ウキウキ

楽しくてうれしいお話

水郡線で・・

2016-01-02 21:09:29 | 思い出
実家から本日帰宅の途へ。

連駅から乗車。

この周辺も、数年前に新しく道もできて、開けた駅前となりましたね~




久しぶりに水郡線に乗ってみると、

こんな光景



運転席のすぐ後ろに「運賃箱」 & 「整理券」

まるでバス

整理券はどんな風に使うの?

無人駅の多い水郡線ならではの光景なのだろう


私が高校時代は、手で電車のドアを開けていたっけなぁ

お正月に

2015-01-03 10:11:38 | 思い出
いとこのRくんと


バンクーバーの朝日を


見に行きました


中2の頼りになる アニキです


素直でとってもカワイイ、ムスコが尊敬してやまない 兄貴。




高3の兄貴は、受験勉強で大忙しです。
一緒の写真が撮れなくて残念

たからもの

2014-06-29 23:43:07 | 思い出
この赤い毛布は、私が妊娠中に購入したもの。

数百円で買った記憶あり。

既に13年経つのに、何度も洗濯してるのに、ほつれることも破れることもなく、安かった割にものすごくきれいな状態で変わらない。

妊娠中は私の物だったけど、息子が生まれてからは、乳児のムスコをくるんで抱っこしたり、寝る時もかけていたりして、いつの間にかムスコのために使うことがほとんどになった。

そして、ムスコが1歳過ぎて来ると、眠くなるとこの赤毛布を持って来て、肌触りを確かめ、香りを確かめ、首の周りに巻くようにして、毎晩毎晩持つようになった。

保育園に通い始めも、ムスコは赤毛布を離すことができず、当初持参して通い始めたが、さすがに保育士さんより、「お家でバイバイしてこようね」とムスコ共々、母も注意を受けたもんです


この頃には、赤毛布の呼び名は、家族間では短縮して「あふ」と変化しておりました。

「あふ」は、毎晩寝る時、旅行に行く時、実家に泊まる時、どんな時でもバックに入れて持ち歩く結果となり、それがお恥ずかしながら、というかムスコの名誉を守りつつの発表ですが、なんと数ヶ月前の6年生まで続いたわけです

さすがに6年生では、旅行や実家にまでは持ち歩かなかったけどね。


実家の母には、いつもいつも「今日も持ってる持ってるぅ」と笑われ続けたのでした(^_^;)


しかし12年間肌身離せずだった「あふ」からの旅立ちの日がやってきました。それは自然な流れで。

中学に入学して、頭は野球のことばかりとなり、好きな野球に打ち込めるとあって、自然と「あふ」とは全くの疎遠となりました。


しか~し、

いつも見える場所に置きっぱなしになっていた「あふ」を、私が昨日きれいに洗って干しておりました。

すると、久しぶりに、干されている「あふ」が目に入ったムスコさんの一言。

「久しぶりに今晩一晩だけ、あふと一緒に寝よっかな」と、こんな状態に。




また久しぶりに香りを嗅ぎ、肌触りを確認し、ベッドへと持ち込んだのでした。


母も一晩だけという言葉を信じて、許してあげたのでした。


いいかげん、今日のみで、明日はないぞーと念を押して。

孫との競演

2013-08-16 01:38:44 | 思い出
このお盆中、学童はお休み。
1人でいると、何をしでかすかわからない息子を家に1人で置いておくことはできないため、実家に1週間の予定で帰省している。

12日の月曜日に、じーちゃん&ばあちゃんに迎えにきてもらい、実家に帰るために、息子にはやらねばならぬことがいくつもあった。

今年の宿題は今までに比べ、半端ない(と私は思っている)。
だって、作文2つ、絵2つ、それに書道。まず、これらを20日までに学校に提出しなければならない。


お盆中の今週を実家に帰るとなると、提出は、12日しかないぜよ、と脅しまくり、集中力がハンパなく足りないムスコさんも、実家に帰りたい一心で、ガンバったのでした。朝から誰の監視もなく、1人で。
でもこの時ばかりは、集中力もすごかったよう(本人曰く)


絵、といっても、とても6年生の絵とは思えないお粗末くんでしたが、これは我が家の血。代々下手くそ家系なのだ。私もムスコを責める資格はない(泣)

まっ、選ばれることはあり得ないから、提出だけガンバ\(^o^)/という勢いの親子なのであった。


作文と絵を終えた頃、じーちゃんとばあちゃんがやってきた。


宿題の残るは習字のみなりにけり。


午後3時半頃、今から学校に提出してくる、とムスコからメールがあった。
お~、早いじゃん、とメール返信。


学校提出後、そのまま、じーちゃん達と晴れ晴れした気持ちで実家に帰省を果たしたのであった。

大業を成し遂げたという満足感を感じていたであろう(≧∇≦)


そして、夕方仕事から戻ると、テーブルの上にガンバった証が





3人の書道の作品。

孫に示すため、じーと、ばーが手本を見せてくれたよう。


77歳 喜久雄
70歳 一江
6年 臨在


氏名の所にはこのように書かれていた。


この3枚は、とても捨てられないな。


宝物 とまではいかないけど、思い出だ~

またまた懐かしい・・・★

2013-06-26 00:49:46 | 思い出
数日前に、友人・ちーぼーに会ったばっかりだったけど、今日は、私たちの看護学校の会報「み○○会報」が届いた。

たぶん年に1回の発行?なのかな。

今まで年に1回届いていても、そんなにじっくり読んでいなかったけど、今回は表紙に写真があり、ついつい

「いや~懐かしい」と言いながら、じっくり読んでしまった。


表紙の写真には、私たちが学生時代、教えを請うた先生方の写真と名前が・・・


お年を召されたけれど、変わらないお姿。

さすが、日○魂だーーーーーー


そして、その写真の中央には、私たちの看護学校の前にそびえたっていた、日○の象徴『従軍看護婦』の像。

全寮制だった私たちの看護学校が、平成19年に閉校となっても、この『従軍看護婦』の像は残されてるんだね~

寮に入っている頃は、玄関前にあったこの像をマジマジと見たことはなかったけど、看護学校の卒業式の時には、この像の前で写真をとったものだった。。。。



会報の中には、昭和40年代~50年代に看護学校を卒業された大先輩の方々の同窓会の話が掲載されていた。


みんな口を揃えて言っているのは、「何年たっても、同じ釜の飯を食べたもの同士、数分でタイムスリップできる」とか「顔のしわや体型がちょっと豊かになっても、寮生活や学校の話になると、あっという間にタイムスリップして話に花が咲く」とか「寝食を共にし、同じ目標のもと学びあった仲間とのかけがえのない日々が蘇ってくる」というような話。


やはり、この寮生活を共にした仲間って、どの年代の方々も特別なんだな~と、すぐ同じ気持ちになれる私なのでした。



そして、会報に載っていた久しぶりの懐かしい言葉。



それは、、、、、毎朝、6時の点呼で各部屋前の廊下に並び、各部屋の点呼があって「完全です」と答えた後、朝っぱらから唱えたお言葉。(「完全です」という点呼も、今思い出すと、不思議極まりない言葉だ~。やけに懐かしいが・・・)


これだ~~~   


《 ナイチンゲール誓詞 》


 われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん。

 わが生涯を清く過ごし

 我が任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを

 われはすべて毒あるもの害あるものたちを

 悪しき薬を用いることなく

 また知りつつこれをすすめざるべし

 われは我が力の限り

 我が任務の標準(しるし)を高くせんことを努むべし

 我が任務にあたりて

 取り扱える人々の私事のすべて

 我が知り得たる一家の内事のすべて

 われは人に洩らさざるべし

 われは心より医師を助け

 我が手に託されたる人々の幸のために身を捧げん



これを毎朝、暗唱。

いや~20年ぶり以上で、このお言葉を読んだわーーーーーー


客観的に読んでも、やっぱり日○魂だぁ






浅草へ

2012-12-14 00:28:30 | 思い出
12月12日(水)。

主人と休みを合わせることができたので、一緒にお出かけ

11月くらいに、テレビで浅草の「EKIMISE」のOPEN特集をやっていて、こりゃ行ってみたいなあって思ってて。

浅草の新しい観光スポットとして誕生した3つの空間。。。

 ① 浅草ハレテラス ・・・ スカイツリービューが自慢の屋上広場
 
 ② 駅見世ごはん ・・・ レストラン街
 
 ③ わのいち ・・・ 和ファッションや小物エリア


よーし、この機会に行ってみるぞーーと意気込んで出かけたのであります。


私達は、出かける際、電車というよりもいつも車を使うことがほとんどで、今回も車でGO

しかし、多少の懸念はあったものの、やっぱり駐車場には苦慮し、EKIMISE提携の駐車場を探し当てたものの、我が家の車は車体が高くて、立体駐車場に入れることは無理 と言われてしまった。

「え~これで車体が高い車の部類にされちゃうの~!?」 そんなことありかよ~~

そこから駐車場探しを約15分。  ちょい、それだけで疲れた。


そしてやっとEKIMISEへ。


う~ん。。確かに 和のテイストが目立ってるな・・・と思ったけど、期待が大きかっただけに何となく ん・ん・んって感じ。

駅見世ごはんのお店で食したものの、すぐ近くの仲見世の方で食した方がもっといろいろ美味しいものがあったなと後悔。


ひととおりお店は見たけど、、、、、、、、ってな感じ

最後に屋上広場からスカイツリーを


う~ん、期待が大きすぎただけに、まあまあかなって感じでした。。。

          


そして、EKIMISEを出て、仲見世へ。


また見つけてしまった。


私の大好物

          

 甘~い蜜のたっぷりかかった、ツヤツヤ肌を全面に露出させ、ゴマを身にまとう「究極の大学芋」


私は、大学芋に出会うたび、「こんなに私を惹きつける憎いヤツ」と感じるのであーる(ちょっと詩人??)


少~し期待はずれな1日になってしまったけど、『大学イモ』のおかげでその思いもスッ飛びましたでござる

ありがとーーー大学イモ君たちよ

今日は「体育の日」!

2012-10-09 01:02:36 | 思い出
「体育の日」と聞くと、通常運動しない私でさえ、「今日はやっぱり運動だよ~」とやけに力が入ってしまうもの(って私だけかしら??)

「体育の日」にちなんで、私達が選んだもの。


それは、無謀にも『登山


なぜ、登山が実行されることになったのか・・・というと、、、、


数週間前、夕方のニュースで保育園児の『富士山登山』をやっていたのである。

そのニュースを見て、「すっげ~保育園児でも富士山登れるのかよ~」と夫婦で超驚き、その驚きに伴い、

私達2人に無謀な考えが同時に起こってしまったのであーる。


「よぉーし  来年は富士山に登るしかないぞー」  というとてつもない無謀な(無鉄砲な)宣言

そう思わせちゃうくらい、保育園児たちの富士山登山が感動的だったのであーる。


そして、富士山登山の前に私達(運動不足チーム)がやらなければならないことといったら・・・・


やっぱり登山の経験を踏むこと



ということで、本日決行された登山は、ご存じ【つ・く・ば・山】でございます。

やはり考えることって、みんな同じなのね~と感じた、筑波山付近。。。。


ふもとからケーブルカー乗り場まで、すさまじい渋滞


「体育の日」を選んだ私達がおバカだったのよ・・・と思いつつ、「ここまで来たからにゃ~引き返すわけには行かねーぞ。何がなんでも今日は登るんだぞ!弁当だって作ったんだからーーーー」と意気込みは人一倍じゃ。



何とかやっとのことで、駐車場にこぎ着け、ケーブルカー乗り場近くから登山を開始。

しかし、私達が選んだコースは『御幸ヶ原コース』

どんなコースかというと、時間は約90分で短めながらも、急で険しいコースであったのだ。

登り始めて、たったの5分。

私は後悔した。そして、こりゃやっぱムリだよ、絶対。。。

だって、私は登山自体、約15年前にしたっきり。

それもこの筑波山で、登山好きな友達に誘われ、軽~い気持ちで「いいね~」なあんて話にのってしまい、登山開始ですぐさま後悔した思い出をお持ちなのであーる。

あーあの時の気持ちを思い出したー

やっぱ絶対ムリだよ~と否定的な言葉を何度も発すると、主人と息子は「大丈夫だから」と励ましつつも、進むに従い私の様子を見て、「やっぱさ、俺らだけで登るから、ここから降りてケーブルカーで登れば~」との発言。

しかし、その発言に揺らぎつつも「いやいや、そんなのはダメだよ。やっぱり頑張るよ。だから登れるように祈ってくれ~」と息子に懇願。その意志をくんで、しっかりと息子は祈ってくれたのでした。

それに押されるように、苦しみながらも頑張ったーーー

苦しかったーーー

でも最初の5分、10分の苦しみは徐々に楽になり、登るに従って、辛いながらも『頑張れる』という思いに変わっていったのでした。不思議です。


       私の前に息子達の姿。

    


どうにか休み休み付いて行って、行き交う方々にも励まされながら、やっとこさっとこ頂上に到着しました

    


やっぱりケーブルカーの誘惑に負けなくてよかった。。。誘惑に負けていたら、この喜びはなかったよ~

     ヤッター!!超運動不足の私でも、険しいコースで登れたーーー!!!

    


ちょっと自信がつきました。

よーし、富士山に向けて、他の山で練習だーーーといい気になって叫ぶおバカさんは、そうです、ワタシです

      


大合唱♪

2012-05-21 10:18:57 | 思い出
5/18夜中から、息子がプール熱で熱発し、本日仕事を休みました・・・。

プール熱 初めて息子が罹患しましたが、なかなかしぶとい・・

ここ2週間くらい、学校のクラスではやっているとのこと。学校での集団の感染強度はすさまじいものだ

37度~38度代の熱がいったりきたり。アデノウイルスによるもので、喉の腫れ及び痛み。

別名・咽頭結膜熱というため、喉及び目の症状が出やすいが、結膜炎等の目の症状は全くなく、喉の痛みのみ。

でも微熱はあるものの、食欲あり、元気(+)。しかし、熱のいったりきたりが少し辛そう。。。

今日と明日、しっかり休養して、水曜・木曜の初宿泊学習に備えております



ところで。。。

ゴールデンウィークに実家に泊まりに行きました。

毎度のごとく、特にこの時期は田植えの時期で、のどかな風景。

           

そして、八重桜がきれいな時期

            


そして、昼・夜繰り広げられる 大合唱の犯人は・・・

こいつらだ~

       


こやつは、私にガン飛ばしてきた、神経図太いやつ
私も負けじと、ガン飛ばし、目をそらさずにいてやったぜぃ~

        


おびただしい、想像すらつかないくらいの多数というか、無限大といっても過言ではないほどのカエル様たちが、
この広~い田んぼに生息している。

「ガ~」や「グワッ」や「ゲ~」や「クワッ」など、ありとあらゆる音楽をかもし出していた。

そして、今後もますますおびただしい増殖を控えている、この者たち・・・

目をうばわれた、この塊。

         


この塊を、私は3~4個目撃したのである。(思わずウッときそうになりつつ・・・)

多分、この広~い田んぼには、この塊が数知れずあるのであろう。。。。 


このカエルたち、ワイルドだぜぃ~ 




苦労したchristmas・・・

2012-01-08 23:54:59 | 思い出
年が明けたのに、今頃 christmasの事

我が家でのクリスマスプレゼントと誕生日プレゼントは、イエス様からもらうことになっている


クリスマス及び誕生日が近づくと、息子は、真剣にイエス様に欲しいものの祈りを熱心にしている。

それはとっても良いことなのだが、一つ難点が・・・


小4になって、「オレの欲しい物は、イエス様さえわかればいいんだから、お父さんやお母さんには教えない」と言うようになってきてしまった。

それまでは、「何が欲しいってイエス様に祈ったの?」と聞くと、「○○か△△か□□」ときちんと教えてくれていたのだが、だんだんリクエスト内容は、お父さん達に言う必要はないという考えが出てきたよう。

昨年のクリスマスが近づくにつれ、どうにか聞き出さねば・・・と「ねえねえ、イエス様に何を祈ったの??お母さんだけに教えてくれてもいいんじゃん」としつこく聞き出そうとするが、相手もなかなか手強い。

ある夜、布団に寝ながらやっと「う~ん、仕方ないなあ。じゃあお母さんだけに教えてやるか」と言って、祈っていた3つのものを教えてくれた。

その3つとは・・・  やっぱり私の勘通り『ゲームソフト』

まだプレゼントの内容を決めていなかった私は、やっと聞きだしたそのゲームソフトの名前を必死に頭に叩き込んで、息子が眠った時に起き出して、手帳にゲームの名前を書きとめた(そのソフトの名前も、難しくてなかなか覚えずらいのだ


う~~ん、やっぱりゲームソフトしかないか・・・と思い始めていたある日

あるお店を通りかかった時に、あるものが目に飛び込んできた。


それは、


そうだ、プレゼントに自転車がいいんじゃない

ずっと乗っている自転車は、保育園年中で乗れるようになった時に初めて購入したもので、18インチのものをもう6年間も乗り続けており、体も成長しているため、大分ムリはきていた。


よっしゃ~

やっぱ自転車だ~

主人と目で合図 【自転車に決定だな】と。

息子も、たまたまお店で見た、24インチの自転車に大分興味を持ったようだった。


そこからが大変。。。


自転車に決定したものの、なかなか買いに行く時間がとれず、とうとう12月24日まで来てしまったわけで。


 12月24日 もう今日しかない。

てなわけで、24日の午後、息子のことは主人に監視させ、私は1人で自転車の目星を付けに行ったのである。

1軒目の店で、デザイン・色共にカッコイイ自転車を見つけ、色選びも散々迷ったあげく、【他の自転車の店でも値段や色を比較せねば】と他の店にも確認に行った。
そして、1軒目の店で目星をつけた自転車を携帯の写真でとって保存し、他店との比較を行なった。

数軒周り、いろいろと比較した結果、やはり一番最初に見たお店が一番デザインと色がかっこよかったので、そこで購入することに決定



購入後、今度は家に納品する番となった。

お店を出る時に主人に、「今から自転車を運ぶから、息子をどこかに連れ出して」とメール。

ちょうどいい感じで、家には息子が不在となり、私は必死で自転車の隠し場所を考える。

お店で24インチの自転車を車の後部座席に入れるときも苦労したが(店員さんが手伝ってくれた)、家に帰ったら今度は誰も手伝ってくれない・・・私1人でこの自転車を車から降ろすのか・・と。

24インチの自転車は、大分大きいため、向きを変えながら車の荷台を倒したうえで乗せてある。
店員さんと苦労しながら乗せたのに、降ろす時は一人かよ~~と独り言が多々。

正直、車に乗せる時よりも降ろす時の方が大変

どうにかやっと降ろしたが、今度はいったいどこに置くか・・・やっぱり2階でしょとのことで、息子がほとんど入らない部屋に自転車を入れることとした。

そして自転車を抱え、いざ2階へ

抱えるといっても、24インチの自転車は重すぎた。それに階段も狭くて、最後の頃は軽度のカーブ
変な姿勢になりながら、「う~~ くるじい だずげで~~」とまた独語の世界へ。

どうにかやっとの思いで、2階へ運び、万が一のことを考え、シーツをかけて隠し、部屋のドアを閉め見えないようにセッティングぅ。


あ~疲れた。。。やっと隠し場所に置くことができた。 マジ疲れたーーーーー

そして、すべて完了したので主人にメールし、何事もなかったかのように息子を玄関で出迎える。


そ・し・て  息子も寝静まった夜中。

よなよな夜中起きだして、今度はどこに置けば息子がこのプレゼントを喜ぶかを考える。

朝、あまりのワクワクに、起こされずとも起きてくるであろう息子が、どこで自転車を見れば一番驚くかを何度も考える。

  【玄関か、廊下か、それともリビングか】

う~む


 やっぱり朝起きて、枕元にプレゼントがなければ、息子がまず向かう部屋はリビングのはず。

 ってことは、やっぱりもリビングだな


と考えたまではよかったが、2階から自転車を1階まで運ぶという大事業が残っている。

  それも 下り坂だ

下り坂は自転車の重さゆえに、自転車から手をパッと離したい衝動に何度もかられ、「ここで手を離したら、最高に派手な音を出して1階廊下に激突・・・。そうなったら、私の今日一日の苦労が水の泡・・・。よ~しラストスパート、しっかり運ぶぞーーとゆっくりやっとの思いで降ろすことができた。

そしてリビングに置き、イエス様からのメッセージカード(ここ最近、息子は「なんかイエス様からの手紙って、お母さんの字に似てるんだよね~」と言い、それまで気づかれずに必死でやってきた努力をあやうく水の泡にしてしまいそうに)を入れて、自転車にリボンを装着


 『よっしゃ~ 準備万端』と自己満足の世界。

大事業を終えた私は、再びぐっすり眠りの世界へいざなわれていったのです


そして、25日の朝。

それも朝6:00過ぎ。

息子が、寝ている私に小声で「お母さん、すっごい物がリビングに置かれてあったよ。」と興奮する思いを抑えながら(私がまだ熟睡中だったため)、私に話す息子。

「何が置いてあったの?」と聞くと、「すっごいかっこいい自転車だよ」と。

「それは、り○○がイエス様に祈っていた物だったの?」と聞くと「オレが祈っていたものとは違ったけど、すっげぇかっこいいやつをイエス様にもらっちゃったよ」とうれしそう。

そして、「でも家の鍵も雨戸もしまっていたのに、イエス様はどうやってリビングに運んだんだろう」と。

「う~ん、どうやったんだろうね」と言うと、「あっそうだ、神には何もできないことはないって聖書のみことばに書いてあるじゃん。だからリビングに運ぶことも簡単にできたんだよ」と。

この自転車は、イエス様が自分に与えてくださったものだ、と心から疑わずに信じる ということは本当に祝福だと感じた次第です


  そしてイエス様からいただいた、自転車のプレゼントはこれ

               


  ギアが6段階、ブルーとグリーンのコントラスト等、息子にとっては最高のイエス様からのプレゼントでした

   そして母は、今までで一番苦労した クリスマスとなりました。。。。。