円覚寺の参拝を終えて、このまま北鎌倉から鎌倉へ戻るということも考えたのですが、五山第二位の次は第一位の建長寺参詣が当然の流れということで、円覚寺門前から徒歩で行くことにしました。
広い円覚寺境内を歩いた後ということで徒歩はキツイなと思ったのですが、建長寺までの距離は1キロ弱(900m位)なので思い切って歩き始めました。
しばらくは横須賀線の線路沿いを歩くのですが、途中で鎌倉の渋滞銀座の21号線に合流し、そのまま建長総門前へと進みます。徒歩15分の距離です。
建長寺総門
当寺は臨済宗の寺院の格式を示す「五山の制」で、「鎌倉五山」の第一位という格式の高いお寺です。
建長5年(1253)に宋から来日した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう・大覚禅師)を開山として迎え、五代執権・時頼が開基となって我が国初の禅の専門道場として創建されました。
建長寺の名前は鎌倉時代の建長(元号)に創建されたからではないでしょうか。江戸時代に上野の山に創建された「寛永寺」がそうであるように。
さて、ここで鎌倉五山について解説しましょう。
端的に言えば、前述のように五山の制とは臨済宗派(禅宗)の寺院の格付け制度の言います。
時は鎌倉時代に遡りますが、臨済宗の教えを日本に伝えたのは「栄西」です。日本に帰ってきた栄西が広めようとした臨済宗は、それまでの宗派からかなりの圧力を受けながらも、最終的には鎌倉幕府の庇護を受けて、新しい教えである「禅宗」を世に広めていったのです。
鎌倉幕府がこの新しい宗教思想である「禅宗」を庇護した大きな理由として、日本の歴史上初めて出現した「武家政権」を支えた鎌倉武士団にその気風が合致したことでしょう。
そしてさらには、それまでの既存の宗派を鎌倉幕府がコントロールするために、禅宗を思想とする臨済宗をうまく利用したといってもいいでしょう。
そんな目論見で導入したのが「五山の制」なのです。
この制度を最初に導入したのが北条執権・五代の時頼の時代と言われています。
時頼が五山の制を導入した当時は厳格な順位は定められていなかったようですが、室町政権の三代将軍の足利義満の時代に現在ある五山の順位が決まったようです。
この五山は京都と鎌倉にあります。
京都五山は
第一位:天龍寺
第二位:相国寺
第三位:建仁寺
第四位:東福寺
第五位:万寿寺
鎌倉五山は
第一位:建長寺
第二位:円覚寺
第三位:寿福寺
第四位:浄智寺
第五位:浄妙寺
実は京都、鎌倉両五山の上にたつのが五山の上(ござんのじょう)という最高位の南禅寺です。
それでは鎌倉五山の最高位である建長寺の参拝へと進みます。
「巨福門」(こふくもん)
巨福門を抜けると、伽藍は禅宗寺院の特徴である三門、仏殿、法堂が一直線に配置されています。その最初の建物が三門です。
三門
三門
三門から仏殿を見る
この三門は江戸時代の安永4年(1775)に再建されたもので国の重要文化財です。尚、東日本地域で三門二重門としては最も大きな建造物です。この門も三解脱門で仏殿に至る前に、この門で人間が持つ本来の煩悩を解脱してくれるのです。
そして三門には「建長興国禅寺」の扁額が掲げられています。この扁額は戦国時代の天文八年(1539)に時の後深草天皇自らの筆(宸筆)ということです。すなわち勅額門なのですね。
三門の脇には鐘楼堂が置かれています。
鐘楼堂
この鐘楼堂の梵鐘は建長7年(1255)に鋳造されたもので、国宝に指定されています。そして、当鐘は関東一の美しい鐘として知られており、特に音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」の別名を持っています。尚、この鐘は円覚寺、常楽寺の梵鐘と並ぶ鎌倉三名鐘の一つです。
禅宗特有の伽藍の配置はそれほど信心深くない私にとっては非常に明解で、なにより歩きやすいのです。
最初の建造物である三門を抜けると、仏殿まではちょっと距離があります。
広大な寺領を持っていたから贅沢に、かつ空間的余裕をもって伽藍を配置したのでしょうか?
そしてかつて最盛時にはどれほどの数の修行僧がここにいたのでしょうか?
そして彼らが住まう僧坊はどのように配置されていたのでしょうか?
そんなことを考えながら参道を進んでいくと正面に現れるのが「仏殿」です。
仏殿
さて、この仏殿の建物ですが実は徳川二代将軍秀忠公の正室の崇源院(お江)の御霊屋だったのです。どうしてその建物が建長寺にあるのか、というと正保4年(1647)に崇源院の御霊屋の改築に際して、お江戸の増上寺から建長寺に移築、下賜されたもののようです。
増上寺に置かれていた当時はおそらく崇源院の宝塔を納める霊廟として使われていたものでしょう。
ただ一つ疑問として残るのは、徳川将軍家の菩提寺である増上寺は浄土宗の寺院なのですが、どうして禅宗の臨済宗のお寺に移築したのでしょうか?
これは私の個人的な見解ですが、仏殿の建築様式は禅様式なので、そうであれば関東の臨済宗五山の最高位の建長寺に下賜したほうがいいのではと幕府が考えたからなんて!
建長寺にはこの仏殿の建物以外に崇源院の御霊屋の関連建造物が移築されています。
これはのちほどご紹介しましょう。
仏殿には本尊地蔵菩薩坐像が安置されています。
本尊地蔵菩薩坐像
この仏殿にほぼ隣接して建つのが法堂(はっとう)です。
法堂
もともとこの法堂は建長寺の開基である五代執権の北条時頼の十三回忌の年である建治元年(1275)に創建されたものですが、現在の建物は江戸時代の文化11年(1814)に再建されたものです。
この法堂には「釈迦苦行像」が安置されています。
世界史の教科書にも掲載されているあまりにも有名な像です。かつてパキスタンに行ったとき、実物を見た記憶があります。
釈迦苦行像
この像はパキスタンのラホール中央博物館に展示されている像のレプリカです。
平成17年(2005)の愛知万博に展示されていたもので、万博終了後、パキスタンより建長寺に寄贈されたものです。
そして法堂の天井には雲竜の天井図が描かれています。一見してかなりの大作のように思えます。
雲竜の天井図
法堂を過ぎると、右手に大庫裡そして隣接して方丈の建物が現れます。その方丈の前に置かれている煌びやかな門が「唐門」です。
唐門
唐門
実はこの唐門も仏殿と同じく、お江戸の増上寺にあった崇源院の御霊屋の付属建造物なのです。
平成23年(2011)に修理が行われ、扉を含む門の前面に煌びやかな金の装飾がなされ、絢爛豪華な装いになっています。
おそらく江戸時代の初期のころの姿はこんな感じだったんだろうな、という思いでまじまじと眺めてしまいました。なにせ将軍正室の霊廟に置かれていた御門であれば、これくらい華美であってもおかしくありません。
私たちは方丈内部へお邪魔しました。方丈から見た唐門は後ろ側も金の装飾が施されています。
方丈から見た唐門
そして方丈の裏手には禅宗のお寺らしい素朴な意匠の庭園が広がっています。背後の山の緑を借景にした庭の景色を眺めていると、ほんの少し疲れが癒されたようなきがします。
方丈裏手の庭園
円覚寺、そして建長寺と鎌倉を代表する寺を巡り、満足感と充実感を胸に鎌倉駅に戻ることにします。
真夏の鎌倉・江の島探訪 その一 ~鎌倉大仏~
真夏の鎌倉・江の島探訪 その二 ~鎌倉五山第二位・円覚寺~
真夏の鎌倉・江の島探訪 その四 ~竹寺・報国寺~
真夏の鎌倉・江の島探訪 その五 ~江ノ島弁財天と宗像三女神を祀る江島神社~
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広い円覚寺境内を歩いた後ということで徒歩はキツイなと思ったのですが、建長寺までの距離は1キロ弱(900m位)なので思い切って歩き始めました。
しばらくは横須賀線の線路沿いを歩くのですが、途中で鎌倉の渋滞銀座の21号線に合流し、そのまま建長総門前へと進みます。徒歩15分の距離です。
建長寺総門
当寺は臨済宗の寺院の格式を示す「五山の制」で、「鎌倉五山」の第一位という格式の高いお寺です。
建長5年(1253)に宋から来日した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう・大覚禅師)を開山として迎え、五代執権・時頼が開基となって我が国初の禅の専門道場として創建されました。
建長寺の名前は鎌倉時代の建長(元号)に創建されたからではないでしょうか。江戸時代に上野の山に創建された「寛永寺」がそうであるように。
さて、ここで鎌倉五山について解説しましょう。
端的に言えば、前述のように五山の制とは臨済宗派(禅宗)の寺院の格付け制度の言います。
時は鎌倉時代に遡りますが、臨済宗の教えを日本に伝えたのは「栄西」です。日本に帰ってきた栄西が広めようとした臨済宗は、それまでの宗派からかなりの圧力を受けながらも、最終的には鎌倉幕府の庇護を受けて、新しい教えである「禅宗」を世に広めていったのです。
鎌倉幕府がこの新しい宗教思想である「禅宗」を庇護した大きな理由として、日本の歴史上初めて出現した「武家政権」を支えた鎌倉武士団にその気風が合致したことでしょう。
そしてさらには、それまでの既存の宗派を鎌倉幕府がコントロールするために、禅宗を思想とする臨済宗をうまく利用したといってもいいでしょう。
そんな目論見で導入したのが「五山の制」なのです。
この制度を最初に導入したのが北条執権・五代の時頼の時代と言われています。
時頼が五山の制を導入した当時は厳格な順位は定められていなかったようですが、室町政権の三代将軍の足利義満の時代に現在ある五山の順位が決まったようです。
この五山は京都と鎌倉にあります。
京都五山は
第一位:天龍寺
第二位:相国寺
第三位:建仁寺
第四位:東福寺
第五位:万寿寺
鎌倉五山は
第一位:建長寺
第二位:円覚寺
第三位:寿福寺
第四位:浄智寺
第五位:浄妙寺
実は京都、鎌倉両五山の上にたつのが五山の上(ござんのじょう)という最高位の南禅寺です。
それでは鎌倉五山の最高位である建長寺の参拝へと進みます。
「巨福門」(こふくもん)
巨福門を抜けると、伽藍は禅宗寺院の特徴である三門、仏殿、法堂が一直線に配置されています。その最初の建物が三門です。
三門
三門
三門から仏殿を見る
この三門は江戸時代の安永4年(1775)に再建されたもので国の重要文化財です。尚、東日本地域で三門二重門としては最も大きな建造物です。この門も三解脱門で仏殿に至る前に、この門で人間が持つ本来の煩悩を解脱してくれるのです。
そして三門には「建長興国禅寺」の扁額が掲げられています。この扁額は戦国時代の天文八年(1539)に時の後深草天皇自らの筆(宸筆)ということです。すなわち勅額門なのですね。
三門の脇には鐘楼堂が置かれています。
鐘楼堂
この鐘楼堂の梵鐘は建長7年(1255)に鋳造されたもので、国宝に指定されています。そして、当鐘は関東一の美しい鐘として知られており、特に音色が人の泣き声に似ているということから「夜泣き鐘」の別名を持っています。尚、この鐘は円覚寺、常楽寺の梵鐘と並ぶ鎌倉三名鐘の一つです。
禅宗特有の伽藍の配置はそれほど信心深くない私にとっては非常に明解で、なにより歩きやすいのです。
最初の建造物である三門を抜けると、仏殿まではちょっと距離があります。
広大な寺領を持っていたから贅沢に、かつ空間的余裕をもって伽藍を配置したのでしょうか?
そしてかつて最盛時にはどれほどの数の修行僧がここにいたのでしょうか?
そして彼らが住まう僧坊はどのように配置されていたのでしょうか?
そんなことを考えながら参道を進んでいくと正面に現れるのが「仏殿」です。
仏殿
さて、この仏殿の建物ですが実は徳川二代将軍秀忠公の正室の崇源院(お江)の御霊屋だったのです。どうしてその建物が建長寺にあるのか、というと正保4年(1647)に崇源院の御霊屋の改築に際して、お江戸の増上寺から建長寺に移築、下賜されたもののようです。
増上寺に置かれていた当時はおそらく崇源院の宝塔を納める霊廟として使われていたものでしょう。
ただ一つ疑問として残るのは、徳川将軍家の菩提寺である増上寺は浄土宗の寺院なのですが、どうして禅宗の臨済宗のお寺に移築したのでしょうか?
これは私の個人的な見解ですが、仏殿の建築様式は禅様式なので、そうであれば関東の臨済宗五山の最高位の建長寺に下賜したほうがいいのではと幕府が考えたからなんて!
建長寺にはこの仏殿の建物以外に崇源院の御霊屋の関連建造物が移築されています。
これはのちほどご紹介しましょう。
仏殿には本尊地蔵菩薩坐像が安置されています。
本尊地蔵菩薩坐像
この仏殿にほぼ隣接して建つのが法堂(はっとう)です。
法堂
もともとこの法堂は建長寺の開基である五代執権の北条時頼の十三回忌の年である建治元年(1275)に創建されたものですが、現在の建物は江戸時代の文化11年(1814)に再建されたものです。
この法堂には「釈迦苦行像」が安置されています。
世界史の教科書にも掲載されているあまりにも有名な像です。かつてパキスタンに行ったとき、実物を見た記憶があります。
釈迦苦行像
この像はパキスタンのラホール中央博物館に展示されている像のレプリカです。
平成17年(2005)の愛知万博に展示されていたもので、万博終了後、パキスタンより建長寺に寄贈されたものです。
そして法堂の天井には雲竜の天井図が描かれています。一見してかなりの大作のように思えます。
雲竜の天井図
法堂を過ぎると、右手に大庫裡そして隣接して方丈の建物が現れます。その方丈の前に置かれている煌びやかな門が「唐門」です。
唐門
唐門
実はこの唐門も仏殿と同じく、お江戸の増上寺にあった崇源院の御霊屋の付属建造物なのです。
平成23年(2011)に修理が行われ、扉を含む門の前面に煌びやかな金の装飾がなされ、絢爛豪華な装いになっています。
おそらく江戸時代の初期のころの姿はこんな感じだったんだろうな、という思いでまじまじと眺めてしまいました。なにせ将軍正室の霊廟に置かれていた御門であれば、これくらい華美であってもおかしくありません。
私たちは方丈内部へお邪魔しました。方丈から見た唐門は後ろ側も金の装飾が施されています。
方丈から見た唐門
そして方丈の裏手には禅宗のお寺らしい素朴な意匠の庭園が広がっています。背後の山の緑を借景にした庭の景色を眺めていると、ほんの少し疲れが癒されたようなきがします。
方丈裏手の庭園
円覚寺、そして建長寺と鎌倉を代表する寺を巡り、満足感と充実感を胸に鎌倉駅に戻ることにします。
真夏の鎌倉・江の島探訪 その一 ~鎌倉大仏~
真夏の鎌倉・江の島探訪 その二 ~鎌倉五山第二位・円覚寺~
真夏の鎌倉・江の島探訪 その四 ~竹寺・報国寺~
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