放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

毛細血管ブチブチっと・・・(痛)

2010年09月01日 13時24分53秒 | Weblog
 齢41にして肉体の衰えをしってしまいました・・・。

 あの瞬間、ゴムひもがちぎれるような衝撃が右のふくらはぎにあって、思わず悲鳴をあげてしまいました。 

 特に無理をしたわけではないのです。
 土曜日の午後、ただ息子(7歳)と「タッチ鬼」のような遊びをしていただけ。
  子供がタッチをしにくる。
   それをひらりひらりとよけていただけ(本人は「ひらりひらり」のつもり)

 そうしたら突然「ブチっ」と。すごい激痛でした。

 よたよたと椅子にすわりこむ、あわてて駆け寄ってくる子供。
 「大丈夫?」
 「ん・・・。」
 右ふくらがぎの痛みで返事がまともにできないほどでした。
 正確には、痛みのほかに、「腱が切れたのではないか」という不安でパニックにもなっていたのです。

 その瞬間、思い出していたのは、ン十年前、僕の目の前でふくらはぎの腱を切ってしまった母親の姿でした。

 あの日、遠くから豆腐屋さんの笛が聞こえていました。それを聞いて母親は急いで椅子に乗って天袋からボウルを取りました。そのまま椅子から降りて表に駆け出してゆこうとした瞬間、とつぜん悲鳴を上げてひっくりかえったのです。
 「ど、どうしたの?」
 あわてて駆け寄る僕に、ボウルを突き出し「豆腐、豆腐!」と叫ぶ母親。豆腐どころじゃないだろうとツッコむ所なんだけど母親のあまりの剣幕にオロオロと僕は表へ出ました。
 豆腐屋さんの世間話にオロオロと答えて台所へ戻ると、母親は相変わらず顔をしかめてうずくまっています。

 その後、どうやってお医者さんまでたどり着いたか覚えていませんが、とにかく診断結果は「下腿部腱断裂」。ふくらはぎのところを指でなぞるとそこだけ腱がきれいに切れているのがわかるくらいでした。
 いわゆる「肉離れ」というやつです。母親はその後しばらくは大変に不便な思いをしたようです。僕はそのころ子供だったので、手伝うといってもろくに役には立たなかったでしょう。たぶん。

 昔話を思い出しながら椅子に座っていたら、だんだん痛みが抑えられてくるのがわかりました。これって脳内に感覚を麻痺させる物質がでてきてパニックを抑えようとしているのでしょうね。
 BELAちゃんも来て「どしたの?」と。
 
 痛みはまるで「こむらがえり」のうんと強いやつのようになりました。どうにか立てる痛みです。肉離れは想像していたよりもひどくないようです。
 出先で怪我したので、これから車を運転して帰らなければなりません。
 (正直、急ブレーキとか対応できる状態ではありませんでした)

 放菴についてから、シップで応急処置しました。
 ・・・あれから4日たちました。さいわい痛みはずいぶんと軽くなりました。
 どうにか両足に体重をかけられるようになりました。けれど右のふくらはぎにはまるで赤インクを吹き付けたような点々が。

 これって、きっとあの瞬間に毛細血管も広範囲でちぎれたんでしょうね。
 
 ある人が言っていました。
 「よく陸上の選手も夏に肉離れを起こすんだよな。」
 そっかぁ・・・。暑かったもんなぁ。

 大事にしなきゃね。せっかく肉体改造はじめたばかりだし。
 心配してくれる家族にも感謝だね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿