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日本のスタイリストの草分け的存在。現在も、広告、CMなど第一線で活躍中。71年、ロンドンで山本寛斎氏とファッションショーを成功させ、その後、「ジギー・スターダスト」期のデヴィッド・ボウイの衣装を担当。鋤田正義氏によるデヴィッド・ボウイやT・レックスの撮影をアレンジしたことでも知られる。エッセイ『家族の回転扉』(『小さな小さなあなたを産んで』読売新聞社所収)で第19回読売「ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞を受賞。
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2004年11月
2004年10月
3月24日 ローリング・ストーンズのファッションチェック
3月19日 ことの始まり
3月6日 読売新聞「本よみうり堂」著者来店に
2月12日 フラワートラベリングバンド
2月11日 表参道ヒルズ
1月22日 「表参道のヤッコさん」
1月11日 ホームレス
12月12日 原宿表参道エコ・パーティ、そして、、、
12月18日 雪の名古屋へ
12月16日 Pretty Things
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高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
Hotwired / Blog / 高橋靖子の「千駄ヶ谷スタイリスト日記」
 ある日、私にファッションチェックの仕事がまよいこんだ。
私にとって、ファッションチェックとか、着まわし術とかいうのはとても苦手な分野なのだ。
「ストーンズのファッションチェックですから」という相手に、出来ませんといえば、「仮にもスタイリストだし、仮にもロック好きでしょう」と思われるばかりか、ちょっとエラソーにしてるみたいに見えちゃうかな。
とまあ、私の中の、良く思われたい精神が勝ってお引き受けしたのでした。
でも、40年にわたる彼らの歴史的写真を見せてもらって、いちばんお勉強したのは私自身だった。担当の若者たちとわいわいしゃべって、来日中止時の秘話で
盛り上がったりしてね。

 1990年の公演の時、私はアキレス腱を切り、その手術後でまだ松葉杖をついていた。

交通渋滞でタクシーは進まず、やっと開演時間ピッタリにドーム前に着いた。
わーっという歓声が上がり、曲が始まっても、私は松葉杖で必死に歩いて入り口を目指す。
一曲目が終るころ、やっと入場した。
それから係りのかたに誘導されて、まえに進む。友人が用意してくれた席はアリーナでまえから10番目ぐらいだったろうか。その距離が長くて、2曲目が終っていた。
そんなだったけど、めげずに行ってほんとうによかった。
1988年、ミックが単独公演したときも、3年前、2003年の日本公演の時も、行っている。(ミックのサテンのジャケットが素敵だった。ファッションチェック参照)今年はさまざまな事情でのがしたけど、あ、まだ埼玉がありますね。

 ミック・ジャガーは1943年生まれで62歳。これで最後のツアーと言われてから久しい。もっともっと、飛び跳ね、もっともっとモンローウォークをして欲しい。

 今年の初め、「永遠のビビアンウエストウッド」展を見たとき、その変化する一貫性に感動した。
ビビアンウエストウッドは1941年生まれ。
展覧会を観た日、夜新聞を見ていたら、アニエスベーの記事があり、同じ1941年生まれの笑顔の写真が載っていた。
そして最後に申し上げたいのは、私も1941年生まれだということなんですけど。

ローリングストーンズのファッションチェックコーナー 60年代~90以年代降まで、写真付きの4ページ構成です。
ザ・ローリング・ストーンズ ファッションチェック


写真(ビビアンウエストウッドのカタログとTシャツ・撮影Yacco)

お知らせです。
・ホットワイアードのブログの企画が終わりになり、私の日記も最終回ですが、今後はアスペクト社 に移ります。これからもご訪問、お待ちしてます。Yacco

今後、このブログは、以下のURLにて、5月下旬に再開します。
http://blog.aspect.co.jp/yacco
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 3月のはじめは、ありがたいことに撮影が重なり、さらにありがたいことに本のプロモーションにあたる取材が相次ぎ、睡眠時間、食事の時間が大幅に削られた。
 その波を超えたので、ここ2日間、ぐっすり眠っている。
 昨日は銀座の本屋さんから帰って、夕方ココにエサをあげてからコトンと夕寝をした。

そのあと、朝作ったスープで食事をして、また数時間寝た。
これは夜中に西麻布のアムリタというバーに行く約束をお隣のきよみさんとしていたから。
夜10時から11時半まで「木村伊兵衛の18万コマ・よみがえる昭和の記憶」という偉大な番組を居眠りしつつ観る。
 それからアムリタに電話したら、そこで写真展をしているカメラマンの池野さんが来てなかったので、取りやめた。
 また眠りに入る。
日曜日の朝まで、私はどれだけ眠ったことだろう。
肌がしっとりして、いつもよりほんの少しだけ顔もかわいい感じがする。
 この自己愛を生かす取材も、デートもないので、日曜の定番で週間ブックレビューを見て、再放送の新日曜美術館「建築家吉村順三の仕事」を観た。

 2月末、長いこと私の本のデザインに関わってくださったサンアドの葛西さんと引地さん、編集の貝瀬さん、若いカメラマンの中さんとパレスホテルの地下でお疲れ会をした。
 翌日は葛西さんがサントリー・ウーロン茶の中国ロケで早朝出発のため、パレスホテルに泊まるとのことなので、ゆっくりとお話をした。
 ステーキハウスの半円形のカウンターの対面には瀬戸内寂聴さんがいらして、仮に出版の話がそちらに聞こえたりしたら超恥ずかしいと思い、話題がそのことになると、声を低くした。
 こういう自分勝手な、意識過剰なところが私の特徴でもある。  
 ほんの少しきこえたところで、寂聴さんが意に介すはずもないのに。
 葛西さんがラテン語のすてきな格言を教えてくれた。
 「すべてことの始まりは小さい」
 「表参道のヤッコさん」という本が出来て、、船出の時を迎えた。
小さな船出だ。
 コツコツと書いて、コツコツと仕上げていただいて、始まりのときをむかえた。
この本が本屋さんに並ぶなんて、夢のようだと思った。

 それから怒涛の一ヶ月が過ぎた。読売新聞と日本経済新聞の書評欄に取り上げてもらい、本屋さんではチラホラとポップも出現した。
 今朝、はっきりと記憶に残る夢を見た。
 「増刷です」と言う声が聞こえたのだけど、それは4千冊だった。
 どうせ夢なら4万冊とか、40万冊とかだったらよかったのにのに、やっぱり夢も控えめでした。
 編集の貝瀬さんに伝えると、きわめてリーズナブルな数字、とのこと。
 ことの始まりの、小さな夢よ、もっと羽ばたいて!
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「表参道のヤッコさん」が3月5日、読売新聞の書評欄に取り上げられました。今、朝5時出発のロケに合わせたように、日曜日の朝4時40分に配達されました。
読んでくださいね。では行ってきます。

昨日、ここまで書いたとき、予約していたワゴンタクシーがきたので、出発してしまった。
早朝の都内ロケは肌寒かったけど、柔らかい春の陽射しが絶好のロケびよりだった。
時間より早く着いたので、駅前のコンビニで読売をあるだけ、4セット買った。それから、私の本を「オレンジページ」に推薦してくれた女子店員さんがいるという本屋さんの前を通った。閉まっている店の前で、「佐藤さんありがとう」とささやいて、現場にもどる。

ロケが終って、スタジオに入ってから、消音にしたケイタイに友人から「新聞見たよ」のメッセージがたびたび入る。
宇野千代さんの秘書だった藤江さんからは「一生にそんなにないラッキーなことだから大切にしなさい」とあった。作家に寄り添って生きた方の言葉だから本当にそうなのだろう。
実際、発売まえにいくつかの本屋さんを観て回って、こんなにたくさんある本の洪水の中に、はたして私の本が無事船出できるのだろうか、と思った。

出版してから数日後、新宿の紀伊国屋本店で話題の新刊コーナーに発見した時、思わずポロリと涙が出てきてしまった。
その私の肩をポン!と叩いたのは、新宿2丁目のバーのママで、
「ふらりと入ってきたら、ヤッコさんの本があったからデビッド・ボウイのところを立ち読みしてたのよ」とのこと。
思わず「ちゃんと買ってよ!」と叫んでしまった。店内にはなんと3箇所に平積みでおかれていた。

今のところ、都内の本屋さんから、突発的によいニュースがはいってくる。とってもありがたいことだ。
撮影のあと、ワゴンタクシーに待ってもらって、渋谷のブックファーストに寄った。
夜9時過ぎの道玄坂は、人も車も、真昼間のように混んでいる。本屋さんのなかも人々でいっぱいだ。
地下と2階で、この間お話した店員さんを見つけて、コンビニで買った新聞を渡した。

今日中に、なにかしたかった。超精いっぱいで恥ずかしいけど。
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青山のアンデルセンでアートディレクターの福田さんとランチしたあと時間の隙間があったので、ZUCCAに寄った。
ほとんど無意識状態でお店に入ったとたん、ある世界に引っ張り込まれた。
そこに流れている音楽が店の空気を振動させている。
そこにかかっている洋服たちが音楽に共鳴している。
私はじっと佇んで曲に聴き入った。フラワー・トラべリング・バンドの「サトリ」だ。それも「これがフラワー・トラべリング・バンドの音だったろうか?」と耳を疑うほど、エキゾチックな音に満ちている。この古典的な響きは、当時の録音のままなのだろう。
ジョー山中の”サンシャインエブリデイ”のリフレインが身体にじーんと残る。
店員さんに「この音楽、有線ですか?」と聴いたら「ちがいます。これはデザイナーの小野塚がこのシーズンのテーマにした曲なんです。それで、今シーズンはこれを店で流してます」
道理で洋服たちが共鳴しているはずだ、と思った。
私が動けなくなって曲に聴き入ったのも、そのせいだった。

私はお守り状態で持ち歩いている見本の本を取り出した。
「あの、ジョーってこの人なんです。ここにフラワー・トラべリング・バンドのこと、書いてあります」
それから階段を上がってカフェの脇にある「COW BOOKS」(本屋さん)に立ち寄った。
私はカウ・ブックスでときどき貴重な発見をする。アンアンの創刊号や宇野千代さんの「刺す」の初版本などを見つけている。

ここで、アンデルセンにいたるまでの午前中の行動を告白してしまおう。
午前中、新宿の紀伊国屋本店に行った。読売文学賞を受賞した宮内勝典の「焼身」を買うためだった。
1階で買ってから、2階、3階と売り場を歩いてみた。若い頃からよく来ているこの店。

30数年前、「表参道のアリスより」を出した時は一瞬売り場に私の本が並んだのを目撃して、ドキドキしたものだった。
こんどの「表参道のヤッコさん」はどうかしら、、、
一階に降りてゆき、さっき本を買った店員さんを見つめた。
そしてまた本を見つけて、その店員さんに渡した。町田康の「東京飄然」といしいしんじの「雪屋のロッスさん」。
ふたりとも小三治さんを追いかける落語仲間なんです、、、そして今度私も本を、、って言いたかったけど、言えなかった。
それから「日々の泡」(週間ブックレビュー推薦)と「河岸忘日抄」と合計5冊買って、5冊目にやっとその店員さんに「あのー」と切り出した。
そしたら、その店員さんに「あ、その本、入れることになってますから」と簡単におっしゃった。
1冊目を買ったときは店内はまだすいていた。
5冊目間を買う時は、もう混んできて店員さんは忙しくなってしまった。
私はあわてて「発売前に、これ読んでみてください」となけなしの見本を手渡してきてしまった。

そしてZUCCAのあとは2時から、下北沢の本多劇場で「夫婦犯罪」(片桐はいりさんなど出演)を観た。
そのあと、みんなで劇場の前の台湾料理屋で早い夕ごはんをわいわい食た。
今私は「小さな食卓」というブログをやっているが、みんなで食べる「大きな食卓」も楽しい。
そのこと書こうと気付いたのはさんざんご馳走になってから、帰りの電車のなかで重たい胃袋を意識した時だった。
あ、デジカメで撮っておけばよかったわ、と思ったときは、もう遅かった。

写真・ 70年代のジョー山中と私。原宿レオンでのスナップ。 
あ、この写真を「表参道のヤッコさん」にいれるのわすれた。せっかくジョーさんがOKしてくれたのに。 (撮影・染吾郎)
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花粉がちらりと飛び始めたようだ。
そろそろ布団や洗濯物を干すのに用心深くならなければ、と思う。
私は今のところ花粉症じゃないけど、体内に蓄積されてゆくとある時点で症状が出るそうなので気をつけている。
布団が花粉の温床にならないよう、大好きな布団干しも今日ぐらいまでと、必要な布団を朝のうちに干す。

昨日、本の見本が5冊だけ届いた。(またまた、自分の本のことで恐縮です)
うれしくて、仏壇にあげてチンをして、近所の本屋さんに一冊持って行く。商店街の本屋のおじさんとは、今回に限らず、本の出版の話があったりすると報告していた。(たまーにあるのです)
それで、本屋さんに本をプレゼントするというのも、ヘンな話だけど、思わず走ってしまった。月曜日にはお店に行って感想を聞こう。
それから鳩森神社に行って、お賽銭を奮発して本を置いて、パンパンと祈った。
夕方、ある方と35年ぶりぐらいのデイトをした。Tレックス友だちだったその方は、レコード会社の社長さんになっていた。一冊プレゼントした。
そして夜、息子に一冊あげた。
私には多分1000人ぐらいの友だちがいる。今後友だちに会うたびに本をあげたくなるだろう。花咲かじいさんみたいに、ばら撒きたくなるだろう。
ごめんなさい、1000冊は無理だから買ってね。

4、5日前、仲良しの女性プロデューサーと池尻の和食屋さんで「ふたり新年会」をした。(旧正月になっちゃったけど)
そのお店の途中に洋菓子屋さんがあって、彼女がご主人にチョコレートを買うというので、立ち寄った。女の方がひとりでロールケーキを作っていた。
そのひとは紺色のステキなセーターを着ていて、それはマドモアゼルノンノンのものなのは明白だけど、どうみても30年前のものだ。背中にはパリの地図が編みこまれている。
「そのセーター昔のノンノンでしょ」
「そうなの、セントラルアパートにノンノンがあったとき、オーダーで作ってもらったのよ」
それが引き金になって、彼女の話が昔セントラルアパートや原宿にまつわることになり、ロールケーキをつくる手はピタリと止まってしまった。
彼女の話を聴きながら、そのことみんな私の本に書いてあるよ、と言いたくてたまらない。
最終的に名刺に「表参道のヤッコさん」と書いて渡した。
「あ、高橋靖子さんだったのね」と彼女は言ってくれた。
近所の本屋さん10冊、池尻のケーキやさん1冊、衣装合わせをしたタレントさん2冊、プロデューサー3冊、今のところの予約状況なんですけど。

今朝、表参道のアンデルセンで朝ご飯べようか、と思って原宿の裏道から、伊藤病院のところに出た。
ケヤキ並木が思いっきり賑やかで、あ、今日は表参道ヒルズのオープニングだったと気付く。
人がいっぱいなのに、どういうわけか、スーッと入れてしまったのでそのままヒルズに突入し、ぐるっとひとまわりした。昔の同潤会の面影を残した棟では、「うん、こんなだったかも」と感触を確かめた。ささやかに草間弥生さんのバッジを買った。
この人ごみの中にケヤキ会の青木さんがいるんじゃないかとケイタイを鳴らしたら明治神宮にいるという。
そのまま明治神宮の本殿までいって、ここでは少なめにお賽銭をあげて、(メジャーだからいっぱいあげる人がいるだろうと思って)帰りに八竹で茶巾寿司を買って帰ってきた。

恥ずかしいけど、本が出来あがりつつあることで、神頼みしながらもこんなにうれしい日々です。

写真 (撮影・Yacco)
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30年ぐらい前、大和書房から「表参道のアリスより」という本を出版したことがありました。
その時は「服装」という雑誌に数回連載された私のエッセイを観て、大石さんという若い編集者が辛抱強く叱咤激励してくれて出来上がった本でした。

今回それに呼応するように「表参道のヤッコさん」という題名で出版されることになったこの本は、まさしくこのブログから生まれました。
このブログを書き始めた頃、「あのヤッコさんじゃないの?」「あの本、まだ持っています」「今でも時々読み返します」というメールが私にとどきました。
あの本が、私の知らないどこかで、ひっそりと生きながらえてくれてたとは ビックリ!でした。

今度の本は「千駄ヶ谷スタイリスト日記」の中の70年代の記述になるとアクセスが増えるので書き続けるように、、というホットワイアードの江坂さんのアドバイスによるものでした。 (といっても、私はアクセス数なんていまだに知らないのですが)

それに半分以上、書き足して、今この本は生まれようとしています。

当時の膨大な写真の中から、アートディレクターの葛西薫さんが選んだ表紙の写真は、なんと、アリスのときと同じ染吾郎さんによるものです。 染吾郎さんというニックネームの由来は、当時、山本寛斎さんのアトリエのバスタブで、タイダイの染物をしていたからで、折々、私をスナップしてくれていたのです。
新宿西口のフーテン第一号で、現在は画家のガリバーさんがとってくれた写真。
私のロック人生の扉をあけてくれた鋤田正義さんの、信じられないぐらい貴重な写真の数々。
10人ぐらいのカメラマンの方の協力で、100枚の写真が入ってます。
当時の表参道、ニューヨーク、ロンドン、若い人たちが見たことがないセントラルアパートやレオンなどは、偶然私が撮っていました。

この本はうまくいけば、2月20ぐらいに出るのですが、どちらかというと縁の下の力持ちの私の本が店頭にどっと並ぶのかどうか心配です。
どこかでみつけたら、手にとってみてね。

PS これから30分後に、大阪、尾道のロケに出発するので、とりあえずこのニュースを大急ぎで、お知らせして、重たいスタイリストバッグを背負って新幹線に乗ります。

写真 「表参道のヤッコさん」(アスペクト社)、アートデレクター・葛西薫 撮影・染吾郎
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お正月だし、戌年だし、元日のココの写真を公開してしまおう。
元日、鳩森神社でお参りをして、新しい破魔矢と御札を買って大家さんの庭で遊んだ時のもの。
その後、何度もいっしょにお参りしてるからココも「開運招福」のご利益間違いなし!

と、のどかなことを書こうと思ったのだけど、、、

早朝、ココと体育館をひとまわりすると、薄っぺらなビニールのピクニックシートを巻きつけて、しかもそのうえビニールの紐で自らの身体をぐるぐる巻きに包装して夜を明かしたホームレスのかたがいたりする。(多分ピクニックシートが風に飛んでいかないように。初心者のホームレスの方は所持品が少ないからね)
そんな姿をみるたびに、彼に毛布があったら、寝袋があったら、と思う。

実はこれから書くことは、「善行」を披露するようで気が引ける。
それで誰にも言ったことはないんだけど、私は毎年寒さが厳しくなると、家の中を探して、毛布やベッドパッドをデカイ紙袋に入れ、さっとホームレスの場所に置いてきたりしていた。
それが今年はこの極寒。
豪雪も地球の温暖化の振り子現象のひとつだと、聞いたが本当だろう。

去年はこのブログのために大量の70年代の写真を整理したが、その時、何でこんなものが?と我ながら不思議に思うものがぽっこり現れるのだった。
たとえば、イングリッシュ・グリーンの厚手のピクニックシート。裏がビニール系でおもてがグリーンと紺のタータンチェック。起毛した厚手のウールはコンクリートの冷えを和らげるだろう。その上昼間はくるくると巻いて、ショルダーバッグのようにさげられるようになっている。
私はこういうものを、自分の人生の夢とイメージのために買っていた。これもそのひとつだけど、30年間一度も使用したことはない。

寝袋もあった、あった。15年以上前のこと、しし座流星群を見るために、みんなこぞって寝袋を購入して長野県に行った。軽井沢に近い教会の脇のキャベツ畑に寝袋でゴロンと横たわり、芋虫状態で流れ星を見上げたんだった。寝袋を使ったのは、そのとき一回きりだ。
こういう思い込みの産物はこの冬から別の使命を持ってもらおう。
気温がグンとさがった5日の夕方、事務所をシェアしている清美さんに初告白した。
そしたら、「実は私も代々木公園のホームレスの人たちに同じことしてた」とのこと。

私たちは彼らの寝具になるべきものと温かい飲み物が入ったポットを抱えて、技場付近に出かけた。
ふたりになったおかげで、ちょっと勇気が出て彼らと会話した。

「こんな寒い日、どこかで炊き出しができたらいいね」
「特別寒い日、教会とかが今晩は中にお入りください、って建物の中まで解放することがあってもいい」
そんなことを話していたら、清美さんが毎日新聞を持ってきて、
「ねー、私たちがしたようなこと、もっと大勢でやってるよ」といった。
そこには「山谷夜回りの会、路上生活者を支援、寒い夜、食事や毛布配り」とあった。(毎日新聞1月11日朝刊都内)
こういうことは、転んだ人にちょっと手をさしのべる程度のこと。
いつも思う。人生は紙一重。私だっていつ転ぶかわからない。
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12月はおもしろいことがいっぱいあって、書くヒマがないくらいだった。
でも、これだけは、ということをさかのぼってひとつ、記しておきます。

表参道欅(けやき)会を訪れたのは、2月に出版する「表参道のヤッコさん」に載せる70年代の原宿のマップの資料を確認するためだった。
ところが訪ねて驚いたのは、欅会の皆さんが懐かしい方たちばかりだったこと。
70年代、原宿のブティック、マンションメーカーがこぞって融資をうけた「国民銀行」、焼肉の八角亭、茶巾寿司の八竹、今井美容室、千疋屋、RCAビクターがあったときはよく通ったピアザビル、、そういうところの皆さんが地元のために活動している。
40年ぶりの再会に私自身が興奮してしまった。
それが縁で、エコ・プロジェクト+忘年会に呼ばれ、パネルディスカッションではパネリストのひとりとして、みなさんとお話をすることになった。
この集いでいちばん感動したのは樹木医の方ふたりが半年かけて表参道の163本のけやきを一本づつ診断した結果が発表されたことだった。
健康な木、やや問題のある木、相当弱っている木とあり、そのために何をしなければならないかが報告された。
その上でけやきを通した全国の町村を交流、たとえば、表参道のけやきの苗木を全国の市町村に配る、、というような提案があった。
私は待ってました、とばかり九州の川辺町の産業廃棄物、ダイオキシンを除去したものでつくったレンガの話をした。そのレンガを表参道のどこかに使って欲しい。
このレンガの存在を知っている区会議員の長谷部健さん、ソトコトの月本さんが会場にいらしたのは心強かった。

会場には神宮前小学校の図工の山田先生がいた。
けやき会主催のキャンドルナイトに、照明デザイナーの面出さんや多摩美の学生たちといっしょに、小学生たちと参加しているのだそうだ。
ちょっと控えめなモヒカン刈り、革のジャケット(本当はバリバリの革ジャンがいいんでしょうけど)、ブーツというスタイル。
とてもシャイで、良い感じの先生だ。
「『トントンギコギコ図工の時間』という映画知ってますか?」
「観てますよ」とのことだった。

やっぱり原宿はいいなー、と思った。

そして、これを書いている12月31日。
大晦日の表参道、アンデルセン2階でボルシチのランチ。
おじいさんを囲んで3世代そろって食べている人たちもいる。もう家族のお正月が始まっているようだ。
私は通りに面した席で、ガラス越しの街の風景を眺めながら、スプーンを運ぶ。
けやきの並木には国旗が並び、初詣の準備は整っている。晴れ渡った空も、既にお正月色の青さだ。

一年前になろうとしている今年のお正月、このブログで70年代の旅をしてみようと思った。
お正月休みだけの旅のつもりだったのに、ホットワイアードの江坂さんからアクセス数が急に増えたのでそのまま続けるように、とのメールをいただいた。
ブログってなにかも知らずに始め、いまだにアクセス数も知らない。
書き始めて10日間のあいだにいくつかの出版のお話があり、直感的にアスペクトにお願いした。
それから自分でも不思議なくらい、リアルタイムのことのように、70年代が浮かび上がり、キーを叩き続けた。

一昨日、アートデレクターの葛西さんから、一冊の本になろうとしている原稿の全レイアウトが届いた。
本の中身って活字が並んでいる静的なものじゃないんだ。
とっても活発な生きてる本になりつつある姿をちらっと見せてもらって、感激してしまった。
これから、どんな表紙になるのか、ワクワクしている。

私自身にも、まだたくさんの宿題がある。
葛西さんより、「せっかく挑戦的なデザインをしているのだから、カワイイ前書きはよして欲しい」とのメッセージ。
そうよね、私って、いくつになっても、可愛く見せたい志向がギンギンですもんね。これから書き直しっていうことだけど、うれしい注文だ。

ブログをはじめて一年ちょっと。このブログにきてくださったり、書き込みをしてくれてるかたがた、仕事の現場や街で「読んでますよ」と声をかけてくれるみなさん、このブログのチャンスをつくってくださったホットワイアードの江坂さん、書籍化に勤しんでくださってるアスペクトの貝瀬さん、

新しい年が楽しみで、私は今、走り出したくて足踏みしています。

写真 (撮影・貝瀬裕一) 神宮前小学校の図工の山田先生と。
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事務所をシェアしているきよみさんと、名古屋へでかけた。
大雪の予報があるなか、彼女は8時の新幹線で出発。途中ケイタイで富士山がきれいという、メールが届く。
11時には私が出発。私も美しい富士山を見て、駅弁を食べて名古屋に到着。

きよみさんは、名古屋からさらに一時間半かけて豊田市の美術館へ川俣正氏のインスタレーションを観に行っていた。
それは廃材を使ったインスタレーションで、彼女に見せてもらった「アーティストの個人的公共事業」という本には、彼のプロジェクトのさまざまな系譜がある。廃材のほかにも、「アートと関連した新聞紙リサイクルと環境」というのがあって、これは夥しい量の新聞紙によって成立している。
私はといえば、名古屋駅の地下街をさまよい歩いて「足裏マッサージ」の店がけっこうあることを知り、1時間20分にわたってマッサージを受けた。
(かなり休めました)
往復4時間の美術館めぐりから名古屋にもどったきよみさんと、ひたすらマッサージ派の私はケイタイで位置確認し合って、手打ち蕎麦やで落ち合った。

それから愛知県芸術劇場・大ホールへ向かい、坂本龍一さんのピアノコンサートのオーディアンスとなった。
渋谷のオーチャード・ホールのときは1階のかなり前の席だったのだが、今回は四階の真ん中辺ではるか下のステージを見下ろす体勢だ。
坂本さんは四階、五階に向かって「聴こえますか?」と気遣ったが、天井桟敷に近い席も最高だった。ホールの構造は多分サントリーホールと似ていて、演奏が直接私自身に届く。ステージと四階の一客席が何ものにも邪魔されずまっすぐ繋がっているようだった。
(そのあと、22日に東京フォーラムのCホールに行ったが、この日は冬至で「100万人のキャンドルナイト」だった。もしかして、、という予想通り、5本のキャンドルの光りで演奏された)
というわけで、コンサートは演奏者と場所の空気、さまざまな要素が混じり合って、それぞれ異なった魅力が生まれるということを体験した。
それがライブの醍醐味なのだろう。

終電に近い新幹線で名古屋を発つ時、雪が本格的に積もり始めていた。
駅前で雪の夜空を見上げて、私たちのクリスマスはこれでOKということにした。
おしゃべりしながら帰ってきたけど、雪の遅れはまだ20分くらいだった。

写真 (撮影・星川きよみ) 4時過ぎ、雪が降り始めたころ。
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友だちの鳥居ユキさんが「ヤッコ、いっしょに行きましょう」と誘ってくれて、なんだかよくわからないまま、「Pretty Things」というドキュメンタリーフィルムの完成記念試写とパーティについて行った。
ところがこれがとてもラッキーなことだった。

あとで知ったことを書くと、監督でもあり、出演者の一人でもあるリズ・ゴールドウィン(Liz Goldwyn)はMGMの創設者のサミュエル・ゴールドウィンの孫娘。女優の衣装をはじめとしたさまざまな衣装のコレクターとしてもしられているひとだ。
どんな映画が始まるのか、集まった方たちの様子からして、とてもおしゃれであることはまちがいない。
ユキさんと取りとめもない話をしながらほぼ一時間ほど待っていると、映画が始まった。

1920年代から50年代にかけて、アメリカには「バーレスク」と呼ばれるエンターテイメントショウがあった。
誇り高くて、セクシーなバーレスククイーンたちが登場して踊る貴重な当時の映像、年を経た彼女たちへの取材、彼女たちから伝授される踊りをリズ自身が踊る、、、というような流れで映画は進行した。
(リズ自身はバーレスククイーンを日本の芸者にたとえている。これはわかり易いたとえかも)

観終わって感じたのは、とても楽しかっただけじゃない、これは リズが映画にしてくれなかったら、忘れられてしまったかもしれない貴重な文化だった、ということだ。
映画のタイトル「Pretty Things」はデヴィッド・ボウイの曲にもあるなーと思っていたら、最後のタイトルバックで、それが流れた。

パーティ会場には先日久しぶりに会った中西俊夫さんがいるではないか。
「ヤッコさん、あとでDJやるよ。デヴィッド・ボウイやTレックスかけるから、残っててよ」という言葉を忠実にまもったら、午前一時過ぎてしまった。
最初は躊躇が先立って、私の貧しい英語では、なかなか話しかけられなかったリズに、時間がたつにつれて度胸がついて、ついにちょこっと話しかけた。
リズは「きゃー、うれしー、私もそう思ってつくったのよー」と抱きついてくれた。(すかさず、ツー・ショットを撮らせていただいた、公開しませんが)

トシさんが、60年代から70年代にかけて「グラニー・テイクス・ア・トリップ」などを手がけていたジーン・クレール氏と軽々と会話をかわしているをみると、まったくうらやましい限りだった。
リズは多分、20代の終わりぐらい。
この催しをプロデュースしたマイコさんは30歳。
私は彼女が5歳か6歳の頃を知っているが、ここでも、こうして時は流れていたということを知るのだった。

写真 (撮影・Yacco) 左の女性が監督のリズ・ゴールドウィン。 
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坂本龍一さんのソロ・ピアノコンサートに行った。
今年は夏「JAPAN TOUR 2005」もあったから、私にとって良いことが夏と冬と2回もあったことになる。
夏の「ZEPP」は自然エネルギーだけでコンサートができる会場で、照明も程よくほの暗かったり、やや明るかったりした。
今回はさらにほの暗く、ステージ上の坂本さんとピアノに照明が一灯あたっているだけだった。
始まったとたんにステージから溢れてきたピアノの音は、はっとするほど美しく、私は闇の中に身を沈めて音を浴び続けた。

ステージには大きなグランドピアノが二台おかれていて、ずっと昔、坂本さんと高橋悠治さんが連弾したことがあったのを思い出した。
今回は共演者はいなくて、坂本さんが、あるところでこの二台のピアノをコントロールした。

後半、ロックのノリとかいうのとはぜんぜん違うんだけど、なにか突き動かされるものを感じて、身体が動いた。
それからしばらくして、静かに涙が溢れてきた。
なんと言ったらいいのか、音は湿ってないないのに、情感が溢れている。
その心地よさに、私は自分の心を全部預けた。

この世の中で、いちばんの幸せ、いちばんの贅沢は、美しい時間をシャワーのように浴びること。
そういう時間は、ある日、天から降ってきたみたいに訪れる。

写真 (撮影 伊藤信子) ちょっと前になるけど、2003・9・11の明治公園BE-INで。皆でキャンドルをひとつひとつ置いて直径100メートルぐらいのピースマークをつくった。ほの暗い闇は良い。
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11月から12月にかけて、お天気の良い日に3日ばかり、原宿・青山をくまなく歩いた。
40年間、表参道から千駄ヶ谷の一帯で生息している私だが、いつの間にか、小動物としてのテリトリーができてしまった。
その範囲は時期によって微妙にずれたりしているけれど、それでも基本的にこの土地から離れることはない。
「表参道のヤッコさん」という本を出版するに当たって、1960年代後半から70年代にかけてのマップを挿入しようということになった。
脳の中にしみこんでいるはずの原宿のひと筋、ひと筋の道から、あの時ここにあれがあった、こんな店があったと、別の風景が立ち上がってくる。
新鮮でもあり、懐かしくもある巡礼の旅だった。

写真は、最初の10数年間住んでいたアパート。
表参道と青山通りの交差点辺りから、住宅街を歩いて、今だったらビームスの裏側、ウラハラの一角まで来たとき、このアパートがあった。
ここに住みたいな、と思って1階のドアを叩くと、中年の男性が顔を出した。
大家さんだった。
「空いてるお部屋ありますか?」
「あります」
それだけの会話で、住むことに決めてしまった。

大家さん一家や、ご近所の住人ととても仲良く暮した。
夏は2、3軒さきの畳屋さんに縁台がでて、夕涼みをした。
アッパッパ(簡単な綿のワンピース)に、貫禄モノのエプロンをしたおばあちゃんが、団扇を仰ぎながら「暑いねー、寄っていきな」というのに応えて、しばらく縁台に腰かけて世間話をする。まるで、タケシのドラマみたいだ。
心がみるみる過激な先祖がえりをして、そうだ、「ALWAYS三丁目の夕日」を観なきゃ、、と思う。
しばらく佇んでいたら、工芸やのおばさんが出てきたので、立ち話をした。
千駄ヶ谷の家にテラスを作ってもらったり、床を張り替えてもらったおじさんが病気で入院中と聞いた。

3軒あったお風呂屋さんは今はもうなく、そのうちの1軒はマイセンという豚カツ屋さん。
教会はラフォーレ原宿に。
ラフォーレの裏には思い切りモダンなDO!Familyが。(数十年前のバンダナは、今でも私の宝物だ)
ドウ!ファミリーのミュージアムで写真展をしていたので覘くと、昔よく使っていた「365 BUSY DAYS」というスケジュール帳が展示されていた。
こんなポップでかっこいいノートは今どこにもないな、と思う。

太陽が金色に輝きだして、今日の巡礼が終わりに近いことを知らせてくれる。
昔ながらのコロンバンで、モンブランとコーヒーをいただいて区切りをつけた。
コロンバンの灰皿は、書かれているフランス語は違っているけど、絵柄はほぼ同じ。
譲ってください、と頼んだけど断わられました。

写真 (撮影・Yacco)
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ある日、私のブログに小学6年生からコメントが入った。
それが、とっても本質的な質問。
短く即答しましたが、足りないのでここに書かせていただく。
おとなの皆さまもお付き合いください。

「私は青森県の小学6年生です。
 私は今「総合学習」で将来の夢のことについて勉強しています。
 私の将来の夢はスタイリストです。人に合った物を合わせたりすることに興味あるからです。そこで、スタイリストとして活躍している高橋さんに質問したいのす。どうかよろしくお願いいたします。
 1、なぜスタイリストになろうとしたのですか?
 2、仕事で大変なことはありますか?
 おいそがしいと思いますが、よろしくお願いします。」


私が小学6年生の時、将来の夢という作文で「道端に咲く野の花になりたい。平凡な結婚をして、良き妻、良き母になりたい」と書きました。ずいぶんマセたこと書いたみたいだけど、その気持ちの半分は本当。それとうらはらに、「ものを創る世界で、きらきらとした人生を送りたい」という気持ちも、つねに持っていました。

遠くのきらきらした世界に近づきたくて、東京の大学に、そしてその頃新しかった広告界へ入り、まず、コピーライターのたまごになりました。そのたまごは孵化の途中で、いつのまにかスタイリストになってたのです。
なぜなら、たのまれたり、自分で見つけたりする仕事は、お使いとか、ものを手配することとか、雑用と呼ばれるようなことが多かった。
街を歩いて、何かを探す、、、そんなことが大好きで、それが次第に職業と結びついていったわけでした。
35歳ぐらいになって、ようやくスタイリストが私の仕事なのだ、と納得したけれど、この仕事は楽しさと、不安が隣り合わせです。
世の中の、自由業と呼ばれるものは、大体そういうものがつきまといます。

2
その時、その時代によって、大変なことはいっぱいあります。
明日から、私は建物関係の撮影にはいるはずでした。
ところが、今、世の中を揺るがす大変な事件が起きました。それで、数時間前にこの仕事はキャンセルとなってしまいました。
そんなふうに時代の波や出来事に左右されるのことも多いのです。

でも、基本は、好きなことをコツコツと続けること、好奇心と情熱をもち続けること、でしょうか。大変でも、なにか喜びがあったら、苦労は飛び散ってしまいます。
ではまたね。

写真 (とらばーゆ編集長の河野純子さんに撮っていただく)  神宮外苑にファッションウィークのテントがあったとき、さまざまなデザインのブースが出現した。そこで働いていた友人が、「ヤッコさんらしいよ、、、」として購入してくれた。ジョークっぽいものだけど、電磁波よけに、真面目に使う日もある。特に長電話の時は。
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美しい秋の日が続く。
東京郊外のロケで、広い日本家屋での撮影。
なかば紅葉した大きな木々からの木漏れ陽が、芝生に光りのまだら模様をつくる。
太陽が回って、その模様が刻々変化する中、撮影は順調に終ってはやい夕方には、家に戻っていた。

着替えて、恵比寿の写真美術館へ。
2年前に亡くなられた横須賀功光さんの遺作展のオープニング。
長友啓典さんの会場構成がすばらしいから混まないうちに観るように、という事前情報があったので、はやめに駆けつけた。
会場をさまよっていたら、涙が出てきた。
横須賀さんは今はもうエーテルになってしまって、違う世界にいる。
姿がない横須賀さんは、この純度の高いご自分の作品群とこの場所で呼応していることだろう。

息子さんの安里さんを、幼い頃から知っている親戚のおばさんみたいに眺めたり、松岡正剛さんや、館長の福原さんとお話させてもらったりしてたら、なぜか、プラスティックスの中西俊夫さんを発見。即、ミーハーに戻る。
「やっこさん、千駄ヶ谷日記のブログすごくおもしろいよ」
「えっ! みてくれてたの?」
と奇跡的みたいに喜んじゃったんだけど、後で考えたら彼の友だちの桑原茂一さんが宣伝してくれてたんじゃないかしら。

そのあと、スパイラルホールの、ひびのこずえさんのラストパーフォーマンス。
ほぼ若い人たちが長い列を作って、始まりを待っていた。
実は私はすでに初日に拝見していたのだけれど、今日は、横須賀さんのオープニングと、こずえさんのラストショーに、リトアニアのファッションデザイナーを連れて行ったのだった。
ニューヨークやロンドンで、私がその時代の何かに触れたり、仲間に入れてもらえたのは、たった一人でふらりと行った私に、糸口を与えてくれた人たちがいたおかげだ。
見知らぬ国でただ、風景を眺める旅行者ではなく、クリエイティブに生きている人の何かに連なることが出来たことが、人生のいちばんの幸運だったと思う。
だから、東京で、同じような外国人にあったら、私も彼らの役に立てたらいいな、と考える。

刺激的なことですっかり脳が目覚めっぱなしで、夜中まで「猫と小石とディアギレフ」(福原義春著 集英社)を読む。
朝から次の夜明けまで、こんなに張り切ってしまって、果たして明日は正常に生きられるだろうか。

写真 ・恵比寿写真美術館にて、中西俊夫さんと。ふたりとも、いまだに鋲が打ってある服を着てる。湘南でやるライブにさそわれたけど、残念ながら行けない。またこんど。
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学園祭の季節で、文化服装学園で両日、女子大と学園のファッションショーを見た。
何千人の中から、やる気満々の学生たちが名乗り出て、オーデションを重ね、ショーのスタッフが決たったそうだ。
盛りだくさんのテーマで次々と出てくるが、デティールまできっちりできていてすごい。

この頃はコンピュータを使ってかなりふくざつなテキスタイルも作り出す。
プロのデザイナーの方たちのコレクションとは異なった迫力がある。この中から、近い将来、さまざまな才能が噴出するのだろう。
モデルも自分たちで堂々とやっているが、驚くほど小顔で背の高い女の子もちらほら。

彼女たち、もしかしたら、プロのモデルさんになるのでは?
私自身はこれでもか、と念の入ったロリータや、宝塚調がだーい好きだった。

この頃は、秋が短いような気がするけど、学園祭って、まさしく秋の行事だ。
早稲田では清志郎さんがライブをやったみたいだけど、追っかけられなくて残念。

写真 (撮影・Yacco) 
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