった。

人類は行き着くところまで、行き着いたような気がする。

それでも尚、グローバリゼーションと称して、国境の壁も言葉の壁もなくそうとしている。だがそれでも尚、互いに争いや戦争を繰り返している。

戦う武器も、「核兵器」は言うまでもなく、最近は無人飛行機、殺人ロボット兵器まで一般的になりつつある。

原発は、環境破壊の最たるもの、人類は核のゴミ処理する手段も手にしていないし、将来も手にすることはできないだろう。核の利用は禁断の果実、いずれ地球全体も放射能で汚染されることだろう。

一方日本では、結婚しない若者が急速に増えている。女性も経済的自立派が増えている。わずらわしい結婚生活をしなくてもいーやとなって、結婚する必要もない。

も♂性を失いつつあるのかも、

生身の女性よりもバーチャル(yutubeでみるアダルトビデオなど)のほうが、エロ(欲情)を感ずる。どうしても生身を欲するときは、デリバリサービスもあれば、適宜に処理するところもある。

やっぱ、人間は行き着くところまで行き着いたような気がする、世も末?

通りがけ:

「今日の日本を建設してきた知恵と技術を結集すれば

大都市の産業が主人公の社会でなく

人間と太陽と緑が主人公となる

日本中の家庭に団欒の笑い声が溢れ

 年寄りが安らぎの余生を送り

 青年の目に希望の光を

 輝く社会をつくり上げたいと思う」

いかりや

そうあって欲しいですね、切にそう願う。



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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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「皆さん自家用車のガソリンを常に満タンにしておきましょう 」 (通りがけ)
2013-10-04 13:26:17
アメリカとそのスパイ日本政府が行き詰まっているのは明らかです。こうなると奴らの常套手段はバカの一つ覚えしかありません。ショックドクトリンです。
RK氏も10月テロを警鐘しています。福一4号機の倒壊も秒読み段階の様相です。
ユダ金はおそらく311と同じ放射能テロを目論んでいるのでしょう。311を教訓にして命てんでんこで自衛することが最も大切なことです。ショックドクトリンが行われたときには自家用車で戒厳令区域を突破して安全な関西方面へ一斉に自力脱出してください。くれぐれも常在戦場で怠りなく備えられますよう。
参考:検事ひからびんの日記さま「てっぱんの上でつながる人たちとそのまわりにある無縁社会」へのコメント
http://blog.goo.ne.jp/hikarabin/e/36f6df9045e8722140619cbc79ba1c7d
全国から集まった10代を中心としたハンガーストライキさま「3月21日(月)のつぶやき」へのコメント
http://blog.goo.ne.jp/newgenerations/e/c3220d3f3b79c708e3c9b10f23e62252#comment-list
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小野俊一著「フクシマの真実と内部被曝」(1) (明け烏)
2013-10-07 19:00:17
「放射能と放射線は全く異なる概念です。」
「外部被曝は、主に大気や地面などに存在する放射性物質から受ける体外からの被曝です。内部被曝は放射性物質に汚染された水や食品の摂取、吸収により体内に取り込まれた放射性物質による体内からの被曝です。」

小野氏が講演などで繰り返し、繰り返し強調し訴えてきたのは、「放射線と放射能のちがい」「外部被曝と内部被曝の違い」なかんずく「内部被曝のおそろしさ」であると思う。ところがこれが、なかなか私を含む一般人には理解しづらかった。
「理解」とは頭の中に具体的な像が結ばれることをいうそうだが、もやもやとしたまま初動期の貴重な時間を空費してしまい、そうこうするうちにミスリードを目的としたイカサマ言説が、あっという間に世を蓋って、「棄民政策」が既成事実化されてしまった観がある。何となく危険だなと思いつつ部屋の中の変な臭いに慣れてしまったのだ。

「燃えさかる石炭で暖をとるのが、外部被曝。その赤い石炭を飲み込むのが内部被曝と考えてよいでしょう。・・・石炭を飲めば口の中から何から何までやけどしてしまって、恐ろしい障害をもたらすでしょう。」
 
個人的には、ここまで書いてもらって、ようやく、おぼろげに把握した程度で完全な理解にはまだまだ距離があった。
そして困ったことに自らが完全に理解していないと、すなわち本質の明確なイメージを脳裏に確立していないと、他人に説明することは不可能であるし、また御用学者や御用評論家のデマゴーグ、訳知り顔のコメントに反論できないもので、こうなると、やがて面倒になって思考を投げてしまうのが私程度の人間の常である。自分の頭でしっかり考えるというのは、かなり、くたびれる作業なのである。
 私が八〇%のイメージを掴んだのは、フクシマ原発事故からおよそ二年、小野氏の著作のみならず氏の講演会でYou Tubeにアップされている中から数個を選び出し、それを何回か繰り返し視てからのことであって、特に講演会で映された「福島の現状」と題するイラストのフリップ(地面に近い赤い点の密なところに幼児と子犬がしゃがみ、その頭上、赤い点が、疎(まばら)なところに防護服と前面マスクを着用した大人が線量計を持ってオーケーサインを出している図)によって、ふと頭の中の回路が繋がったような気がした。ようやっとの思いである。
ここまで鈍いと、巡(めぐ)りの悪い頭に生んだ両親を恨みたい気持ちにもなるが、怠惰な本人の性格も大きいのだから、これはこれで仕方がない。しかし各自が自分なりのイメージを持てるまで考えて、それを表現できるように努力することは、周囲の人間を説得してゆくうえで極めて重要であろうと思う。もうこれしか手が残っていないのだ。
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小野俊一著「フクシマの真実と内部被曝」(2) (明け烏)
2013-10-07 21:21:41
さて予防線を張ったうえで以下、私なりの拙(つたな)い理解を文字にして表してみるが、あくまで私の抱いた勝手なイメージであるから用語の厳密さを欠くのみならず誤謬もあろうことは、ご容赦願いたい。
 まずは外部被曝すなわち放射線(シーベルト)であるが、これは大きなサーチライトの前に人間が立ったときに受ける光の強さや熱量のことだと理解している。たしかに巨大なサーチライトから数十センチのところに立って、もろに光線を浴びれば大火傷を負って死亡するなり失明してしまうこともあるだろう(急性被曝の概念)。 
しかし、ある程度、サーチライトから距離を置けば多少、眩しくて、皮膚が熱いと感じたとしても、光の当たる所から横に離れてしまうか、サーチライトの電源を切ってしまえば「おお、眩しくて熱かった」で済んでしまう。照射される時間が短ければ失明したり、大火傷を負うようなことはまずない。医療用のX線やCTスキャンもほぼ同様にイメージすればよいものと思う。一般の光線との違いは、低い線量であっても累積して一定の水準に達すれば身体に障害をもたらすところだろうか。もっとも日焼けサロンの日焼けマシンであっても短い期間で何回も限度を超えて浴びれば相当危険なことは分かる。
一方、放射能(放射性物質)は光を放っていたサーチライトの前面ガラスやサーチライト本体が大きな衝撃を受けて(例えば砲弾が命中したとか)完全に破壊されたため、中に入っていたフィラメントが白熱したまま粉々になって飛び出し、あるいは空中に舞い散り、あるいは地表に積もっているイメージである。実際のものとは異なり長い時間が経っても、白熱し続けるところが恐ろしい。
このような白熱したままの粉末を鼻から吸い込んだり、食物に付着したものを摂取してしまったら大変なことになる。いくら一粒々々が微細とはいえ、白熱している金属粉である。やがて食道や肺、あるいは胃袋が焼けただれてしまうのは容易に想像がつく。こちらが内部被曝である。単位はベクレル。単位量(㎡あるいは㎏)あたりに存在する放射能粉末の個数だと私は把えている。
 ここで問題を分かりにくくしているのはベクレルを計測するのに大変な手間が掛かるのか短時間では無理なのか、簡便法としてベクレルをシーベルトに換算して測るのが一般的(?)に定着しているらしいことである。
イメージとしては地表に降り積もった白熱金属粉の光具合を地上一メートルほどのところで計測し、その数値によって地面の金属粉の個数なり存在密度なりを推定するという手法なのだろう。
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木綿の内部被曝理解 (木綿)
2013-10-08 08:35:36
明け烏さんの理解、拝読。教授の書いた難解な本(責はたいてい教授側にある)を学生同士が話し合いながら理解を深めていく、まるでキャンパスの秋のよう。

 私の内部被曝の理解とはこういうものです。

 1ベクレルというのは一秒間に人間の体内細胞を一個、損傷を与えるという単位。ということは一分間で60細胞、一時間で3600細胞、一日で86400細胞。一ヶ月で約260万、一年で約3000万細胞をひどいめにあわせると。国の100ベクレルというのは、この百倍だから、つまり「30億細胞ぐらい年間でいためつけるのは勘弁してね、国民のみなさま。」というメッセージなんでしょう。

まぁ、すごい数ではあるんですが、人間の細胞数というのは60兆個(大人)といわれてますんで、国のメッセージにつけくわえるとしたら「30億個というのは0.005%。人間の細胞の新陳代謝の範囲内で消えていきますから、許してぇ~」ということなのでしょう。

こうしたぶっちゃけ話しならともかく、マジメな一時間程度のセミナーでその辺の国の気持ちと言うものを国民全員に理解してもらう自信は全くないのでしょうな。頭のいい人たちというのは、たいてい、教えたり説明したりするの、ド下手ですもんな。

こう書くと、一部被曝を容認しろといってるみたいだと思う人がいるかもしれませんが、そういうことではなく、教授の本を読んだ感想、その理解を話し合ってるだけですので、どうぞ「お構いなく」。
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小野俊一著「フクシマの真実と内部被曝」(3) (明け烏)
2013-10-08 11:04:51
「政府、原子力緊急事態宣言を発令 二〇一二年三月一一日・・・
私が現地にいたら、家族は避難させるでしょう。
現地で働いている知り合いが多いので、心配です。
と書いたわけです。たしかに放射能が漏れている状態ではないからこそ、その後の展開を的確に予想し、可能な限り広範囲な人たちを避難させるべきだっただろうと私は思います。・・・そして、問い合わせをされてきた数名の方に、関東からは逃げたほうがいいとお話したのですが、真に受けてもらえず、あるひとからは『そんな専門家ならば、テレビに出ているはずだ。テレビに出ている専門家が安全だと言っているのだから、オレは逃げない。』と言われました。現在の日本を表している言葉ではないでしょうか。」
 
テレビに出演することが権威となり、そこで発表された知識と情報だけを人々が信じるというのはたしかに悲劇的な状況ではあろうが、あの時点で匿名でのネット上の情報を信じろというのは、かなり無理がある。我々の九九%は付和雷同を本旨とする「張三李四」たることを免れ得ないのである。誰でも小野俊一氏のような判断ができるわけではない。
 話は唐突に跳ぶが、私は小野俊一氏を当代随一、本物の「知性人」であると思う。ここに「知性」とは大量の知識を羅列することに非ず、深い知識を以ってロジカルに近未来を予測し、警鐘を鳴らそうとする能力に他ならない。ロジカルな近未来予測こそ「知性」の本質なのである。しかも下俗に言えば、それを「当て」なければならないのだ。こういう作用を欠いた知識など単なる塵芥に過ぎないと私は思う。この意味で、おそらく十年後、小野俊一氏は「知の巨星」として歴史的な存在になっているのではないだろうか。
しかるに何処かから提供された資料を基にして特定の政治家(対米独立派)のスキャンダルを書き連ねて、その失脚を図った文筆ゴロが「知の巨人」などともてはやされているのだから何をか言わんや。どうやらこの場合の「巨人」とはプロ野球の「ジャイアンツ」のことだったらしい。なるほど名前だけは売れている。

「そのような事態をいくつも経験して、一九九五年の九月に会社を辞めることにしました。・・・一九九六年の四月に熊本大学医学部に入学・・・」
 
ここにおける「そのような事態」とは小野氏が感じた原子力発電の安全に対する強い懐疑を惹き起こす東電での経験のことだ。しかし私が注目するのは、せっかく入社した超安定企業の東京電力をすっぱりと辞めて医学部へ再入学を図る氏の思い切りの良さである。まことに「勘」が良い。
 先ほど「知性」の本質を「深い知識によるロジカルな近未来予測」と定義したこととは矛盾するように見えるが、「予測」である以上、優れた「勘」が不可欠である。どれほど薀蓄があろうとも「勘」の悪い人間の予測ほど役に立たないものはない。
「勘」(ことに、それに国家の命運がかかるような)というのは、百年に一人の人間だけがもちうる稀有な才能なのである。我々は天が配剤したとしかいいようがない小野俊一という奇跡の存在に天意を感じ、その意見を傾聴する必要がある。
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大和魂菩薩武士道日本常民 (通りがけ)
2013-10-09 08:19:48
JFKの有名な国民への演説「国家があなたたちに何をしてくれるかではなくあなたたちがなにを国家のためにできるかを考えよう」
これはJFKの政治信念ですがこのアイディアをJFKはどこから得たのかといえば、武士道で滅びかけた国(藩)を救い治めた上杉鷹山と、同じく滅びかけた焼け跡から生まれた(後にジョンレノンが心酔してイマジンを作った)戦争放棄の日本国憲法からです。
建国からして野蛮冷酷な強盗国家アメリカの良心JFKはまさに日本伝統の武士道大和魂を統治理念のお手本にしたのです。
弟のロバートも兄に劣らず日本武士道に心服していました。来日して武士道古武術の粋植芝盛平開祖合気道塩田剛造に会い心酔しています。塩田は合気道で最強の技は「自分を殺しに来た敵と友達になること」と極意を述べています。
武の字は戈を止めると書く表意文字です。柳生真陰流剣の極意は活人剣であり無刀で勝つこと。武士道は死ぬことと見つけたり(葉隠)、すなわち忘己利他おのれが死んで他者(忠孝)に尽くす者が武士である。徳川家康は忠諫の士こそ武士の鑑であるとしました。信長秀吉にはこの武士道がなかったゆえに一代限りで滅んだのです。
武士の魂が日本刀です。上杉鷹山は齢わずか17歳で米沢藩主として招かれ滅亡寸前の藩を「民の父母」となって必ずや立て直すことを決心しそれができなければ武士の魂の日本刀で切腹して自ら果てることを神仏に誓って荒廃した米沢藩へ赴いたのです。
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小野俊一著「フクシマの真実と内部被曝」(4) (明け烏)
2013-10-15 18:30:12
「宮城にも沢山降っているはずなのにデータを出さないんですよ。計器が一年壊れていたって言っているけど(スライドを示して)これはただの金(かな)盥(だらい)ですよ。こんなものが一年間壊れたまんまなんてウソに決まってるでしょ。データを出せない(くらい放射能が降っていた)んですよ」(講演)
「私、宮城が一番(健康)被害が出るんじゃないかと思うんです」(講演)

 この部分を最後にもってきたのは他でもない。「金(かな)盥(だらい)」という少し古風な言葉で聴衆を笑いに誘いつつ、小野氏が、さり気なく述べた宮城県の健康被害の予測(予想)が鮮やかに的中するような気がして仕方がないからである。氏の講演やブログを繰り返しみていると、この短い予測が実に様々な要素を緻密かつロジカルに組み立てて出されていることが分かる。難しい用語や理屈をつかって、その場でだけは、もっともらしく聞こえるイカサマ予想とは断然、異なるものなのだ。
予測や予想が的中することは通常、めでたいことである。小さいところでは競馬の万馬券から、株式相場の騰落、さらに大きいところでは戦争の勝敗あるいは世界情勢に至るまで予想が当たるということは必然的に大きな利益ないしは予想した者への賞賛を齎してきた。
 しかし、この小野氏の予測はたとえ当たったとしても氏に何らの利益も与えはしない。賞賛も喝采もなく、反対に中傷や組織的な妨害が待っている可能性が高い。そんなことには毛ほども頓着せずにブログを更新し、講演を精力的にこなしてゆく小野氏の姿を何と観ずるべきか。私も形容するに言葉なく呆然としながら、これを見つづけるのみである。あるいは現代日本の偉観とも本邦最後の奇跡とも称すべきものかもしれない。
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