放菴日記抄(ブログ)

これまでの放菴特集・日記抄から「日記」を独立。
流動的な日常のあれこれを書き綴ります。

鎌倉漫歩景-3

2013年05月03日 23時31分04秒 | あんなこと、こんなこと、やっちゃいました
さて・・・。
鎌倉宮をでて、しばしの思案。
そこそこ寒い。
東北から来たけど、今日の鎌倉は寒いと感じる。
歩けば少しは暖かくなるだろうか。

荏柄天神さんの方へ戻りつつ、金沢街道へ進行方向を変えるつもり。
道すがら大きな桜の樹に出会った。今年の桜はちょっと白っぽいかなぁ・・・。
開花時にお湿り(雨)がなかったのだろうか。それともこの花曇りのせいで鮮やかに見えないのか・・・。

よくわからないが車道に出た。県道らしい。けどなんか道が狭いんじゃないだろうか。クルマがギリギリすれ違っているように見える。。

しかしよく考えてみれば、実際の車道が極端に狭いわけでもない。だいいち県道だから、道路の幅にも一定の条件があるはず。どうも周囲の圧迫感が「狭い道」と錯覚させているんじゃないだろうか。
周囲の塀が高いのか、逆に周囲の敷地に対して車道が沈み込んでいるのか・・・。
そもそもここは、川(滑川)が地を穿ってできた道だろう。「水流が地を穿つ」ということは、そこが岩盤の割れ目である可能性が高いのだが・・・。

滑川沿いの県道を歩きつづけ、やがて「浄明寺」というエリアに出た。
そぉいえば、ココ見覚えがある。
それもそのはず。17年前に行った杉本寺がこの近くである。
あのとき滑川の川面を見ながらバスを待ったっけ・・・。

川の向こうにはガイドブックに載っていたお穴子料理のお店がある。
当然、お客がずらりと並んでいる。
当然、テレビカメラも回って・・・、え?テレビカメラ!?

地元テレビ局が取材に来てる。きっとゴールデンウィークに向けて何か番組作っているんだね。
実はここでお蕎麦か何かでも食べたいなと思っていた。けれど、お客の行列と、テレビカメラと、そしてこの肌寒い気候にすっかり萎えてしまった。
ディレクターと思われる人が近づいてきた。コメントを撮らせてくれという。
こっちは親子四人のいかにも旅行客。「有名なお店なので遠くから食べに来ました」的なところを撮りたいのだろう。
けど・・・、ごめんね。なんか入る気しなくなっちゃった・・・。

お店に入りそこなって、ちょっとみんなの表情が曇った。
完全にオレ儘ですね・・・。でも寒いから立ち止まりたくなかったんだ。

そのままワキ道に入り、山すそをぐるりと回って(田楽辻子の道-でんがくくずしのみち―でした。)報国寺に出た。
田楽辻子の道は後日になって鎌倉の古街道であることを知った。散策するにはとてもいい閑静な径である。

報国寺はけっこう人が来ていた。
名前はすごいが寺院というよりは草庵のたたずまい。「竹の寺」とも言われる。
鎌倉-室町期の騒乱を起こした武士達の墓所でもある。

鐘楼の豪胆な太い柱(とういうよりは幹)に武士の菩提寺らしさを感じる。
しかし、木戸口からお庭の方へ足を向けるとおもむきはがらりと変わる。

さすが竹の寺である。
目に入るものはすべて竹竹竹竹竹竹。
雑念さえも沸いてこないくらいにまっすぐに竹竹竹である。
ときどき竹にラクガキがあってガッカリするが、だんだんそれも気にならなくなるほどの竹竹竹・・・。

水の音が聞こえる。やがて崖の斜面が見え、そこに浅く掘られた洞があり、墓石らしい石塔が建っている。そばを小さな滝が落水していた。
鎌倉らしい、「やぐら」と水の風景である。

崖のそばのお水屋でお抹茶をいただいた。
鎌倉彫りと思われる重厚なお盆に干菓子が載っている。菓子を口に入れて、お茶を啜った。
(ホントは身体がすっかり冷えていて、とても茶一服では暖が足りなかったけど)

外国人の団体さんがどどっと来たので早々に席を立つ。
崖はずうっと竹林をとりかこんで続いている。
陽だまりのある方へ歩を進めると、そこにひときわ大きな洞が口をあけている。
やはりなにか寿塔のような石が積んである。

その昔、足利の何某という人がお寺で自害している。もしかしたらそれはこのような「やぐら」であったかもしれない。