明け烏:
藤原正彦氏の文芸春秋掲載「日本人に告ぐ」を読んだ。東京裁判による日本人悪玉説の刷り込みが余りに凄まじかったので、日本人は自分たちが悪いことをしたと思い込み、戦後の自虐史観、または対米従属一辺倒になって今や民族の誇りすら喪われてしまおうとしている。しからば日本人よ、自信を取り戻せ、というどこかで見たような論調であった。また明らかにユン・チアンの「マオ」のコミンテルン観が用いられている。
では、現在のような一億徹総洗脳愚民化による米国の言いなり状態は、東京裁判における贖罪史観からのみ発生したものであろうか? 私は違うと思う。
第一にマスコミを支配下に置くことにより、情報を寸断し自国(アメリカ)の都合の良いように誘導していった米国の支配政策が非常に巧妙であったこと。しかもこれは日本人の苦手な五十年単位の長期計画であった。
第二に日本人の明治以来の欧米コンプレックスが、これを受け入れやすいものにしたためアメリカの政策が齟齬なく、運んでしまったこと。この二点を忘れてはならない。民族の意識が一朝一夕に変わることはないはずだ。僅かずつ僅かずつ、情報を刷り込んで何十年という歳月をかけねば不可能だろうと思う。
実は、これを無視した田母神氏のエッセイや藤原正彦氏の論文の弱点がここにある。東京裁判史観が完全なる間違いであったとの主張をするためには、戦前の日本の完全善玉説、そしてコミンテルンと米国の完全悪玉説の両方を証明する必要があるのだ。
歴史的事実など甲論あり乙論ありで皆が勝手に唱え始めたら切りがない。誰も史実を実際に見たわけではないし、資料といえども捏造したものあり、意識的に不都合な部分を削ったものありで、何が嘘やら真やら判別できないと考えるのが、正確なところだろう。
そして東京裁判史観完全否定論は戦前の陸軍を中心とした軍部独裁政治を肯定せざるを得ないため、ここに似非右翼、暴力団系右翼、ネット右翼、宗教団体系右翼などを巻き込み収拾のつかない事態となっている。そしてこれらの者を嫌悪する同じ「独立派」の心ある人々の分裂を惹起しているのだ。これでは米国の思う壷ではないか。
我々が今、せねばならないのは「東京裁判史観」と「米国隷属」との直結を暫く忘れて、つまり戦前の歴史的事実を口角泡を飛ばしながらの正否論争に熱を入れるのではなく、次の事実を確認することである。
第一に、首都東京の完全制圧と、日本軍の瞬時殲滅可能な米国軍が常駐している以上、日本は真の意味での独立国ではない。植民地である。だからこそ米国は好き放題に日本の富を収奪しているということ。
第二に、上記のような事態を招いたのは、戦後五十年、たゆむことなく継続されてきたアメリカの情報工作によるところが大きいこと。
第三に、現在の日本の政治家たちも、飴とムチを使って米国情報機関に完全にコントロールされていること。無論、マスコミは米国に利する情報だけを流しているのも忘れてはなるまい。
第四に、しからば、このアメリカの頚木を少しでも軽くして畳みの目一つずつ離れてゆくためには、どのような政策を採っていけばよいかを「独立派」が小異を捨てて大同について考えること。
購読を止めた「文芸春秋」を750円で買ってしまったことを後悔して書いた。
いかりや:
私は終戦のとき満十歳だった、米軍の空爆で逃げ惑い左足に火傷した。父は軍需工場に勤め、家の裏山には探照灯の基地があった、その先の山には高射砲台が並んでいた。従って、戦争中の庶民生活の雰囲気は子供ながらに実体験している。
私の乏しい体験から申し上げれば、終戦のころには公に口に出して言えなかったものの厭戦気分があったように思う。その厭戦気分は、満州事変、日中戦争そして太平洋戦争と続いた長い戦時下で軍部の横暴(憲兵などの民間人の監視)による重苦しい雰囲気と庶民生活は耐乏生活を強いられ、困窮を極めたことも原因にあったと思う。
戦争が終わってみれば、かっては鬼畜米英と憎しみを叩き込まれた米兵が、チョコレートやチュウイングガムをばらまいてくれた。食糧・メリケン粉なども配給されて、戦時中の軍部・憲兵の横暴よりもアメリカ軍は意外にもやさしかった。すっかりアメリカの巧妙な政策に騙された? 私は高校生のころは、日本は負けてよかったのではないかと思うようになった、無論周囲の大人たちも公然とそのように話していた。
私の独断と偏見かも知れませんが、アメリカは幕末のペリーの黒船来航の頃より、あわよくば日本を植民地化したいと狙っていたのではないでしょうか。太平洋戦争は日本の真珠湾攻撃で始まったことになっていますが、実のところ、アメリカは日本を巧妙に戦争に巻き込んだ。アメリカは日本に勝って日本を植民地化したかった、だが第二次大戦後は既に欧米列強の植民地政策は時代錯誤になって公然と植民地扱いはできなくなっていた。
しかし、アメリカの戦後の占領政策は、あらゆる面で精緻を極めたもので、決して俄仕立ての占領政策ではなかった。その政策の流れは今日まで脈々と受け継がれています。特に1970年代以降の日本経済の目覚しい発展に脅威を感じたアメリカは、日本経済の押さえ込み対策として、「為替の変動相場制」の導入と「プラザ合意」で日本経済を巧妙に押さえこみに成功した。
そして最近は「日本政府への米国政府の年次改革要望書」、「郵政民営化」などかなり露骨に従米化政策を進めている。アメリカに隷従しない政治家やアメリカにとって危険視する経済学者を桧舞台に立たせないように企んであるようにみえる。