大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

真夏の横浜ヒストリー・ウォーク~初めて見る横浜~(其の壱)

2012年08月14日 13時02分45秒 | 地方の歴史散策・神奈川横浜市
この秋に某旅行会社が企画する横浜ヒストリー・ウォークの下見を兼ねて、炎天下の港町「横浜」の中心地から近郊の隠れた見どころの散策を楽しんできました。

ちなみに散策ルートは下記の通りです。全行程およそ12kmとかなりの距離です。
山下公園出発~港の見える丘公園~外国人墓地~エリスマン邸~地蔵坂~山元町~根岸森林公園~ドルフィン~アメリカ坂~本牧山頂公園~本牧神社~本牧エリア~山下公園到着

当コースは市の中心の歴史散策ではなく、むしろ横浜市を取り囲む丘陵地帯に点在する町を結んで、アップダウンの地形を楽しみながら横浜の歴史に触れてみようというコンセプトなのです。

石川町側の延平門(西門)

久しぶりに訪れる横浜ということで、まずはJR石川町駅から至近の中華街を抜けて出発地点の山下公園のマリンタワーを目指すことにしました。石川町からわずか数分で中華街の西門(延平門)にさしかかります。午前8時を回った時間なので中華街の人通りはほとんどありません。ひっそりとした中華街の店を眺めながら、山下公園側の東門(朝陽門)に至ります。いったん山下公園脇の道まで進み、そこからホテルニューグランド前を通ってマリンタワーに到着します。

善隣門
朝陽門

ランドマークタワーと並んで横浜を代表するマリンタワーですが、以前は赤い色のタワーだったような気がします。現在はメタリックな色合いに変わっていますが、下の写真の姿はどことなくスカイツリーに似ていると思いませんか?

スカイツリー似のマリンタワー

さて、同行者と合流し9時10分にいよいよコースの下見が始まります。公私共に横浜には何度も訪れているのですが、その訪問先はかなり偏りがあり、それほど広い地域を歩いているわけではありません。今回、散策する箇所は私にとっては初めて訪れる場所ばかりです。

まず山下公園から港のみえる丘公園を目指します。「横浜人形の家」から伸びる陸橋を渡り、前方に見える木々の緑に覆われたこんもりとした森へと進んでいきます。

フランス山の緑

小高い丘になっているこの場所は横浜開港後の幕末文久3年(1863)にフランス軍が駐屯したことで「フランス山」と呼ばれています。山頂にはフランス領事官邸の遺構がうっそうとした木々に覆われるように佇んでいます。

フランス山モニュメント

現在の遺構は昭和5年(1930)に建てられ、その後昭和22年(1947)に焼失した建物の1階部分の跡です。このフランス山から木製の遊歩道が「港の見える丘公園」へと続いています。ここもかつて幕末から明治にかけてフランスとイギリスの軍隊が駐留していた場所です。イギリス軍はちょうど公園の中心に陣取り、フランス軍は隣接する現在のフランス山に陣取っていたわけです。この公園に隣接するようにイギリス総領事官邸(現在のイギリス館)が建っています。

フランス領事官邸の遺構
フランス山の頂
フランス山から港の見える丘公園への遊歩道
港の見える丘公園のテラス
公園から山下公園を望む

港の見える丘公園の正門からまっすぐ延びる道を進んで行くと、異国情緒溢れる外国人墓地の入口が現れます。横浜元町を見下ろす高台に置かれた墓地には十字架をあしらった墓石が並んでいます。

外国人墓地入口
外国人墓地
外国人墓地

墓地の縁に沿って進んで行くと左手に山手聖公会の塔が見えてきます。左手は緑濃い木々がうっそうと茂る元町公園です。

山手聖公会

元町公園に沿ってつづく歩道にはこの景観に溶け込むようなデザインの白ペンキ塗りの電話ボックスが置かれています。内部の電話器もどことなくレトロ感を漂わせています。

電話ボックス
受話器

この電話ボックスに相対するように建つ建物が「山手234番館」です。かつては外国の貿易商向けのアパートとして昭和2年に建設されたものです。現在は山手の総合案内所を兼ねて、無料で内部の見学をすることができます。四世帯が暮らすことができるレイアウトになっており、一世帯約100平方メートルの広さを持ち、当時としてはかなり裕福な生活をしていたような気がします。

山手234番館
山手234番館内部

この「山手234番館」の隣に立つのが「えの木てい」と呼ばれる住宅です。これもかつては外国人向けの一般住宅として建てられたものです。

えの木てい

山手234番館からさほど離れていない森の中に佇むのが「エリスマン邸」です。建築年は関東大震災後の大正15年とのこと。横浜で絹糸貿易を営んでいたシーベルヘグナー商会の支配人をしていたエリスマン氏の私邸として建設されたものです。白ペンキの外壁に緑色の雨戸の美しいコントラストが木漏れ日に映えています。

エリスマン邸

山手本通りをゆっくりと散策するのは初めての機会なのですが、横浜の外国人居留地の名残りを色濃く残す場所として、平成の世にあってもここだけは日本にあって外国の瀟洒な邸宅が並ぶ閑静な住宅地を歩いているような気がします。

そしてエリスマン邸に隣接するように建っているのが「ベーリック・ホール」の美しいデザインの建物です。

ベーリック・ホール

立派な門を入ると綺麗に刈り込まれた芝生の向こうにスペイン風の建物がどっしりとした姿が現れます。この建物はイギリスの貿易商であるバートラム・ロバート・ベリックの私邸として、昭和5年(1930)に建てられたもので、戦後はカトリック・マリア会に寄贈され、セントジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎に転用された経緯があります。このセントジョセフ・インターナショナル・スクールは2000年の春に閉校となり、その後、この土地と建物を横浜市が取得し現在に至っています。尚、内部の見学も無料で行われています。

ベーリック・ホールをあとに山手本通りに沿って静かな住宅街を進んで行くと、右手に代官坂が現れます。この代官坂があのアニメ映画「コクリコ坂」の舞台となったと言われています。この坂を下って行くと、お洒落な元町商店街へと繋がっていきます。

代官坂を過ぎてまもなくすると汐汲坂が元町商店街方向へと下っています。この汐汲坂を過ぎると右手一帯に横浜のブランドお嬢様学校である「フェリス女学院」の校舎が見えてきます。「山手」というぐらいで、小高い丘がつづく閑静な場所に、お嬢様学校らしい雰囲気を漂わせています。

フェリス女学院正門

そのフェリス女学院に隣接して中央大学の横浜山手中高の校舎が建っています。へえ~、こんなところに中央大学の付属中高があるんだ…。フェリスの隣の好立地であることを考えれば、おそらく中大付属中高もブランド校になっているのではないでしょうか。

そんなことを考えながら山手本通りの閑静な住宅街を進んで行くと、イタリア山庭園前のバス停が現れます。本通りからほんの少し入ったところにイタリア山庭園の入口があります。

山手イタリア山庭園表札

この場所には明治13年(1880)から明治19年(1886)の6年間、イタリアの領事館が置かれていました。このため「イタリア山」と呼ばれているのですが、この敷地には瀟洒な洋館が一つ建っています。

イタリア山庭園正門

「外交官の家」と呼ばれている洋館です。実はこの建物は東京渋谷の南平台にあったもので、明治時代の外交官である内田定鎚氏の私邸をここに移築したものです。

外交官の家
外交官の家

横浜山手地区の見どころはここイタリア山庭園を最後にこれ以降は洋館はありません。通常はイタリア山から大丸谷坂を辿ってJR石川町駅へと下って行くのが一般的なルートです。しかし私たちのコースはまだまだ先が長いのです。イタリア山付近までが横浜で最も瀟洒な家並みがつづく地域で、富裕層の方々が住んでいることで知られています。

イタリア山を過ぎると本通りは地蔵坂の下り坂へとさしかかり、前方にそれまでのリッチな雰囲気ではなく庶民的なアーケード形式の商店街が現れてきます。この商店街を進んで行くと「こんな場所がこんなところにあったんだ」と驚きの景色が現れてきます。この続きは「横浜ヒストリーウォーク:其の二」をご覧ください。

横浜山手の妙香寺は国歌君が代発祥の地~ついでに日本吹奏楽発祥の地でもあるんです~
真夏の横浜ヒストリー・ウォーク~初めて見る横浜(其の弐)





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