学芸員のちょっと?した日記

美術館学芸員の本当に他愛もない日記・・・だったのですが、今は自分の趣味をなんでも書いています

心身ともに休眠状態

2021-08-29 11:21:00 | その他
コロナ禍のせいなのか、このごろ無気力な日々が続いています。何をするのにも億劫で、常に頭がぼんやりして、体がいつもだるい。よって、生活全般がだらしなくなってゆく。

感染症対策のために移動が制限されて、ショッピング、旅行、博物館・美術館巡り、そして究極のストレス解消である「実家に帰る」が、ことごとくできなくて、やることといったら、家の中で読書程度しかないのがつらいところ。あまりにもアウトドアの趣味を持ちすぎて、インドアの趣味を持っていなかったのが、改めて悔やまれるのです。私たちが食事をし、それを排出することで体のバランスが取れているように、ストレスも解消しなければ、心身に害があってしかるべきで、これをどうするべきかというのが悩ましい。

そこで、休眠状態から、少しずつでも覚醒へ向かうよう、次の取り組みを始めたいと思っています。

・運動、それも極めて軽く、そしてワンパターンにならないように

今できるのは、とりあえず、これだけ、というよりも、もはやこれすらも億劫ですが…。無理をせず、自分のペースで、このコロナ禍のもとにおけるストレスをいなしていきたいと思っています。
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我が家のお盆のこと

2021-08-12 19:39:20 | その他
もうそろそろお盆の時期になりますね。

大学1、2年生のとき、民俗学の授業で、実家の御盆行事を調べるよう、課題を出されたことがありました。あいにく、私の家には仏さまがおらず、よってお墓もないので、山形に住む母方の祖父母の家へ行き、そこで聞き取りをする事にしたのです。

私は、さぞ、いろいろな話を伺えるものだろうと期待していたのですが、祖父母の答えは「今は御盆行事をほとんどしておらず、昔やっていたことも忘れた」というもの。そこをなんとか思い出して欲しいとお願いしたところ、お盆期間中は仏前に瓜を備えていたとのこと。一般的にはきゅうりやナスを備える家が多いように思いますが、なぜ瓜なのでしょう。そのあたりの理由は「わからない」そう…。地域で、きゅうりやナスよりも瓜のほうが手に入りやすかったのでしょうか。さらに送り火は、木片ではなく、新聞紙を使っていた…との証言に、もはや風情も何も無いなあ、と大学生ながらに思った次第です(笑)

それから数十年が経ち、我が家にも、かつていなかった仏さまがおわすようになり、お盆が身近に感じられるようになりました。何をするでもありませんが、心の中で手を合わせ、日ごろに感謝をしたいと思っています。
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久しぶりの古本屋へ

2021-08-09 20:36:55 | その他
本の好きな私にとって、古本屋は何時間でもいられるところです。店内に広がる本のにおい、棚に並んだ古びた本の背表紙、こんな本があったのかという新しい発見。飽きることがありません。

先日、久しぶりに古本屋へ行ってきました。いつもなら棚ぎっしりに並べられている古本たちも、新型コロナウイルス感染症対策のため、人が密集しないようにほどよく離されて配置されていました。おかげで、人との距離がきちんと保てるし、ゆっくり本を見ることができるので、ありがたい限り。

欲しい本はたくさんあったのですが、丸谷才一さんの『文章読本』を買い求めました。本の表紙は、奥村土牛の装幀で、表紙や帯が少しキラキラしているのが素敵です。数日かけて、ゆっくり楽しむ予定です。さて、悩みながらも購入を見送ったのは、永井荷風の『ふらんす物語』。大学時代に岩波文庫で読んで以来、思い出の一冊なのですが、ちょっとボロボロとし過ぎていて、その後に読んだ『あめりか物語』のほうが好きになったこともあり、断念しました。あとは濱田庄司の『窯にまかせて』。これも欲しかったのですが、たとうを外したら、縦横無尽に広がる紙魚のあとがあったため、これもあきらめました。

買うのをあきらめた本があったとはいえ、古本に囲まれる時間は何よりも幸せです。いい出会いがありました。そして、そろそろ美術館にも行きたい…ですね。
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伊東深水の怪談話

2021-08-07 11:40:03 | 読書感想
伊東深水、といえば、大正から昭和にかけての美人画の名手。今日にいたるまで「江戸浮世絵の伝統をうけついだ最後の人」との評価がなされ、私の場合には版画作品のイメージが強い作家です。特に《対鏡》の感情の動きを想像させる女性の表情や『現代美人集』《初浴衣》の女性の色気、さらに《羽子板》の構図の面白さなどが思い起こされます。

昨夜は、その伊東深水が若い頃に体験した怪談話を読みました。深水が学生時代の夏休み、先輩や仲間たちとある避暑地へやってきて、妙な家を借りることになります。それは、手前から三畳、四畳半、六畳、そして八畳と奥に行くに従って広くなっていくという建物。広い八畳の部屋は先輩が独占することになり、深水たちはその手前の部屋に分かれて過ごすことになるのですが、数日後に先輩がその部屋を譲ると言ってくる。そして、その代わりに入った人も。実は夜中になると、その八畳の間でおかしな現象が起こることがわかり…。

話自体は短いのですが、さすがに怪談話とあって、背筋がぞっとしますし、最後にその部屋で幽霊が出る原因も記されていて、ますます怖くなります。

「八畳に近い六畳にさえも居るのをいやがって、四畳半と三畳へ皆が固まって暑い思いをしていた。」

彼らにとって、よほど怖い体験であったことがわかります。そして、それを読んでいる私も怖くなり、さすが怪談話。大変涼しい夜となりました…。

※この話は『文豪たちの怪談ライブ』(東雅夫編著、ちくま文庫、2019年)に収められています。
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ウィルキー・コリンズ『恐怖のベッド』

2021-08-06 21:00:53 | 読書感想
毎日、暑い日が続いています。夏を涼しく過ごすには、扇風機やクーラーを使うか、怖い話を聞いて背筋を寒くするのが良いというもの。そこで、昨夜はミステリー小説の名手、ウィルキー・コリンズの『恐怖のベッド』(中島賢二訳、岩波文庫)を読みました。

大学を卒業して、パリに滞在していた「私」は、友人と共に、刺激を求めて、いかがわしい賭博場へ入り込みます。ふだんはギャンブルに興味のない「私」でしたが、そこで連戦戦勝を重ねることで有頂天。話がうまくいきすぎる、と警告した友人を追い出すと、何も目に入らなくなってしまいます。賭博場がお開きになったころには、たくさんの金貨を手にすることができました。ところが、祝いのシャンパンと酔い覚ましのコーヒーを飲んだところ、体の調子がおかしくなり、部屋に案内されるものの…。

「君はこれまでの勝ちでよしとしてここは引き上げた方が無難だぞ。」

私も子どもの付き合いでゲームセンターに行き、見境なくのめり込むと、ときどき妻から同じことを言われます(笑)

上手い話には裏がある、ということですね。最後に事件自体は無事に解決して、一安心となりますが、どこまで犯人のシナリオ通りだったのか、そして何人の犠牲者がいたのかは、結論めいたところがぼかされていて、背筋がすぅーと寒くなります。幽霊こそ出てきませんが、夏には最適な一冊です。
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論文を依頼されるも

2021-08-05 21:33:42 | 仕事
先日、論文の執筆を依頼されました。浅学の私なぞに、わざわざ論文を依頼して下さるのだから、心からありがたいと思い、ひとつ返事で引き受けたものの、その後に、はて困ったなと。というのは、新型コロナウイルスの影響で、作品の調査に行くことがほとんどできないためです。

少し前、他の美術館学芸員の方と話す機会があり、そこで話にのぼったのがやはり調査のこと。私と同じように調査に行くことが出来なくて、嘆いていらっしゃいました。実際の作品を観たうえで、解説や論文を書くのが学芸員の大切な仕事のひとつ。それが制限されるのは何とも残念な限りです。

さて、どうにかならないものかと考えつつ、まずは少しでも前に進めようと、作品の調査は少し伸ばし、資料集めから始めることにしました(それすらも外に出なければならないのですが)。締め切りは来年の6月。そのころには、新型コロナウイルスの感染状況が少しでも良くなっていることを心から願います。
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『英国生活誌』を読む

2021-08-04 22:10:24 | 読書感想
私が子どもの時分、晩御飯を作り終えた母と一緒に見ていたのが、NHKで放送されていた『シャーロック・ホームズの冒険』でした。そのなかで、ホームズ演じる主演のジェレミー・ブレットが、子供ながらにとてもかっこよく見えたものです。彼の知性のある表情と、ユーモアとアイロニーの混じる言葉に加え、舞台俳優らしいメリハリのある動作が素敵で、私の憧れの大人の姿でした。

このドラマがきっかけで、私はこの名探偵を生んだイギリスという国、とくにその生活様式に興味がわき、書店でそうした本を見かけると、ついつい買い求めるのです。先日は、出口保夫さんの『英国生活誌Ⅰ』(中公文庫、1994年)を読みました。著者は1963年に大英博物館の研究員としてイギリスに留学し、それから日本とイギリスの間を何度も往復する生活を続けたそう。

この本が面白いのは、イギリスでの生活を通して、その背後にある社会にまで目を向けている点にあります。例えば、十人十色の国民性の項目では、作家プリーストリーの言葉を引用したり、他国と何が違うのかを歴史から考えたり、最後に毎日図書館に現れる謎の老婦人の振る舞い(彼女はエジプトの研究者であった)について紹介しています。イギリスで暮らす人々が立体的に見えてくるのですね。

現在、ちょうど東京オリンピックが開催されていることもあり、最後にイギリスのプロとアマチュアの位置づけからの引用を紹介します。

「オリンピックのような世界大会に参加する選手も、イギリスのような国では、あくまでもアマチュアの精神にもとづいて、好きで余暇にスポーツを楽しんでいるような人びとが選ばれて出てくるのである。オリンピックなんて弱くったってよい。金銭を目指さないアマチュアの精神は、プロよりもはるかに高貴なのであるから。」
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私と同じ人

2021-08-03 20:23:51 | その他
昨日ブログのなかで、私は何者にもならない、と書いたあと、布団に寝転がって、本を読んでいたら、次のような言葉にぶつかり、驚いてしまいました。

「私は一体、どうしたらいいのでしょう。私は自分の人生を持て余しているのです。私は何をしていいのか判らないし、一方でしたいことが無限にあるようにも思えるのです。そのために私は働いていても遊んでいても、不安に耐えられないのです。私は自分が何のために生きているのか判らないのです。私の神経は嵐の海のなかに揺られているようなのです。時々、壊れそうになったり、また静まったりして、しかし自分がどこに辿りつくのか判らないのです。」中村真一郎『雲の行き来』講談社学芸文庫、2005年

この小説は、1966年に書かれたものですが、2021年に生きる私の心のなかをそのまま言い当てたよう。時代を経ても、人間の抱える悩みなぞはそう変わらないのかもしれません。なんとも不思議なものですね。
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私は何者にもならない

2021-08-02 21:24:04 | その他
近年のテレビ、新聞、本、そしてインターネットに流れる情報は、私たちに何者かになることを要求するものが多くなりました。それらは、例えば、自分の好きなことをやれ、人生を変えろ、考えるより行動しろ、人生には教養がないとダメ、などと、やたら命令調の言葉によって表されます。

私は、2011年に東日本大震災を経験し、その多くの犠牲者を知ったとき、人間はいつ死ぬかわからないのだから、何か大きなことをやりたい、何者かになりたいと強く思いました。それからは、時間の無駄を極端に嫌い、前述した言葉を信じ、毎日何かに追われ、好きだった小説は読まなくなり、サッカーや野球などの観戦も止め、友達と関わることも少なくなりました。そのうち、体と心はとうとう悲鳴を上げ、慢性的に調子が悪くなっていったのです。でも、そうまでして私は一体何になりたかったのでしょうか?あれから10年が経ち、自分の年齢を考えたときに、ようやく何者かになることをあきらめることができるようになり、少しずつかつて好きだったものを楽しむ時間を取り戻しています。

いま、前述したような言葉がもてはやされる時代にあって、それが必ずしも間違いであるとは思いませんが、私にとってはあまりにも強い力を持つ言葉であり、それを真正面から受け過ぎたのかもしれません。人生は好きなことばかりやらなくてはいけないわけでもないし、人生を変えなくてもいいし、行動する前にきちんと考えてもいい。これからは何かに追われることなく、以前のように毎日を大切にして過ごしていきます。そんな私の「何者にもならない」宣言でした。
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