学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

デカルト『方法序説』を読む

2018-03-22 21:55:55 | 読書感想
以前、このブログで、一見大きな仕事であったとしても、それを細かく分けて、少しずつこなしていけば、問題なく達成し得るものだ、と書いた事がありました。これと同じようなことを、デカルトが『方法序説』のなかで書いて居て、大いに驚いた次第です。

哲学、というと難解なイメージがあり、私も実際難解だと思うけれど、なぜかときどき異様に欲するときがあるのです。といっても、最初からカントやハイデガーに挑んでも跳ね返されるのは目に見えている(笑)ゆえに丸谷才一氏の教えに徹して、えらい学者の書いた薄い本を選んだところ、それがデカルトだったというわけ。

哲学書を読む時、私は本に線を引いたり、書き込みをしながら読み進めます。でないと、なかなか頭の中に入らないので。こうして読み進め、振り返ってみると、『方法序説』の第2章にメモの多い箇所が多いことに気づき、大きな仕事を小さく分けろ、というのも、そこに書かれていることです。この章では他にも、物事は自分の頭を使って考えろ、沢山の経験を積み重ねて推論の材料にしろ、など、今のビジネス書にも書いてあるようなことが見られます。

正直、章が進むにつれて、私とデカルトとの距離は離れて行ってしまいましたが、こうした名言を得られただけでも有益だったかなと。食わず嫌いはやめて、これをきっかけに哲学に親しむことができればいいかな、と思っています。


●『方法序説』デカルト著、谷川多佳子訳、岩波文庫、1997年
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国立新美術館「至上の印象派展」を観る

2018-03-19 21:21:28 | 展覧会感想
ある時期まで、私は印象派のルノワールやモネなどの作品が大好きでした。明るくて、美しくて、遠い異国ヨーロッパの息吹を感じさせるものとして、それらの作品の世界に憧れを抱いていたのです。地方に居た私は、なかなか本物を見る機会がなかったのですが、岩手県立美術館のこけら落とし「モネ展」の開催を聞いて、雪の残る岩手県盛岡市まで足を運んだものでした。でも、それからなぜかだんだんと印象派とは縁遠くなり、今ではほとんど印象派に関する展覧会に出かけることは無くなってしまいました。

現在、国立新美術館で開催されている「至上の印象派展」はドイツ出身の武器商人ビュールレが収集したコレクションを展示しています。「武器商人」でだいたい予想はつくと思うのですが、年譜を見ると、彼の生涯は第一次世界大戦と第二次世界大戦を通っており、やはりそれで財を成したよう。展示されているコレクションはなかなかのもの。印象派を柱として、その前後の時代の作品も収集することで、印象派の仕事を明確化し、さらに19世紀後半から20世紀前半のヨーロッパ美術の流れがわかるような集め方をしていたようです。私は印象派…よりも後期印象派のゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンらを食い入るように見ていました(笑)特にセザンヌの肖像画は、のちのキュビスムともつながるような気配を感じさせるもので、その後のピカソやブラックへと続く流れが良く分かるものでした。

こうして展覧会を見終えて思うことは、私の中で印象派はもうお腹いっぱいになっているなと(笑)後期印象派のほうへ興味が移ってしまいました。人の好みは年を経れば変わるものですねえ。それはそれとして、重複しますが、展覧会は19世紀後半から20世紀前半のヨーロッパ美術の流れがわかる、さらにいえば、わかりやすい内容です。とても満足のいく展覧会でした。
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ポール・ゴーギャン『ノア・ノア』を読む

2018-03-17 21:26:39 | 読書感想
ずいぶん前ですが、タヒチを旅行したことがあります。さんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びながら、白い砂浜を通って、美しいエメラルドグリーンの海で好きなだけ泳ぐ。ときどき浜辺へ戻り、ヤシの木陰で横になり、潮騒で耳を遊ばせる。まさに、この世の天国のようなところでした。私がタヒチに行った100年前にタヒチを訪れたのが、フランスの画家ポール・ゴーギャン(1848~1903)で、彼はそのときの体験を『ノア・ノア タヒチ紀行』に記しています。

彼は、著作のなかで絶えずヨーロッパ文明への批判を口にし、当時のタヒチの原始的な生活に溶け込もうとします。私と同じように、といっても、彼の方がよほどアクティブですが、タヒチでの生活を楽しみます。でも、彼らと同じように暮らしていても、彼らと同じにはなれない。すでにヨーロッパ文明での生活に慣れていたゴーギャンにとって、価値観があまりにも違いすぎたのでしょう。ゲームのリセットボタンを押したかのように、物語は第6章で突如終わりを迎えます。

読んでいる中で、なんとなくディドロの『ブーガンヴィル航海記捕遺』を思い出させるなあと感じて、執筆年を調べたら、『ブーガン…』は1772年、『ノア・ノア』は1900年頃と100年近い差が有りました。でも、『ノア・ノア』が書かれた頃、ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』(1888年)、スティーブンスンの『宝島』(1881~82年)などが発表されており、世間では未知の島への関心、それは実在にしろ、架空にしろ、高まっていた時期であったのかもしれません。ゴーギャンは小説家ではないから欲は言えないのだけれど、もっと長く執筆して、タヒチからの視点を通してヨーロッパ文明を批判するような文章が書ければ、もっと面白い小説になったのではないかなあと素人の私が思うのでした。


『ノア・ノア タヒチ紀行』ポール・ゴーギャン著、前川堅市訳、岩波文庫、1932年

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『城の日本史』を読む

2018-03-16 22:12:09 | 読書感想
私は中学生の頃から城巡りが好きで、休日には友人と一緒によく城歩きに出掛けたものでした。大人になってからも、10年ほど前に始まった日本100名城のスタンプを集めに、全国津々浦々、城を見に出掛けています。

昨今、書店には沢山の城に関する本が並んでいるけれど、『城の日本史』は「城の研究のマンネリ化」が進んでいるなか、日本の城を歴史的、世界的に見てどう位置づけられるかを記述したものです。著者の内藤昌氏は、全国各地の城跡や遺構の実測を行った経験を踏まえて執筆し、特に安土城が唐様とヨーロッパ様式を組み合わせた「汎世界性」を持っていること、戦国時代の城には天道思想が深く関わっているなど精神性にもふれています。まさに目からうろこが落ちるような興味深い内容です。

4月からは続日本100名城が始まります。この本で得た知識を元に、また城巡りの旅に出掛けたいものです。
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疲れる前に甘いもの

2018-03-13 22:09:24 | その他
今日は久しぶりの作品展示作業。事前に考案した会場のレイアウトどおりに作品を並べ、1点1点ずつ壁面に展示していきます。

毎回のことなのですが、展示作業はものすごく神経と体力を使う仕事です。午前中に力を出しすぎると、午後はへとへとになるため、ペース配分がなかなか難しいところ。そこで展示スタッフは昼ご飯を取った後に、続けてチョコレートなどの甘いものを取るようにしています。この効果はなかなか馬鹿にできなくて、取った時と取らなかった時の体力の減り方が全く違うのです。

そのおかげで、今日は展示の8割が終了。これまでにない驚異的なハイペースで仕事が進みました。動くときには甘いものは必須です。明日もこの調子で頑張りたいです!
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TOEICテストを受ける

2018-03-12 21:12:37 | その他
先日、約7年ぶりにTOEICテストを受けてきました。私の場合、日常で英語を使う機会はほとんどないものの、客観的にどれだけ英語の力があるのかを知りたかったのです。

TOEICはヒアリングとリーディングによる採点です。もちろん、まだ結果は出ていませんが、感触としてはヒアリングが☓、リーディングが△といったところでしょうか。ヒアリングは、やはり継続して勉強しないとなかなか聞き取りづらいものがあります。海外旅行へ行ったときは難なくコミニュケーションが取れたのに、想像以上にできなくてくやしい…。リーディングは、英語の論文や小説を読むことがあるので慣れてはいるものの、問いの多さに苦しんで時間切れになった感じ。

次回までに取り組むべきとこは2つ。

1.日常的に英語を聞くことで耳を慣れさせる。
2.英文の速読力を高める。

今回のテスト、とにかく悔しい!!とりあえず、半年間、みっちり英語を勉強して、次回にまたつなげたいと思います!
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展覧会の予習として

2018-03-11 22:18:46 | 読書感想
現在、国立新美術館で「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」展が開催されています。近々、観に出掛ける予定なのですが、印象派あるいは後期印象派の作品を観るのは久しぶりなので、予習をしているところです。

テキストとして使っているのが、高階秀爾さんの『近代絵画史』上下(中公新書、1975年)です。小説家の丸谷才一さんが『思考のレッスン』(文春文庫、2002年)のなかで「偉い学者の書いた薄い本を読め」と書いていますが、『近代絵画史』はまさにそうした本です。

本書では、時系列で美術の潮流がどのような背景の元に生まれてきたのか、そして、その背景の中でどのように作家が創作活動を展開していったのかをわかるやすく紹介しています。(古い既成概念を壊して新しいものを作り上げていく、という美術の流れが、世代を変えながらも脈々と続いていることに気づかされます)150年に及ぶ美術の通史を書くためには、ましてや日本と文化の違う西洋美術を書くには広く深い知識が必要あり、高階さんの著作を読むたびに私はいつも圧倒されるのです。深くてわかりやすい、という点では『名画を見る眼』(岩波新書、1969年)も外せないですね。

昔の新書の性質上、作品の図版が不足していますが、最近同書は改版されて図版をたっぷりと盛り込んだものが出版されたようです。暖かくなり、美術館へも行きやすい季節となりました。同書をテキストに美術館巡りをすれば、きっと倍楽しめること間違いなし!
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川越市立美術館「小村雪岱展」

2018-03-10 20:30:46 | 展覧会感想
川越市立美術館で開催されている「小村雪岱展」を観て来ました。小村雪岱(こむらせったい)(1887~1940)は、大正から昭和にかけての作家で、主に新聞、小説の挿絵や本の装釘などの分野で活躍しました。展覧会では、豊富な作品と資料で、その全容を紹介しています。

小村雪岱の仕事は、新聞や小説などの挿絵という性格上、原画を版(印刷)に通したものがほとんどです。ここで問題というか、意識しなければならないことが、原画を版に通すと、原画の魅力が損なわれる可能性があるということ。雪岱がどれだけ意識していたのかはわかりませんが、展示されている原画と雑誌の表紙(4色刷)を比較した場合、やっぱり原画のほうが断然いい。けれど、これが白黒の新聞や小説の挿絵となると、色の問題がなくなり、原画の魅力が活きてくる。江戸時代の浮世絵師、鈴木春信の描く人物描写を、ビアズリーばりの細い線を使って、特徴ある雪岱ならではの人物像に作り上げていきます。展覧会では、その背景や過程をとてもわかりやすく読み取ることができます。さらに深く知りたい方は、雪岱の周辺に関わる石井鶴三や木村荘八のことも調べると面白いのではないでしょうか。

こうして雪岱の作品を見ていくと、彼の作品のいくつかに出てくる、月の出る美しい夜空。そこからなぜか新宿のビルが見えるような気がする。それだけ、彼の作品が今も生き続けているような気がしました。

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